第205話 世界平和のために


 サイ・カリーナという町がある。カリーナ神殿、その本殿がある町だ。


 普段は静謐で、穏やかな空気が流れている町だったが、今日はただ居るだけで冷えた汗が総身に噴き出し、本能的な怖れが体を震わせる。


 古びた石造りの本殿の裏手に小さな庭園があり、泉水が作り出す清らかな小川が小島のように点々と置かれた岩の間を流れていた。


「司祭様・・」


 呼ばれて振り向くと、神殿騎士団長のミューゼルが立っていた。甲冑の上から礼装用のマントを羽織っている。


「参りましょう」


 レイン・フィール・・聖女と称されるカリーナ神殿の司祭は、緊張した面持ちのまま着ている司祭服に乱れが無いか確かめ、促されるままにミューゼルの先導で歩き出した。


 いつも見慣れた大理石の回廊が、ずいぶんと寒々しく感じられる。


 向かうのは大聖堂だ。


 そこに、大陸中から有力者が集まっている。

 人々を滅びから救いたい。その一心で各所に相談に出向き、その都度落胆しながら、それでも人間の未来を諦めきれずに足掻あがいていた。

 そんなレインに、救いの手を差し伸べてくれたのは、アマンダ神官長だった。

 もっと早く相談しろとしかってくれた。


 大陸各地の有力者達に声をかけ、集まるように告げて回ったのは、アマンダ・ターレイ神官長だった。いったい、どういう伝手があるのか・・。


 大聖堂の大きな扉を前に、選ばれた神殿騎士の精鋭9名が整列して待機していた。ミューゼルの合図で左右に分かれてレイン司祭を迎える。


「到着されているのは?」


「疎開区を代表してレンステッズ導校」


 女騎士ジークールが手にした帳簿に眼を落としながら答えた。


「西大陸のカサンリーン王国よりラオン・ジーレ国王、古代樹の森から賢者コーリン、北辺魔族領から沌主アウラゴーラ、同じく沌主ジュリール、沌主ミッテルド、天空界よりライリュール皇太后、ミジューレ皇太子、南辺魔族領から沌主ヴィ・ロード、沌主ロダイン、沌主ダイトウ・・・すでに御到着です」


 ジークールの顔は緊張で青ざめて居たが、声音は落ち着いている。


「皆さん、お早いお着きね」


「アマンダ神官長がご対応されておいでです。リアンナ様も直に御到着されると・・お伝えするよう仰せつかりました」


「・・来て下さるのね。安心しました」


 言葉の通り、ほっ・・と息をついて、レイン司祭が強張こわばった顔に安堵の笑みを浮かべた。


 カリーナの総力を挙げても、抑えられるような面々では無い。

 いざ揉め事になれば、取り返しの付かない甚大な被害を巻き起こすだろう顔ぶれだ。

 そもそも、魔人の・・それも頂点に居る者など、伝承の中でしからない存在なのだ。加えて、天空人・・伝説で語られる賢者まで来ていると言う。


「東大陸の代表者達は?」


「残念ながら・・レンステッズの方々しか参っておりません」


「・・そうですか」


 キルミスにそそのかされてレンステッズを攻めようとした主要各国の軍は文字通りに大地の肥やしとなった。そもそも、国家の体を成している国が少ないのだ。東部沿海側にはいくつかの国が存続しているはずだが、さすがに距離が遠過ぎるのか。


「転移など、普通はできませんしね・・」


 小さく苦笑を漏らす。

 本来、転移などは伝説上で語られるだけの魔法なのだ。実際に使える者など存在しない・・事になっている。転移門のような魔導施設などが遺されているため、そうした魔法があるかもしれないと魔導研究者が空想を膨らませるだけのもの・・だったはずなのだが、


「この頃は、もう何が常識なのか・・分からなくなりました」


 レイン司祭が溜め息混じりに言って首を振った。


 その時、大聖堂の扉が内側から開かれた。


「レーちゃん、早く入って。みんな待ってるよ」


 顔を覗かせたのは、アマンダ・ターレイ。5歳児のような姿をしているが、カリーナ神殿の神官長である。


「総てにおいて、私の手に余ります。よろしくお願いします」


 レイン司祭が身を低くして頭を下げた。


「うん、任せて。神殿の中で危ない事が起きないようにはするから。喧嘩は外で、中では話合い。それで良いでしょ?」


「・・よろしくお願いします」


 本当なら、喧嘩そのものを止めて欲しいところだが、さすがに望み過ぎだろう。


「大丈夫ですよ」


 アマンダ神官長が、レイン司祭の手を引いて大聖堂へと入る。

 途端、外では感じられなかった重苦しい緊張感に包まれた。


「失礼します。遅くなりました」


 軽く頭を下げながら、レイン司祭は広々とした聖堂の中、壇を中心に半円状に設けられた席を見回した。


「あの辺が、北の魔人達。あっちが、南の魔人ね。それで、あっちの隅っこがレンステッズで・・」


 居並ぶ面々の視線が集まる中、アマンダ神官長が至極簡単に説明する。

 座席の場所も、アマンダ神官長が決めたものだ。詰めれば1000名近い神官総てが入れる大聖堂だ。広々とした座席を、大きく区分けして割り振ったらしい。


「レーちゃん達はそこの演壇脇ね」


 手を引かれて連れて行かれたのは、扇状に並んだ座席から見て、前方中央部に設けられた壇上の席だ。

 後ろを付き従う神殿騎士達の緊張が気配となって伝わった。


「分かりました」


 足がすくむような思いをしつつ、大きく息を吸って前を向いて歩く。

 この会合を起案したのはレイン司祭自身だ。ここでづく訳にはいかない。


 誰も一言も声を発しない中、甲冑の擦れる音と靴底が床を打つ音だけが、聖堂の天井へと伝い響いていた。


「後は・・リアとシン君ね」


 アマンダ神官長が壇上から座席を見回して言った。


「失礼・・」


 西端の方の座席に座っている集団から1人挙手しながら立ち上がった。耳の形からして犬種の獣人である。まだ10代半ばだろう若者だ。


「カサンリーンのラオンと申します。アマンダ殿にお訊ねしたい」


「どうぞ?」


 壇上で、アマンダ神官長が小さく首を傾げる。


「シン殿は・・この場に、おいで下さるのでしょうか?」


「もちろんです」


「・・ですが、あの方は転移を自在になさいます。なぜ、御到着が遅れているのでしょう?」


「リアと・・リアンナとお話があるみたいです。この集まりとは別の件だと思いますけど」


「・・そうなのですか。卑下するつもりはありませんが、我が国はようやく再興を果たしたばかりの小国です。このとおり、王である私自身が未熟で、この場の皆様とは釣り合わないと思ったものですから。ただ・・シン殿がいらっしゃるならお目にかかっておきたい」


「大丈夫ですよ~? リアとシン君が来たら、誰も釣り合いませんから。だから、みんな一緒です」


 アマンダ神官長がにこにこと笑う。


 一瞬、空気が揺らいだようだったが、それについて異論を唱える声はあがらなかった。


 その時、


「遅くなりました」


 短く告げて、壇上に紅白の甲冑を着たダークエルフが現れた。

 清冽な気が吹き抜け、一瞬にして大聖堂の空気がひりつくような緊張に包まれる。先ほどまでの重苦しい気配から、できる限り静かに息をひそめようという気配へ・・。


 そんな空気の中、


「遅いよ、リア! シン君は?」


 アマンダ神官長が両手を腰に当ててリアンナをにらんだ。


「キルミスの遺物を整理させています。すぐに来るでしょう」


 言いながら、リアンナの切れの長い双眸が集った者達を一瞥した。


「ふうん・・まあ、来るなら良いか」


「頼みがある」


 手を挙げたのは、南領の沌主ヴィ・ロードだった。


「なんです?」


 アマンダ神官長が顔を向けた。


「ヨルンツ混沌の沌主、ヴィ・ロードだ。ずいぶんと前になるが、シン・・という者とは剣を交えた事がある。あの時の若者がどの程度に育ったか興味があってな」


 頭部に角を持つ巨漢が穏やかにも聞こえる声で言った。


「それで?」


「集まった用向きは理解しているが、そのシンという者とは剣を交えたい」


「終わった後なら良いよね?」


 アマンダ神官長がリアンナを振り仰いだ。


「あの子は戦いを避けません。戦いを望めば受けるでしょう」


 リアンナが頷いた。


「そうこなくてはな。よしっ、我がヨルンツ混沌領は、聖女レインとやらの申し出を受けよう」


 ヴィ・ロードが尖った犬歯を覗かせて満足げに笑った。瞬間、その場の全員が一斉に扉の方へと眼を向けた。

 扉の外に、気配が湧いて出たのだ。


「来たか」


 それまで沈黙を保っていたラキン皇国の皇太后が口元をほころばせた。


 すぐに扉が開かれ、大剣を背負った巨漢、そして凶刃のような目付きをした痩せた男が大聖堂に入って、戸口の左右へと立った。

 その2人を見ただけで、沌主達の連れている魔人達が息を呑む。


 続いて入ってきたのは、まだ14、5歳くらいの人間の少女達だった。まだ幼さの残る綺麗な顔立ちをした娘達だが、ちら・・と聖堂内へ配られた視線に、沌主達が思わず身構えそうになるくらいの凄味が感じられる。


 そして、


「多いな」


 若々しい声と共に、話題の花妖精シンが姿を現した。


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