ユキヤナギのせい


   ~ 二月二十六日(月)  二十三 ~


   ユキヤナギの花言葉  静かな思い



 好きなのか、嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えるのをやめた。


 クラスの、一番左前。

 出席番号一番の席に座る女の子。

 出席番号二番の、俺の隣に座る女の子。


 彼女の名前は藍川あいかわ穂咲ほさき

 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、ほわっとポンパドールにして。

 そこに、小さいながらもユキヤナギを一株まるっと活けていますが。


 ダイナミックに、爆発の煙のように四方八方噴き出して咲き乱れるユキヤナギが。

 歴代最強の称号を与えたいほど、周囲に迷惑で。

 歴代最強の称号を与えたいほど、バカ丸出しなのです。



 さて、そんなお隣さん。

 家も昔からのお隣同士という関係で。

 早くにお父さんを亡くした藍川家は、母娘の二人暮らしなので。

 わが秋山家も、全力サポートしてきたつもりなのですが。


 お金の話しとなると、全力も出しようがないわけで。


 ばっちり稼いでくるわよと、意気揚々と語るおばさんに対して。

 穂咲と言えば、このとおり。


 寂しさを、机に投げ出した体全部で表しているのです。


「さみしいの?」


 そう聞くと。


「さみしいの」


 そう答える。


 そんな会話を、三日も前から延々と続けているのです。


 さて、俺の感情はというと。

 なぜか寂しいという感覚がまったく湧いて来なくて。

 ただ、ぽっかりと大切なものが胸から落っこちてしまった穴に。

 春待ちの、冷たい北風が流れ込むのを感じているのです。


 零れ落ちたものは、とっても大事な物なのに。

 毎晩、涙が止まらないというのに。


 寂しいという感覚が、今はまったく湧いてこないのです。



「ママだけ行っちゃうの。さみしいの」

「分かりますけども。今は授業中ですので静かにさみしがっていてください」

「そんな器用なことできないの。ねえ、さみしいよね」


 俺が相手をすることを放棄したせいで。

 消しゴムに話しかけていますけど。


 そんな穂咲を、励ます手段なんか思い付きません。



 ……………………。



 『ほっちゃんをよろしくね』。



 ことある毎に。

 穂咲がそばにいないタイミングを見計らって。

 おばさんが、いつも俺に語り掛けてくる言葉。


 ……ずっと、ずるいと思っていた言葉。


 そんな想いに、応えてはあげたいと思う。

 でも、それの意味する通りに出来るはずも無くて。


 だって、俺はこいつの事を好きでも嫌いでもないわけで。

 だから。


 ずっと、ずるいと思っているのです。


 せめてこいつが普通の子だったら。

 やぶさかでもないのです。


 だって、可愛いし。

 誰にだって親切だし。



 …………でも、これですから。



「なに作ったの?」

「馬」


 机に寝そべったまま、シャーペンの芯をぽきりと折って。

 さっきまで話しかけていた消しゴムに挿して、足にして。

 首と尻尾も芯で作ると。

 ふせんをちぎって顔を書いて、首にぷすっと刺して。


「さみしいの?」

「さみしいの」


 そうは思えませんけども。

 そう言われるでは仕方なし。


 完成した馬に、単四電池を三つ、縫い糸でくくり付けて。


「年貢の納め時ちゃんなの」

「ほんとにさみしいの?」

「さみしいの」


 そんな、生返事としか聞こえない受け答えの穂咲が。

 何かを思い付いたようで。


 俺の消しゴムも取って馬にして。

 ……いや?


 首、みっつ?


「ヒュドラちゃんなの」

「怖い」


 そして閉じたノートの上に並べて、レース開始。


「ほんとにほんとにさみしいの?」

「さみしいの」


 まったくそうは思えない。

 そう感じながら、呆れ顔でレースの行方を見つめていたら。


 さみしさの証明とばかりに、俺のノートに手を伸ばして。

 シャーペンで『さみしいの』と文字で書かれましても。



 …………楽しそうにしか見えません。



 呆れたやつだ。

 でも、こんなことしていたらすぐに見つかって大目玉だ。


「ヒュドラちゃん、返してもらいます」


 レースも終盤だったのですが、そんなことは俺に関係ありません。

 消しゴムを奪い返して足と首を抜いて。


 穂咲が俺のノートに書いた『さみしいの』を消し始めた所で。

 先生の丸めた教科書が頭に落ちました。


「さっきからうるさいぞ。なんできさまはいつもいつも。もう二年生になろうというのに」

「だってこいつが……」


 言い訳しようと穂咲に振り向けば。

 しょぼくれながら、手元に残った年貢の納め時ちゃんを指で突いているのです。


 やれやれ、仕方ない。

 溜息と共に席を立つと。

 気を遣ってくれたのでしょうか。

 穂咲が俺の袖をくいくいと引くのです。


「……なんでしょう? 自供する気になったのでしょうか?」

「一人で立たされたら可哀そうだから、この子をお供に連れて行くの」


 そう言いながら、年貢の納め時ちゃんを俺の手に握らせてきたのですが。


「首が増えとる!」

「ヤマタノオロチちゃんなの」

「…………ねえ、ほんっとにさみしいの?」

「さみしいの」


 呆れたあまり、溜息をついたのですが。

 急にその時、あの言葉が頭をよぎったのです。



 『ほっちゃんをよろしくね』。



 ずっとずるいと思っていた言葉。

 でも、その真意に、今ようやく気付いた気がするのです。


「…………先生。こいつの為にならないからちゃんと言います。遊んでたのはこいつです。俺は真面目にノートを取っていました」



 そうだ。


 よろしくねという言葉には。


 悪いことは悪いと教えてあげる。

 正しい事を褒めてあげて、間違ったことにはちゃんと罰を与えるように。

 そんなおばさんの想いがこもっていたんだ。



 ……少しの静寂。

 俺の想いが、そしておばさんの想いが伝わったのか。

 先生は珍しく口元に笑みを湛えつつ。

 俺のノートを指差しました。


「それのどこが真面目なんだ」

「え?」


 穂咲が書いた『さみしいの』。

 それを消した消しゴムの軌跡通りに、ぐにゃぐにゃの線が書かれているのです。


「あれ!? …………これってまさか!」


 やっぱりだ。

 消しゴムの先端に芯が埋め込んである。

 子供みたいなことしやがって。


「ノートに落書きはするな。まあ、今日は見逃してやる」


 おお、珍しいこともあるもんだ。

 俺はちょっとした奇跡に感動しつつ椅子に座ると。

 先生は鼻を鳴らしつつ黒板消しを手にして。



 黒板の英文を消したら。

 その軌跡通りにチョークの線が書かれました。



「巧妙だね、君のいたずらは。ほんとにさみしいの?」

「さみしいの」


 でも、その寂しさを罠に変えて俺をいたぶるのはやめて欲しいな。

 先生のにらむ先、君の狙い通り俺なのですが。


 そりゃそうだ。

 今しがた、同様の手口を見たわけですし。


 やれやれ、先生の手を煩わせるわけにもいくまい。

 俺は冤罪を負わされたまま、オロチちゃんを手に廊下へ向かうのでした。



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