リナリアのせい
~ 三月五日(月) 十六 ~
リナリアの花言葉 乱れる乙女心
金曜の全校放送。
あの一足早い送辞のせいで。
一躍、時の人となったこいつは
普通は相談したい人の方が相談所に行列するものでしょうに。
お昼休みには穂咲の所に三年生の皆さんが行列を作ったのですけど。
なんでしょうね、君の人気は。
穂咲はおそらく、一人暮らしの件について皆さんに相談したと思われますが。
そんな先輩から貰った、ひとつの答え。
俺の心をもやもやとさせるもの。
東京の高校のパンフが、藍川家のリビングにぽつんと置いてあるのです。
でもこいつは、不安な俺の気持ちなど知らぬよう。
鼻歌など呑気に歌っておりますが。
軽い色に染めたゆるふわロング髪を三つ編みにして。
そこへ、赤、黄色、白、紫と。
色とりどりのリナリアの房をぶら下げて。
なんだかそれが千羽鶴のように見えて。
なおさら不安になってしまうのです。
そしてもうひとつ。
俺を不安にさせる要因が。
「心配心配」
「平気なの。任せておくの」
おばさんは今頃になって。
急に穂咲を一人にすることが心配になって来たようなのです。
家事特訓は毎日続き。
本日は掃除などしているのですが。
その効率の悪さと言ったらありません。
まず、リビングの床をピカピカに磨いて。
テーブルの上をさっと掃除して。
その後、天井にはたきをかけたら。
「どうなってるのさこの床は」
「あれ!? おかしいの! さっき舐められるくらいに綺麗にしたはずなの!」
「おかしいのは君の頭だと思いますけど」
「心配心配」
おばさんがオロオロとするのも納得です。
どうしてそこまで考え無しなの?
「やだ、ほっちゃん火事とか起こしたりしないわよね?」
「……確かに。やらかしそうなのです」
「そんなことしないの。火の元には最大限注意なの」
「きみ、アイロンがけしようとして俺のYシャツ燃やしたじゃない」
ついこの間やらかした大事件を引っ張り出したら。
こいつは頬をぱんぱんにさせて、俺の頭をはたきでぱたぱたと叩くのです。
「ガスバーナーごときで燃えちゃうYシャツの方が悪いの。あと、道久君が悪いの」
「別に俺が悪いのはいいですが。バーナーの取り扱いには注意してくださいね?」
「心配心配」
椅子に座って、そわそわオロオロ。
いつもは飄々としているだけに。
おばさんが不憫になってきました。
ですがこいつはそんなことも気にせずに。
お料理グッズの入った重たいバッグを引っ張り出してきて。
そこからバーナーを取り出しながら。
「道久君、ナイスヒントなの」
妙な事を言い出します。
「ヒントなんか出した覚え無いよ? 君の人生にヒントを与えるの、無駄ですし。聞きゃしないじゃないですか」
「いいヒントなの。明日のお弁当、いい事思い付いたの」
いい事と君が言うと。
不安しか感じません。
俺も、心配心配。
「お弁当? こんな時期になにかイベントがあるの?」
「ええ。学校の最寄り駅前で美術展が開かれていて、二年生はそれの見学なんです」
「早速下ごしらえをするの」
そんなことを言いながら。
穂咲ははたきを放り投げて台所へ向かおうとするのですが。
「お待ちなさい。君は居間の床をこのままにして行く気なのでしょうか」
「…………あれ? なんで埃まみれなの?」
「なぜでしょうね」
君は散らかりたり汚したりは得意なようですが。
しまったり綺麗にしたりするターンで。
その得意技を発揮しないでくださいな。
「心配心配」
「まあ、最近はお掃除ロボもあることですし。それを買えば平気でしょう」
「……家に入らないの」
「そりゃまたずいぶん巨大なロボ連れてきましたね」
俺がおばさんから不安の種火を少しだけ取り除くと。
穂咲が眉根を寄せた顔で、備長炭をくべるのです。
「お掃除してくれるロボがあるんですよ。というか、こないだ欲しがってたじゃないですか」
「家に入るくらい小さなロボなんて知らないの。どうやって操縦するの?」
操縦しませんよ。
今、君の頭にいる変形合体しそうなロボとは全く違います。
おばさんの心配病が移ってきましたけど。
そして、その心配を取り除く方法、確かにあるのですけど。
……俺は、画期的なアイデアをおくびにも出すことなく。
テーブルを拭くついでに、おばさんから見えない所へ東京の高校のパンフレットを押し込みました。
我ながら、子供じみているとは思うのですけど。
でも、まだ心の準備ができていないようで。
穂咲と離れることを、受け入れることが出来ない自分に。
なんだか、情けない気持ちになるのです。
そんな俺に、耳元から小さな声がかけられて。
思わず緊張してしまいました。
「……道久君、ダメなの」
「え? ……なにがダメなのでしょう」
イタズラを見咎められた子供の心地。
平静を装って、穂咲の顔も見ずに返事をすると。
「せっかく綺麗にしたとこに埃が落ちるの」
「床を先に拭くからそうなるんでしょうが!」
そっちかよ!
……まったく、びくびくして損した。
「君は下ごしらえとやらをしていなさい。掃除はやっとくから」
後ろめたさを親切で誤魔化した俺に。
穂咲はいつもの調子で、イラっとすることを言い出します。
「…………道久ロボなの」
「ロボじゃないです。君には操られません」
「こうすると簡単に操れるの」
そう言うなり、どこから持って来たのやら。
針金のハンガーを、俺の頭にすぽっと被せますけれど。
アンテナのつもり?
こんなのかぶせたところでででででっ!?
「うおおお!? 首が勝手に横に向く! なにこれ気持ち悪い!」
慌ててハンガーを外してみると、不思議現象は治まったのですが。
今の、なに!?
「道久君なんか、簡単に操れるの」
「…………ほんとに操られたんですが」
「心配心配」
「そこ?」
おばさんの心配顔、最高潮。
だというのに、穂咲はずいぶんとご機嫌な様子で台所へ行ってしまいました。
「道久君がそんなに簡単に操られたりしたら、おばさん心配なんだけど」
「このままじゃ、俺が家事を全部やらされることになる」
青ざめつつ、魔法のハンガーを眺めていたら。
おばさんはぽんと手を打って。
「ああ、それならいいのか。ほっちゃんをよろしくね?」
「ずるいです。いや、怖いです」
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