アセビのせい


   ~ 三月九日(金)  十二 ~


   アセビの花言葉  いつもあなたと一緒



 白からピンクにグラデーションする、ベルのような小花が。

 鈴生りに咲く美しいアセビ。


 でも、いつも言ってますよね。

 毒のある植物はやめなさいって。


 そんな、馬をも酔わせる植物を一日中頭にぶら下げていたのは。

 卒業式が終わってから、今日一日、ずーっと泣きっぱなしの藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪は、式典仕様。

 巻きを落として、後ろに一つに結んで。

 つつましい髪形にしていたというのに。


 その頭に、これでもかと咲き乱れるアセビのお花が。

 雰囲気を台無しにして。

 ばかばかしくて。


 ……だから、卒業生の皆さんが。

 君を見ると、さみしそうな顔を笑顔に変えてくれたのです。



「ほら、いつまでも泣いているんじゃありません。おばさんがまた心配しちゃうでしょうに」

「だって、もうみんないなくなっちゃったの。あたし一人なの」

「なにそのゴーストタウン。三年生だけですよ、卒業したの」


 いまだに学校のシステムを理解してないように聞こえますが。

 感受性が強すぎて、変な発言になっていることくらい分かります。


 藍川家の、いつもの居間で。

 テーブルに突っ伏して、いつまでもめそめそしているのですが。


 でも、そんなにかなしそうにして欲しくはないのです。

 なぜなら、おばさんがこれ以上心配すると。

 穂咲を東京に連れて行きたくなってしまうような気がするのです。



 ……もちろん、穂咲にはその方がいいような気もします。

 だから一生懸命考えたのです。


 穂咲には、どちらがいいのだろう。

 穂咲は、どう考えているのだろう。


 ここ数日、ずっと考えてみたのですが。

 気付くといつも、何も考えることが出来なくなっていて。


 まるで、紙芝居の作家さんが。

 そこから先の物語を書くことを拒絶してしまったかのようで。



 ここから先の物語が。

 なにも見えてこないのです。



 結果、結論など出ないまま。

 今日を迎えているのですが。


 だから、ドラスティックな結論をして欲しくは無いというのに。

 穂咲は俺の気持ちに逆らうかのように。

 お風呂から上がってきて、テーブルへついたおばさんへ。

 とうとう言ってしまったのです。


「ママ。……あたしも東京に行くって言ったら、どうする?」


 テーブルへ身を投げ出しながら。

 まるで俺などいないかのような雰囲気で。


 そんな穂咲の問いかけに、おばさんは一度席を外して。

 仏壇から、おじさんの写真を持って来ると。


 自分の前に置いて、その大きな背中に隠れながら。

 凛とした態度でこう言いました。


「ダメよ。ほっちゃんは来ないで」

「なんで?」

「なんでも。…………ママを、悪者にする気?」


 伸ばした背筋に、少しの寂しさを湛えて。

 穂咲の目を、少し潤んだ瞳でしっかりと見つめながら言うのです。



 悪者、か。

 誰に対して、どんな罪があるというのだろう。


 でもおばさん。

 この場で、悪者がいるとしたら俺かもしれません。


 おばさんの返事に、ほっとしている俺がいるのです。

 ……おばさんの気持ちより、自分の気持ちを優先してしまう俺がいるのです。


「そのお返事がいちばん悪者なの」


 机に投げ出した両腕に顔をうずめて。

 鼻をすすり始めた穂咲ですが。


 随分とひどい事を言い出しましたけど。

 そのとばっちり、俺に降りかかってくるのでやめてください。


「道久君がだらしないから、ほっちゃんがこんなこと言い出すんでしょう」

「やっぱりこっちに来ましたか。……否定しきれないですけども。でも別に、俺にはそんな義理……」

「ほっちゃんをよろしくね」

「……………………ずるい」


 いつもの一言を。

 いつもの笑顔で言われると。


 どうしようもないじゃないですか。


 でも、穂咲は置いていくというエサを目の前に置かれると。

 納得せざるを得ないわけで。


 ……そう考えてしまう自分を、子供なままの自分を。

 無性に情けなくも思う訳で。



 俺はひょっとして、この中で一番子供なのかもしれません。

 穂咲だって、きっと大人の目線でずっと考え続けてきたのでしょう。


 でも、一生懸命考えて導き出した答えを。

 おばさんにはっきりと否定されて。


 いじいじしながらも、大人の対応で。

 自分の頭の葉っぱをむしって。


 かじろうとしたので、チョップです。


「子供か!」

「……痛いの」

「そんなのかじったら酔っぱらいます。アセビって、どんな字書くと思ってるの?」


 馬が酔っぱらう木と書いてアセビ。

 毒のせいでふらふらすることが、そのまま名前になった木ですから。


「…………アセビは美味しいの」

「君が言ってるのはアケビ。一文字違いで大違いです」

「あれ? ……ほんとなの。違うものなの?」


 きょとんと俺を見上げてきますけど。

 これだから目が離せません。


「違うものですよ。『ほさき』から一文字変えたら全く別物になるでしょうに」

「例えば?」

「例えば…………、あれ? 意外と他の言葉にならないね」


 思ったより、随分と難問。

 あれこれ考えているうちに、先を越されました。


「みちひさくんは、道草君になるの」

「しまった。まさかそんな華麗にカウンター食らうとは思いませんでした」

「相手の力を利用して最大限の攻撃を叩き込むの。昨日、授業で学んだの」

「確かに見事ですが、授業中にマンガを読むのは感心しません」


 柿崎君が貸してくれた格闘マンガ。

 授業中に、平気な顔して読んでましたけども。


「道久君が言い負かされてどうするのよ」

「面目ない」

「ああ、心配心配。……ほっちゃんも、道久君にばかり頼らないでしっかりね」


 ようやく矛先が正しい方へ向くと。

 穂咲は顔を逸らして聞こえないフリなどしてしまいました。


「ほんと心配。……でも、これをきっかけに、ちゃんと親離れしなさい」


 おばさんはそう言いながら、おじさんの写真を見つめるのです。


 寂しそうに、辛そうに見つめているのです。




 ――ああ、そうか。




 おばさんも、これをきっかけに。

 子離れしようと決意なさったんですね。


 穂咲のために、自分が我慢して。

 悪者と言われても、嫌われてでも成し遂げなければいけないと、そう思っているんですね。



 ほっちゃんをよろしくね。



 その言葉の影に、もう一つ。

 こんなにも大きな決意が宿っていたということに。

 俺は、初めて気付くことになりました。



「ほっちゃん、ちゃんと返事なさい。……しっかりやっていくのよ?」

「……悪者のママの言う事なんて聞かないの。しっかりしないの」

「こら、そんなこと言ったらダメだから。おばさんが悲しむよ?」

「イヤったらイヤなの。やっぱりあたしも東京に付いていくの」


 穂咲の言葉に、一瞬だけおばさんが息を飲みました。

 そうできたなら。

 いつまでも一緒にいられたなら。

 ……そんな気持ちが、痛いほど伝わってくるのです。


 でも、おばさんは勇気をもって。

 きっぱりと断るのです。


「ダメよ。……道久君が寂しがるわよ?」


 俺を引き合いに出すの、ずるいとは思います。

 でも、今は抗議もできません。


「寂しくなったら、酔っぱらうといいの。てやんでいべらぼうめってくだを巻けば、気が紛れるの」

「駅前の立ち飲み屋に俺を押し込まないでください。高校生の飲酒、ダメ絶対」


 いつもの、バカな発想。

 変わらない穂咲。


 そんな返事に、なぜか安心してしまいました。

 なぜだか、頑張れそうな気がしてきました。


 ……でも、こいつのボケがそんなことでおさまるはずもなく。

 アセビをひと房頭から抜いて、俺の前に置くと。


「違うの。さみしくなったら、その葉っぱをかじるの」

「高校生のアセビ。もっとダメです」


 いつもの、バカな発想。

 変わらない穂咲。


 そんな返事に、不安になってしまいました。

 なぜだか、ダメそうな気がしてきました。


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