ヒトリシズカのせい


   ~ 三月十二日(月)  九 ~


   ヒトリシズカの花言葉  愛にこたえて



 お花屋は、先週末をもって無期限休業。

 おばさんは今夜から東京に旅立つことになっています。


 今週末に採用試験を受けることになっているとはいえ、それも形式的なものらしく。

 かつて勇名を馳せたスタイリストを迎え入れる事務所側は、すでにお祭り騒ぎとのことで。


 ……だからと言って、採用試験の一週間前から仕事をさせるなんて、おかしいとは思うのですけど。

 おかげで別れを惜しむ間もなくなってしまいました。


 金曜の夜、東京から急な仕事の連絡がおばさんの元に届いて。

 酒を持って藍川家へお邪魔していた母ちゃんが慌てて帰ってくると、父ちゃんを叩き起こして慌てて一泊温泉旅行の手配をさせて。

 穂咲とおばさん、親子水入らずのひと時を楽しんでもらいました。


 その翌日に、もう出発だなんて。

 ちょっと心が追いつかないのです。



 みんなは水面に帆を張り、船を滑らせて行くというのに。

 俺だけ、船着き場からその後姿を見つめているような心地です。

 現実に取り残されているような心境なのです。



 ……でも、そんな感傷に浸っている場合ではなく。

 目の前には頭を抱えるような問題が発生しています。


 どうして俺の身の回りはこうなのでしょうか。


「分からねえ人だな。最近は同業他社同士の熾烈な出し抜き合いが原因で、消費者にとって劇的な費用対効果を生み出しているんだよ」

「いいえ、ディティール一つにジャストアイディアを盛り込むことがトレンドになっているだけよ。これがソリューションとは言えないわ」


 学校の正門前。

 お昼休み。

 おばさんの足元には大きな旅行鞄。


 出立前にわざわざ穂咲に会いに来たところ、パワーショベルのお兄さんと出くわしたようで。

 俺が教室から出てここに来るまでの間に、雑談などしていたらしく。


 ……それがどうしてこうなったのやら。

 経緯は分かりませんが。


「そんなどうしようもないケンカ、やめない?」


 俺がため息交じりに言うと。

 インテリ風に腕組みなどしながら口論していた二人は。

 同時に方眉だけ上げて、俺に向き直りながら言うのです。


「じゃあお前はどう思うんだよ。めちゃくちゃ美味いよな、コンビニ弁当」

「あたしはお米が硬すぎて嫌いなの。道久君はどう思う?」

「知らん」


 膨れた俺を、まるであやすように。

 おばさんは、旅行鞄とは別に提げていた袋を渡してきました。


「怒らないでよ。ほら、お土産あげるから」

「お土産? 旅行の?」

「そうそう」


 大きな紙袋を覘くと、小さな箱がぽつんと一つ納まっているのですが。

 きっと何か所かへお土産を配って歩いて。

 これが最後の一つなのでしょう。


 でも、これを手渡す仕草にも特別感など無くて。

 いつものおばさんの笑顔が、まるでクッキーでも入っているかのような気軽さなのです。


 そう、いつものように。

 今日も学校から帰ると、花屋の店先にいるのではないかとすら感じます。



 ……穂咲もおばさんも。

 旅行から帰ってくると、まるでいつもの二人に見えて。


 穂咲はいつものように、調子っぱずれな事ばかり言うし。

 おばさんも、そんな穂咲をからかうし。



 だから、余計に辛くなって。

 強くて優しい母ちゃんが一緒になってバカ騒ぎしている姿を。

 弱い俺と父ちゃんは、黙って見つめていることしかできませんでした。



 そんな、昨日の晩のことを思い出しながら。

 袋に入った四角い包みを見つめていると。

 誰かがぽてぽてと走って近付く気配を感じました。


 こんな日だというのに、いつも通りのタレ目で。

 ……いや、いつもより少しだけ、大人びた表情をしたこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は俺が編み込みにしてあげて。

 そこにヒトリシズカを一輪挿してあげました。


 お店を閉めたから、在庫にある分がなくなるまで。

 あと何日、君の頭にお花は咲いているのでしょうか。


 そんな中から選んだお花は。

 白い、細い花が渦のように巻くヒトリシズカ。


 お花の名前は寂し気ですが、その花言葉は今日に相応しく。

 おばさんの愛情に、君もしっかり応えてあげて欲しいのです。


「ママ、携帯で一杯お話できるんだから、わざわざ遠回りして学校に来ること無かったの」

「わざわざ来たのにそんなこと言わないでよ。……ねえ、あなたに一つ聞きたいんだけど」


 おばさんが真剣な目をすると。

 穂咲は、そのタレ目をおばさんへ向けて、ぐっと下唇を噛みました。


「……例え時が流れても、変わらないものがあるのよ」

「なんのお話?」

「外見ばかりじゃなくて、中身まで変化しても、やっぱり変わらない。そんなものがあるの」

「…………うん、わかるの。旅行の間、散々話したの」


 ああ、やっぱり。


 この二人は、周りに心配をかけまいとして。

 今まで湿っぽい話は無しにしようとしていたのですね。


 しばらく聞くことが無くなるおばさんの声。

 凛として、優しくて、厳しいその声を胸に刻もう。


 そう思ったら、自然と目頭が熱くなって。

 鼻から鳴る音のせいで、上手に聞き取ることが出来なくなってしまいました。


「だからほっちゃんも、ママと同じ気持ちよね?」

「ううん? そこは譲れないの」


 真剣に見つめ合う母と娘。

 二人の気持ちには、まだ別れの答えが出ていないのでしょうか。


 一気に寂しそうな表情になったおばさんが。

 唇を振るわせながら、穂咲の肩に手を乗せます。


「……まだ、そんなことを言うの?」

「当然なの。べちゃっとした天ぷら弁当は絶品なの」

「がーん!!! ウソ……、でしょ……?」

「お前らがウソでしょです! どんだけコンビニ弁当に思い入れがあるの!?」


 おばさん、膝から崩れ落ちてますけども。

 呆れ果てて、口あんぐりです。


「どんだけ平常運転なのさ、きみら」

「別々に暮らすのは寂しいけど、親子であることは一生変わらないわけだし」

「そうなの。それに、携帯で沢山お話しできるから関係ないの」


 ねーとか言いながら、二人で手を取り合ってダンスなど始めていますけど。


 なんだそりゃ。


 まるで寂しがってるの、俺だけみたいなのです。


「よっし。……じゃあほっちゃん、行ってきます!」

「いってらっしゃいなの」


 ダンスの為に繋いでいた手を、それでも名残惜しそうにようやく離すと。

 おばさんは俺に向かって、にっこりと微笑みました。


 ……俺はもちろん、身構えます。

 いや、身構えたからといってうまく切り返すことなどできないのですが。


 『ほっちゃんをよろしくね』


 どうせいつもの言葉が待っているのです。

 ムッとしながら、ずるいとしか返事が出来なくなる言葉が待っているのです。


 

 …………そう、思っていたのに。



「道久君。……穂咲を、どうかよろしくお願いいたします」



 居住まいを正して。

 真剣な、切れ長の瞳を閉じて。


 深々と頭を下げるおばさんに。

 俺は、いつもと違う返事を余儀なくされました。



「……ずるい」



 ずっと一緒に過ごしてきたから。

 今の返事の意味が、全部伝わってしまったのでしょう。


 おばさんは、嬉しそうに顔を上げると。

 颯爽と駅への道を歩き出しました。



 ……

 …………

 ………………



 もう、おばさんの姿は見えなくなったというのに。

 穂咲はいつまでも、そこから動こうとしません。


 そんな穂咲に、お兄さんが声をかけるのですが。


「……バカな女だな、お前さんは」


 いくらいつも通りの穂咲とはいえ。

 今は、いつものようにからかって欲しくはないのです。


「ごめんなさい、お兄さん。いつもみたいな冗談をこいつに言うつもりなら、俺は殴ってでも止めます」

「おお、そりゃ怖い。でもな、こんなのは誰しも経験することだ。お前たちの父さんだって母さんだって経験してきたんだ。独り立ちは、めでたい事。だからバカ女、お前はまず、めでたいと思え」

「……おめでたいの。分かったの」


 そう呟いた穂咲が。

 へらっと笑いながら振り向くと。


 そのおでこに、お兄さんはチョップなどするのです。


「ちょっ! 何するんですか!?」

「……痛いの」


 今にも泣き出しそうな穂咲の両肩を掴んでやりながら、お兄さんを見上げると。


「バカだバカだとは思ってたけど、ホントに度し難いな、お前さんは」



 …………その両の目から。

 涙を流していたのです。



「めでたいからって、悲しいことに変わりはないだろ。……もう、向こうから見えやしねえから。我慢しないでいいぞ」



 そんな言葉が。

 穂咲が心の中で必死に支えていた壁を、粉々に崩してしまうと。


 穂咲は俺にしがみついて。

 大声をあげて、泣き出すのでした。



 ……そんな彼女の髪に揺れていたヒトリシズカが。

 地面に、音もなく落ちてしまうのでした。


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