ギリアのせい

 

  ~ 二月二十七日(火)  二十二 ~


   ギリアの花言葉  気まぐれな恋



 寂しい寂しいと言いながらも。

 その言葉の割には平常運転に見えなくもない藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、つむじの辺りにお団子にして。

 そこにギリアをすぽんと一本挿しているのですが。

 正面から見ると、紫色のポンポン咲きがふわふわと頭の上に揺れて。


 ……まるで、うっかり抜け出してしまった魂に見えるのです。


「だから君は、今日はことのほかバカな事ばかりするんだね」

「道久君の物言いが、今日はことのほか失礼でびっくりなの」


 ふくれ面で俺をにらむ穂咲ですが。

 こいつの、こいつたるゆえんと言いますか。


 あれだけぐずぐずと、呼吸の度に口にしていた寂しいという言葉も。

 家に帰るなり心のクローゼットにぎゅっと押し込んで。


 おばさんの前では、心配をかけまいと頑張って笑顔を作るのです。

 頑張って、今日も家事修行に挑むのです。


 そこは素直に健気とは思うのですが。

 そんな優しさも余って、おバカ百倍なのです。


「バカなんて事ないの。ちゃんとこうして洗濯機さんとも意思疎通できるようになったの」

「まだ打ち解けているとは思えません。彼女は君に隠し事をしています」


 洗濯機さんから洗濯物を取り出して、籠に突っ込んでいますけど。

 その籠を手にぶら下げたら、取っ手がひしゃげているのです。


 脱水もせずにこの寒空へ干したりしたら。

 凍るんじゃないかしら?

 

「洗濯機さんの隠し事? 好きな人でもいるの?」

「神尾さんみたいなこと言わないでください。彼女ともっと打ち解けて新たな特技を知った時には、きっと尊敬することになると思うよ?」

「ふーん。……その日が来るのを楽しみにしとくの」


 洗濯籠から水を溢れさせて。

 廊下をびしょびしょにして歩く穂咲の後を。

 雑巾で拭き拭き追って庭へ出ると。


 呆れ顔のおばさんに迎えられました。


「……これ、乾ききるまで何日かかるのかしら?」

「それ以前に、凍ったりしたら生地が傷みませんか?」

「二人ともぶつぶつうるさいの。なかなかいい出来なのに、興がそがれるの」


 なんとも偉そうなことをおっしゃる穂咲ですが。

 口出しされると失敗するからということで、好きにやらせてみたのですが。


 随分と悲惨な未来が待っていそうなのです。



 楽しそうに鼻歌を歌いながら、ぼたぼたと水の滴る洗濯物を干している背中。

 それを、頭を抱えながら眺めていたら。

 おばさんから、いつもの言葉をかけられました。




 『ほっちゃんをよろしくね』




 断るわけにはいかない。

 でも、承服しかねる。


 そんな思いで返事も出来ずにいると。

 まるで聞き入れたかのように扱われてしまう。


 ……ずるい言葉なのです。



 小さな頃からずっと耳にして来たこの言葉。

 いつも、ずるいなって思っていたこの言葉。


 でも、今のような状況で聞かされると。

 穂咲の面倒をみなければいけないわずらわしさよりも。

 おばさんと別れることの寂しさの方が上回って。

 胸が詰まって。


 結果、いつものように。


 返事をすることが出来なくなってしまいました。



 そんな俺の心境も知らぬまま。

 穂咲は洗濯物を干し終えると。

 やりとげた感を満載にして、俺たちの方へぽてぽてと駆け寄ってきます。


「今日のは絶対に合格なの!」

「……まさか、ほっちゃんが脱水機能も知らないとは思わなかったわ」

「それ以前に、夕方に干してちゃダメだろ」


 審査員二人によるダメ出しに。

 ご機嫌笑顔も急降下。

 お日様が、厚い雲に陰ります。


「よく分からないけど、まだまだ上を目指せって言う意味?」

「そういうことね。もっとも、今より下には行けそうもないけど」

「いえおばさん。また、洗濯機自身を漂白し始める可能性も……」

「むう! ちゃんとできたのに不合格? ……あ、分かったの。道久君、あれを引っかければきっと合格だから、すぐ出すの」


 そう言いながら、小さな手を突き出してきますけど。

 ほんとにこれ干すの?


 俺が、ためらいがちに買ったばかりのパンツを渡すと。

 びりびり破った包みを俺に押し付けて。


「そしてまじまじとパンツを観察しなさんな。なんか恥ずかしいからやめなさい」


 ……これは、おばさんが言い出したアイデアで。

 洗濯物に、男性物の下着を混ぜておけば防犯になるという事らしく。


 使っていない新品を提供したのですが。

 こんなの役に立つのでしょうか?


 他にも、おばさんが教えてくれるには。

 危ないから、一人暮らしになったと吹聴しないようにだとか。

 家の明かりは付けっ放しにするとか。

 行ってきますとただいまを家の中に向かって言うだとか。


 心配してあれこれ言うのですけど。

 こいつ、きっとやりゃしませんよ?

 防犯意識ゼロですもん。


 ……しかも、こんなこと言い出すほどおバカですもん。


「道久君。これ、ブーメランパンツ?」

「ぜんぜん違います。それはボクサーパンツ」

「……ひょっとしたらブーメランパンツなのかもしれないの。試してみるの」

「違うと言っているでしょう。どう試すと……、投げやがった!?」


 庭から外に向けて、思い切りパンツを放り捨ててしまったのですけども。


「ほんとに変幻自在なバカですね君は! どうして捨てたのさ!」

「だって、戻ってくると思ったの」


 ブーメランかもって、そういうこと?

 ああもう、頭痛い。


 慌ててお店に回って、パンツを回収するために道路へ飛び出すと。

 見慣れた光景が目に飛び込んできました。


「あれ? 美穂さん?」

「道久君、こんにちは。……よいしょ」


 いつものように、木の枝に向かって飛び跳ねる美穂さんですが。

 今日のターゲットは、低い位置に引っかかっていたようで。

 自力で回収できたのですけど……。


「お花を買いに来たのですけど、これが穂咲さんの庭から飛んで来たのを目にしまして。弟さんでもいらっしゃるのかしら?」

「非常に言いにくいのですが。それは防犯用とのことで、俺のパンツなんです」

「…………………………へ?」


 しまった、言い終わってから気が付いた。

 別にそんなこと白状する必要無かったじゃないか。


 ああ、ごめんなさい。

 美穂さん、わなわなと震えだして。

 顔を見る間に真っ赤にさせて。


「っっっっきゃーーー!!!」

「ぼはっ!?」


 俺の頭にパンツを被せて、走って逃げちゃいましたけど。


 ……お花はいいのかな?



 そんな、パンツを被ったままの俺の姿を。

 店から現れた穂咲が、すごく嫌そうな顔をして見るのです。


「なんでパンツ被ってるの? 変態さん?」

「もとはと言えば君のせいでしょうが。そんな目で見るんじゃありません」


 このパンツを被せてやりたいほど頭にはきましたが。

 女の子にそんな真似するわけにはいきますまい。


 なんとか踏みとどまった俺はパンツを取って。

 穂咲に返そうと突き出したら。


 こいつは、嫌そうな顔をさらに歪めて言いました。


「道久君が使ったパンツじゃ、ちょっと嫌なの。別なのもって来るの」



 ………………。



 被せました。



 すると反撃とばかり。

 ぽかぽかと殴られました。



「……戻って来たの。やっぱりブーメランなの」

「いいえ。間違いなくボクサーです」


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