アルストロメリアのせい


   ~ 三月十三日(火)  八 ~


   アルストロメリアの花言葉  エキゾチック



 夜はお隣さんへ行ってあげることにした母ちゃんから。

 こいつが気丈に、普通に過ごしていたと聞かされて。

 それが逆に悲しく感じられたのですが。


 ほんとにいつも通り。

 とんでもない事をしては、俺の寿命を縮めるのです。



 まったく、昨日はあんな盛大に泣いたくせに。

 まるで泣いたカラスのよう。


 ……いや、違った。

 泣いたカラスは、笑うのでした。


 今、君は。

 盛大に笑われるべきです。


「こら、兄ちゃん」

「なんでしょうか、お兄さん」

「嫁が変な奴なのは旦那の責任だ。お前さんがしっかりしろ」

「旦那じゃないですし。あと、そのセリフをおばさんから継承する人が現れるとは思いもしませんでした」


 おばさんがいなくなったというのに。

 俺がしっかりしなきゃいけないと言われるなんて。

 全部、こいつのせいなのに。


 呆れ果てた俺の目の前で。

 泥だらけになって立ち尽くす女の子は、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は母ちゃんが雑に左右非対称な三つ編みにしたせいで。

 鏡を見て塞ぎこんでいたから、綺麗でゴージャスなアルストロメリアを頭にふんだんにあしらってやったというのに。

 可愛そうに、ピンクのお花も半分方、泥だらけです。


 いや、これがただの泥なら笑い事なのかもしれませんが。


「俺、親方にどう言い訳したらいいんだよ」

「……ネコが現れたということでどうでしょう」


 地面でしっかりとこねられたセメント。

 そこに描かれた、豪快な大の字を見つめながら俺が言うと。


「ヒト型付いちまってるじゃねえか」

「最近はヒト型もよく見かけますよ、ネコ」


 そばに転がっていたスコップで。

 ひとまず、セメントの頭の所にネコ耳を書いてみました。



 ――コンビニ弁当肯定派のよしみということで。

 放課後に入るなり、お兄さんの現場を見てみたいとこいつが言い出したので。

 こうして連れてくるなり、たったの三秒で大惨事。


 ほんとに君は、おはようからお休みまで。

 世の中を笑いで満たしてくれますね。


「面白そうだからって、セメントに顔面から飛び込んだらいけません」

「そうじゃないの。ネコがいたの」


 お兄さんから受け取ったタオルで顔を拭ってあげましたが。

 まるで拭き取れないせいで、気味の悪い……、いや、ちょっと面白い顔を俺に向けていますけど。


「いませんよ、ネコなんて」

「いたの。ノラ」

「いませんよ。どんな子?」

「エキゾチックショートヘア」

「絶対いません」


 そんな野良ネコいたら見てみたい。


 しかしこんな泥パック、どうやったら落とせるのやら。

 お兄さんは俺たちに待っていろと言い残して。

 酢を貰って来るなどと言い残して校舎へ走って行きましたけど。


 お酢で落とすの? セメントを?


 なんだか眉唾なのです。


「ああもう、しつこいね、この汚れは」

「爪を立てたら痛いの。あとこれは汚れじゃなくて、石化魔法なの。道久君、ソフトクリーム買って来るの」

「なんかのゲームですか?」


 石化を解くアイテムがソフトクリームって、どんなセンス?


 そんなゲームあったかしらと首をひねる俺に。

 穂咲はふるふると。

 いや、ぎぎぎと固まり始めた首を振ると。


 右手を上に掲げて、左手にはコンクリートのブロックを小脇に抱えました。


「……そんな不自由な女神いません」


 左手に重り。

 右手のアイスも体が固まったら口に運べないとか、拷問です。


「やっぱり君、面白そうだから飛び込んだんですね?」

「ううん? ネコがいたの」

「いませんよ」

「いるの」

「どこに」


 さすがにムッとしながら、言い訳ばかりする女神を見つめていたら。

 ソフトクリームを持つはずの右手で、俺の頭の上を指差しました。


 上がどうしましたか?

 溜息と共に首をもたげると。


 そこに、ネコどころかとんでもないものがいました。


「…………ウソでしょ? 何やってるんです、美穂さん」

「ひうっ! ……見つかってしまいました……」


 木の枝と言えば美穂さん。

 もはや、俺の中で枕詞になっているのですが。

 だからと言って、なんでそんなところにいるんです?


 いや、そもそもなぜ校内に?

 あなた、よその学校の生徒でしょうに。


 ……ああ、なるほど。

 木の上にいる理由の方は分かりました。


 よく見れば。

 枝の先で、子ネコがプルプルと震えているのです。


「エキゾチックショートヘアではないですけども。美穂さんはその子を助けようとしてそこに登ったと」

「ええ、そうです……」

「で、エキゾチックショートヘアどころかネコですら無いですが、君は美穂さんを見上げていたから蹴つまづいてセメントに飛び込んだと」

「そうなの。でも、ママが美穂さんをネコちゃんって呼ぶの」


 どういう意味?

 まあ、この際どうでもいいですけども。


 それより、こんな問題を二つも同時に投げかけられて。

 途方に暮れるしかないのですけど。


 でもそんな俺に、救世主がお酢の瓶を抱えて降臨してくれました。


「……お前、そんなに木の上が好きなのか?」

「ご、ごめんなさい!」


 その救世主は、お酢の瓶を俺に押し付けると。

 長い脚立を引っ張り出してきて、あっという間に駆け上ると。


「きゃっ!?」


 美穂さんを強引にお姫様抱っこして、結構な高さの枝からそのまま。


「よっと」

「ひあああああああっ!」


 なんと、地面に飛び降りてしまったのです。


 俺と不自由の女神さまが拍手を送る中。

 お兄さんの腕から降ろされた美穂さんは。

 よろよろとお兄さんにしがみついてしまいました。


「……だらしねえな。まあ、しばらくそうしてろ」

「はい……」


 美穂さん、長身のお兄さんの胸にしがみついたまま。

 震える瞳で見上げたりしていますけど。


 こんなに颯爽と救い出してくれたわけですし。

 これで二度目になる救出劇ですし。


 オロオロとするばかりだった俺ですら見惚れてしまったのですから。

 美穂さんが、ポーっとなってしまう気持ち、良く分かります。



 ……あ、そう言えば。

 もう一匹いましたね、助けが必要な子。


 俺が木の枝を見上げたら。

 救いを求める、潤んだ瞳と目があいました。


 すると、何を思ったのやら。

 子ネコが俺の顔に向けて、うにゃにゃっと声を上げながら。



 ダーイブ。



「ぐわっ!? ……っとと!」


 俺は、顔面でキャッチした子ネコを両手で引っぺがすうちに足がもつれて。

 セメントに、背中からべちゃり。


 大の字の隣に、人の字。

 本日は大入りとなりました。


「……兄ちゃん。俺は親方にどう言い訳したらいいんだよ」

「……ネコが現れたということでどうでしょう」

「ヒト型付いちまってるじゃねえか」

「ネコ耳男子だって、最近はいますよ?」


 俺は起き上がりながら子ネコを逃がした後。

 自分の頭の跡に、猫耳を書き足しました。


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