第178話 大本営にて・・。

 早朝、荒れ果てた荒野の向こうが明るくなりはじめた時分、白々としてきたレンステッズ導校の中庭に、神獣バルハルが背負った立派な館が鎮座していた。

 雨戸を開け放った窓からは淡く明かりが漏れ、朝餉あさげの支度でもしているのか、微かな炊煙が立ち昇って、辺りに良い匂いが漂っている。

 

「お早う、リッちゃん」


 炊事場に声を掛けながら、エリカとサナエが連れ立って居間へと入って行った。

 その炊事場では、この上なく集中した顔のリコが、真剣な眼差しで計量枡を手に黒っぽい色をした調味料を計っている。まだ夜も明けきらない内から準備を開始し、今の今までかかって、2品が出来上がったところだった。


「リッちゃん、それ大枡おおますよ?」


 ふと手元を見たヨーコが声を掛けた。


「・・やっぱり、多い?」


「っていうか、それ胡椒こしょうじゃん? つぶさないと駄目よ?」


「そうなのね」


「それで、小枡で一杯入れて味見ね」


 ヨーコが指示する。


「・・3人分が小枡で一杯半でしょ? 6人分なら倍じゃないの?」


 リコが首を傾げた。


「それが違うのよ、単純に倍を入れちゃうと、すっごいキツイ味になるから」


「そうなんだ・・不思議ね」


「面倒でも、調味は薄味から少しずつ足していった方が大きな失敗ないよ?」


「そっか・・」


「足りない分には、後で足したって間に合うから。濃すぎたら、取り返しがつかないよ」


「・・分かった」


 ヨーコの丁寧な説明を聴きつつ、リコが魔法で胡椒の粒を浮かび上がらせ粉々に砕いて粉末に仕上げる。


「黒胡椒は、粗めに砕いた方が香りが楽しいよ」


「うん」


 微細な震動魔法を駆使して、黒胡椒を砕いているリコの様子を微笑ましく見やりながら、ヨーコも居間へと入って行った。


 居間では、膝にリリアンを座らせたゾール、エリカ、サナエが食卓を囲んで待っている。


「もうちょっとかも」


 ヨーコが笑いながら席に着いた。


「えぇ~、後どのくらいぃ~?」


 サナエが呻き声をあげて卓上に突っ伏す。


「もうすぐよ」


 エリカが湯気の立つカップを手に笑う。


 食事は当番制である。

 ちなみに、食卓に座っている面子の中では、ヨーコの腕が良い。次いでゾール、エリカ、サナエ・・の順だ。


「あ~あぁ・・タロンちゃんが居たらなぁ~」


 サナエが、オデコを食卓に当てたままブツブツと言っている。


「・・・先生ぇ、まだ具合悪いのぉ~?」


「昨夜も、苦しそうにしてたから・・まだ、もう少しかかるかも」


 エリカが首を振った。


「先ほど、タロン殿がこれを」


 ゾールが糸じの帳面を卓上に置いた。

 3人が顔を見合わせ、ヨーコが代表して受け取る。書かれていた字を眼で追って、すぐにエリカへと帳面を手渡した。エリカ、サナエと順番に読んでいく。


「・・少し時間が空いたけど、まだ諦め無いか」


 ヨーコが不機嫌そうに呟いた。


 その時、


「お待たせ」


 リコが居間へと入って来た。周囲に、出来上がったらしい朝食を載せた皿が浮遊している。

 実に鮮やかな操作によって、各人の目の前に4皿ずつ並べられていった。

 こんがりと色よく焼かれたパン、スクランブルエッグ、茹でたソーセージ、野菜と鹿肉を煮込んだスープ、甘酸っぱい味のするリチという果実である。


「これ・・どうして、そんなに時間がぁ・・?」


 何やら言いかけたサナエが、大急ぎで手を伸ばして自分の皿を捉まえた。

 ふわりと浮かんで飛んで逃げて行きそうだったのだ。


「冗談でありますぅ~~、とっても美味しそうなのですぅ~~」


「サナのは、ちょっと多めに入れてあるわ」


「えぇ~? なにがぁ~? なにが多めぇ~?」


「食べれば分かるわよ」


「・・ほほうぅ、この美食の女王に挑戦ですかなぁ?」


「リッちゃん、これ先生から」


 ヨーコが帳面を手渡した。


「・・・なるほどね」


 リコが小さく頷いた。


「先生の様子、どうでした?」


「何とか耐えておられるようですが・・」


 ゾールが沈鬱そうに顔を歪める。凶相がいよいよ不吉な陰影を刻んだ。


「先生の事だから時間さえ経てば心配いらないと思うけど・・今、総力で攻めてこられると厳しいよね」


 ヨーコが腕組みをした。


「そうね。でも、そうはさせないわ」


 リコが、真っ白いソーセージにナイフを入れながら言った。


「どうする?」


「向こうは、こちらの誰かを孤立化させての捕獲狙い・・よね?」


「また、エリとヨーコぉ~?」


 訊きながら、サナエが、二枚のパンでソーセージと卵を挟んでかぶりついた。じっと見ていたリリアンが、それを真似したいらしく、凶相の父親にせがんでいる。


「レンステッズ側とパーリンス側を同時に攻略・・魔神混じりの魔人兵でしょうけど」


「こちらを分断させて、各個に狙って来る感じかな?」


 エリカが微かに首を傾げつつ、スープカップをそっと卓上に戻した。


「でも、造り物の龍とか弱かったし、魔神も・・ねぇ?」


 ヨーコの方は、噛んでいるのか疑わしいほどの速さで完食している。すでに眼は大皿に盛られたでソーセージへと注がれていた。


「たぶん、魔人か魔神を素材に使ってるからじゃない? うちら、キラー持ちじゃん」


「向こうも、そのくらいは分かってるでしょ。合成体を・・あぁ、合成体の成分・・比率を変えれば、キラーの効果が出にくくなるかな? そのくらいはやってくるかもね」


「キラー効果無しだと、数で圧倒されるかな?」


「まあ・・だんだん厳しくなるだろうね」


「でも・・それって、敵兵全部が煌王以上だった場合よね?」


「魔神とかを素材にしているから強さを出せているんでしょ? 素材変えちゃったら弱くなるんじゃないの?」


「・・だから、うちらなんじゃない?」


 ヨーコが苦笑を漏らした。

魔にらない強素材として狙われているのだろう。シンに対する交渉材料にするという間が抜けた目算もあるようだが・・。


 彼女達の先生が意識を失って倒れてから1月ひとつきとうとしている。

 心配したタロンやラースが側を離れず、バルハルは鎮座ちんざしたまま動こうとしない。オリヌシ達は、西大陸のラオンを救援に向かった。今しばらくは、ゾール父娘と、4人の少女達で新生魔王軍の攻撃をしのがなければならなかった。


 無論、この場の1人として、シンの快復を疑っている者は居ない。先生は、必ず元気になって眼を覚ます。それまでの間、どうやってレンステッズやパーリンスを守り抜くか。そして、自分達自身をどう守ればいいのか・・。


 カンスエルという男は、危険だ。

 あの男が館を訪れた時に感じたのは死闘の予感だった。まがい物の魔神など問題では無いが、あのカンスエルという男だけは危ない。


(負けない・・)


 とは思う。

 ただ、どこかで僅かに不安が残るのだ。何の根拠も無いことだが、1人で相手をしてしまうと、やられそうな気がしていた。これは、4人全員がそう感じている。


 膨大な準備時間に比して、とても短く終わりそうだった実食の中、


「おとさん・・おねぇちゃん」


 口に入りきらない二枚重ねのパンと格闘していたリリアンが、俯くように食卓を見つめながら小さく声をあげた。


 ぴたりと4人が口をつぐみ、愛らしい幼子を見つめる。


「あちこちに、いっぱい・・・すごくつよい」


 リリアンが、泣き出しそうな顔で少女達を見回し、すがるようにして父親を見上げた。


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