第194話 薔薇の饗宴


 レンステッズの北部から東部にかけては赤茶けた荒れ地となった丘陵地、南部へ回ると草原に覆われた平野部、さらに南方へと進めば無数の小河川が入り組んだ湿地帯になる。

 見晴らしの良い東部側より、多少迂回してでも草木の残る南側、西側にまで迂回できれば低木や伸びきった草花に身を隠しながら近付くことが出来るのだが・・。


 西側まで回ると、巨大な銀毛の魔獣がやって来てしまう。

 遠くから現れるのでは無い。

 いきなり、何の前触れも無いまま間近に姿を現すのだ。


(クソっ・・・鬱陶しい犬めが!)


 黒衣の隠密集団が、レンステッズの城壁を目前にして足留めをくらっていた。


 当然と言えば当然だが、眼と鼻と耳が良く、夜陰に忍ぶ者にとっては最悪の相性だ。考え得る様々な方法で侵入を試みるのだが、悉く失敗して大地の肥やしとなっていた。

 

 たった一頭だからと、散開して方々から侵入を試みたこともあったが、あの巨大な魔獣が分身でもしたかのように、全員の前に同時に出現し、そして前脚の一撃で全員を踏みつぶしてしまった。

 

 ウーランが誇る隠密集団、その中核を担っている暗殺教団の精鋭集団だった。

 数カ国からなる大同盟の総意として、レンステッズに居るという花妖精の暗殺を託されたのだ。長大な暗殺教団の歴史を紐解いても、これほどまでに公然として、堂々たる暗殺依頼を受けたことは無い。


(町中へ入ってしまえば・・)


 無闇に攻撃を受けることは無くなり、人の中に紛れて城館を探るのは容易いはずだ。


 だが、忍び込むどころか、レンステッズの城壁へ近寄ることすらできないまま、時間だけが過ぎていた。


「あの化け物、東側には来ませんな」


 配下の1人が戻ってきた。


「距離は?」


「700メートルほどまで寄りました。それ以上は、身を潜める起伏すらありません」


「・・この4日、守兵の動きに乱れが無い。例の魔獣に襲われている間でさえ、大きな動きは見せなかった」


「練度は高そうですが・・正面から戦う事はありません」


「もうすぐ雨になる。決行だ」


 男は雲の流れる夜空を見上げた。


「どちらを?」


「東だ」


「畏まりました」


 滑るように後退って夜陰に沈む。


(・・雨程度で欺ければ良いが)


 連れて来たのは、総勢500名の精鋭中の精鋭ばかり。


 どんなに武勇に優れた人間でも、口にする全ての食べ物や飲み物を警戒し続ける事は出来ない。どんなに毒に耐性があろうとも、ウーラン秘伝の猛毒には耐えられない。500名の内、数人だけでも侵入できれば、ウーランの毒が花妖精を殺す。

 侵入の成功が、すなわち暗殺の成功となる。


 黒衣の集団は音も無く移動し、東側の荒涼とした丘陵地に集結した。


「総員で仕掛ける。城壁を越えた後は、街中にて浸透。軽々に次の動きをとらず、町の人間として生活の基盤を築け」


「皆、心得ております」


「よし・・」


 小さく首肯した時、上空から大粒の雨が落ち始めた。

 幸運な事に、地面で飛沫が散り煙るほどの雨になった。


「行きます」


 成功を確信して、男達の表情が明るい。

 足音も気にしなくて良い。臭いも消える。姿は雨が隠してくれる。この上ない好機の到来だった。


 黒衣に身を包んだ500名が豪雨の中を走り始めた。距離にして700メートル。雨が弱まる前に城壁へ辿り着かねばならない。


(・・この雨は続く)


 小一時間は降るだろう。


 1人残って見送った指揮官が、300メートルほど後退した場所にある巨岩の散乱した場所に向かった。巨岩の陰から穴を掘り、身を潜めるための隠れ家として、地下室を作ってある。 まだ5人ほどしか入れない広さだが、万が一、今回の仕掛けが不備に終わったとしても、次の仕込みのための拠点にできる。


 糸綴じの帳面に手早く行動記録を記し、防水用に脂を吸わせた紙で包んだ上で、丈夫な箱へ収めて魔導の鍵をかける。


(・・よし、行くか)


 まだ雨音は聞こえている。

 

 男は身を翻して強雨が降りしきる野外へ出た。そのまま、水煙の中を疾駆する。

 身を屈めて走ってしまうのは長年の務めて染みついた習性だ。


(前はおろか、足元すら見えないな)


 やや俯き加減になり、頭巾の前を片手で引いて庇にする。


(ん・・?)


 視界の隅に何かが見えたようだった。


 瞬間、男は即座に身を屈めて動きを止めた。


(・・気のせいか?)


 視線を巡らせるが、雨中に動いている物は感じられない。

 狭い視界だ。

 仮に城外を哨戒しているような兵士が居たとしても、よほど近付かねば、互いの顔すら判別できないだろう。


(居ない・・な)


 そう見極め、男は再び走り始めた。


 しかし、すぐに動きを止めた。

 凍り付いたように身を硬直させ、よろけるようにして後退る。


 そこに、薔薇が咲いていた。

 真っ赤な薔薇の花が無数に咲いていた。


(・・クソッ)


 男は腰の短刀を引き抜いて身構えながら、身を屈めて左右へ視線を走らせた。

 

 土中から生え伸びたイバラが、黒衣の男を幾重にも絡め取り、とげを伸ばして衣服を・・皮膚を貫き徹していた。土中から生えているのは、たった一本のイバラだ。どこにでも生えているような細い野茨の茎に見えるのだが、まるで触手のように黒衣の男を絡め取って締め付けているのだ。


(妖花か・・他の者達は?)


 必死の眼で捜すが、水煙が激しすぎて見える範囲には居ないようだった。


 わずかに考えて後、男は土中から生えたイバラに近付くと、細い茎めがけて短刀で斬りつけた。


(うっ・・あっ!?)


 斬りつけた短刀が乾いた音を立てて弾き返された。それどころか、イバラの茎にある小さな突起状のとげが鋭く針のように伸び、短刀を握った手を襲ってきた。


 寸前で腕を引き、さらには地を蹴って大きく跳び退った。

 足元の地面を割って別のイバラが生えてきたのだ。


(馬鹿な・・)


 跳び退った場所、その直ぐ近くで、別の薔薇が香っていた。

 恐る恐る視線を向けると、激痛に歪んだ形相のまま息絶えた男が薔薇に覆われていた。


(・・妖花の罠だったのか)


 歯噛はがみをしながら、周囲を素早く見回し、じりじりと後退を始める。

 直後に、


(・・っ)


 危うく地面から足を離して宙へ逃れた。

 足下すれすれを地面から生え伸びたイバラが掠めて過ぎる。その茎から、鋭くとげが伸びてきたが、男は落ち着いて短刀で打ち払っていた。


 植物とは思えない、金属質な衝突音が響く。


(だが・・)


 予想の範囲内だ。

 地面から不意を突いて伸びるイバラ。その茎から勢いよく伸びるとげ・・。


 さらに、一度、二度ととげを斬り払い、着地すれすれで身を捻った。新たなイバラが地面を割って生えてきたのだ。男は咄嗟の動きで手で地面を突いて宙に身を舞わせながら、忘我の域に身を任せて、次々に襲い来るイバラを回避し、とげを払いながら必死に遁走を試みていた。


 しかし・・。



「ぇ・・あ?」


 男は雨中を見上げるようにして呆然と声を漏らした。


 いつの間に出現したのか。逃げようとする方向に、大きな薔薇の生け垣が出来ていた。幾条ものイバラが絡み合って作り出された巨大な生け垣だった。


「くっ・・」


 向きを変えて別の方へと動きかけ、


「あぁ・・」


 男は顔を引きらせた。

 そちらにも、生け垣が出現していた。

 いや、活路を求めて見上げた上方までも、すでに茨の壁によって覆われてしまっていた。


「ぃぎぃっ・・」


 跳ねるように身を仰け反らせて男が硬直した。地面から生え伸びたイバラが、動きを止めた男の右足をからめ取りとげをびっしりと伸ばして貫き固定してしまっていた。


「お、おのれっ・・」


 短刀で斬り払おうと腕を振り下ろそうとするが、男の股間をイバラが刺し貫いて体内へと潜り込み、気道を喰い破るようにして生え伸びると、絶叫を上げようとする男の口から突き出てた口腔いっぱいに茎を太らせていた。


「ふ・・ふぶぅっ!」


 悲痛な形相で何とか呼気を漏らした男だったが、そのまま絶命していた。

 直後に、男の体に無数の蕾が散りばめられ、次々に大輪の赤い薔薇が咲いていった。



 激しく降り続ける豪雨の中、脳奥を溶かすような甘い薔薇の香りが漂い、遠くレンステッズの城壁の上で、見張りの兵士が青ざめた顔を痛ましげに曇らせた。


「俺・・好きな娘ができても、薔薇は贈れないな」


 若い兵士は、思い詰めたような顔で呟いた。


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