第185話 玉手箱
(さて・・どうしようか)
レンステッズの地下深層へと降り立ち、黒い立法体に手を触れながら、脳裏に浮かび上がる選択肢を前にして迷っていた。
・・私は、世界中の生き物を死滅させることができる。
・・私は、世界中の生き物を創り変えることができる。
・・私は、世界中の生き物を従属させることができる。
黒い立法体の中から声が伝わり聞こえてくる。
どれも、面白そうな気はするが・・・。
(選ばない・・というのも選択肢か)
世界を死滅させることも、従属させることも、いずれ力を付ければ可能になることだ。生き物を創り変えるというのは、カンスエルがやっていたような事の延長だろう。
(魔王の筺・・か)
面白い名前を付けたものだ。
黒い立法体の名称は、魔王の筺というらしい。各地に封じられている筺に、それぞれ別の選択肢が存在しているのだろう。中には、もっと面白そうなものがあるのかもしれない。
だが、今の俺には、この世界の人間が識ってはいけない知識がある。
おそらく、例の次元の者達によって消し去られるだろう、こちらの世では"禁忌"となる知識だ。
正直、こんな玩具のような仕掛けに頼らなくても、生き物を死滅させることも、創り変えることも、従属させることも出来てしまう。
(・・ミズラーナというのか)
製作者の名前を確認しつつ、俺は背後に控えている面々を振り返った。
ヨーコが胸元で拳を握って食い入るように見ている。その背中に隠れてサナエが顔だけ覗かせている。リコは無表情に見つめたまま・・エリカはその3人を掴んで、いつでも瞬間移動する構えだ。
(・・信用無いな)
苦笑を漏らし、俺は魔王の筺に向き直った。
昨日今日の付き合いでは無い。
そろそろ信頼しれても良いようなものだが・・。
(だが、確かに・・)
力無い者がこの筺を前にすれば、どれかを選択してしまうだろう。
(レイジ・コーダ・・あいつは、何を選ぶつもりだったんだ?)
一つの筺で選べる力は一つのみ。
レンステッズの筺がやたらと狙われたのは、レイジ・コーダという魔王が望む力が封じられていたからか?
魔王の筺を開けられるのは魔王となった者のみ・・。
そして今代の魔王は、レイジ・コーダと定まった。
(だが・・俺も筺の中身を覗ける。たぶん・・中の力を選択できてしまう)
俺は、魔王では無い。
世の摂理で言えば、今代の魔王が滅んだ以上、次の魔王出現までは500年は必要になる。その間、魔王の筺は封印された謎の立法体として各地で眠りにつく。
そう定められた摂理を曲げて、今の俺は魔王の筺に干渉できるのだが・・。
(・・500年後に、別の魔王がレンステッズの筺を開けると厄介か)
どの程度の力なのか。おそらく、俺自身は影響を撥ね除けて存在できると思うが、他の者達は・・。
(キルミス・・あいつは、魔王の討伐と魔導具の破壊しか依頼して来なかった)
なぜだろう?
ちゃちな玩具の破壊を依頼する必要がどこにある?
魔王鏖殺の特性まで与えて、魔王討伐をさせたのは何故だ?
(あいつの考えは分からないが・・)
俺の中にある知識で何か無いだろうか?
筺に手を触れたまま俯くようにして沈思を続ける俺の様子を、4人が不安げに身を固くして見守っていた。
この筺が何なのか。どういう物なのかは伝えてある。
その上で、俺がどうするつもりなのか・・。
震えを帯びた4人の視線の先で、彼女達の先生が魔王の筺を前にして佇立していた。
彼女達の先生が何を選択し、どんな事になっても受け入れる。そう決めて来た4人だったが・・。死ぬにしても、いきなりというのは悲しい。ちゃんと起こった事を理解して、できるなら抗ってから死を迎えたい。
「長いね・・」
ヨーコが隣のエリカに囁いた。
「うん・・先生が悩むなんて珍しいよ」
「どんな力なんだろうねぇ~?」
「・・魔王のための力でしょ?」
リコは素っ気なく答えながら、緊張していた体を解すように大きく、ゆっくりと深呼吸をした。
いざとなったら、エリカの瞬間移動を外して、先生の元へ向かうつもりだった。
逃れても死、逃れなくても死・・。
それなら、真っ直ぐに・・最期くらい逃げずに居たい。
「オリさん達、大丈夫かなぁ~?」
サナエが、オリヌシ達の心配を口にした。
西の大陸で、カサンリーン王国を助けて魔物を相手に奮戦しているはずだ。魔王が斃れたことで、魔物の攻勢が弱まっているかもしれない。
「こっちが大丈夫じゃなくなりそうだけどね」
ヨーコが片目をつむってみせる。
「もう・・みんな逃げる気無いよね?」
不意に、エリカが呟いた。
「えっ・・?」
3人がエリカを見る。
その視線を、エリカがじっと見つめ返した。
「・・ごめん」
「ごめんよぉ~」
「ごめんなさい」
ヨーコ、サナエ、リコが相次いで頭を下げた。
「良いけど・・私も逃げないし」
エリカが俯きがちに小さく息をついた。
「ここまで先生に助けて貰ってて、危なくなったから逃げ出すって・・無いなって思ってた」
「うん、そうだね」
ヨーコが頷く。
「どうせ、どこに逃げても終わりなのじゃよぉ~」
サナエがやけくそ気味に言って胸を張った。
「・・でも、ただ死ぬつもりは無いわ」
先生が何を得て、何をしようとするのか、それを見極めて・・。
「それがみんなを・・私達の知っている人達を悲しませるものだったら、止めるように説得してみるつもり」
「リコ・・」
エリカが軽い驚きを浮かべて、リコを見た。
「ふわぁ~、リッちゃん男前だぁ~」
「・・でも、サナちゃんも、そのつもりだったでしょ?」
ヨーコが笑みを浮かべてサナエの肩を抱いた。
「もちろんじゃよぉ~、でも・・あくまで説得だかんねぇ~? 戦いませんけど、よろしいか?」
「わかってるわよ。私だって先生と戦うつもりなんか無い」
4人総掛かりでも秒殺で返り討ちなのだから・・。
「先生の左手に食べられたら、どうなっちゃうんだろう?」
エリカがぽつりと呟いた。
魔王レイジが呑み込まれ、悲鳴をあげた様子が思い起こされる。
ああいう最期は迎えたくない。
「うちら、美味しいのかな?」
ヨーコが小首を傾げた。
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