第177話 スターダスト
「闇鬼衆より報告・・・前方、渓谷部に敵影無し!」
野営の天幕に入って来た獣頭の騎士が声を張った。
「では、予定通りに夜を待って行軍を開始する。歩哨を残して全軍に仮眠を取らせろ」
「はっ!」
獣頭の騎士が踵を返して駆け出て行った。
遠望を避けるため、険しい山間部を選びながらの行軍である。目指すパーリンスまで、50キロを切っていた。ここからは、魔素を動かさず、極力音を立てず、"眼"で捉えられにくいように夜闇に紛れながらの行軍となる。
角龍がぎりぎり一頭通れるくらいの狭隘な山路だ。騎士達は角龍の背を下り、手綱を引いての行軍を強いられている。速度が遅いのは仕方が無い。
(敵が見張りを配置するなら、あの渓谷部だと思ったが・・)
軍団長オウジン・ラーデンは、地形図の写しを睨みながら内心で首を傾げていた。
この山岳地を抜けると、そこかしこに村や町が点在する平野部に入る。
そうなれば、大規模な広域殲滅魔法の使用を制限できるはずだ。
山路も、行く手に聳えて見える山頂部を境に、なだらかな下りに転じ、水量豊かな渓谷部となる。
(だが、あの闇鬼王が闇衆を率いているのだ。見落としなどあるまい)
魔王軍の幹部の1人である闇鬼達の王・・常に仮面をつけていて顔を見たことは無いが、その戦いぶりなら幾度か眼にしている。幻覚術に長けており、異様に長い両腕による変幻自在の短剣技と、細い体を揺らしながら自在に進退する歩行が独特で、獅子王と称されるオウジンですら、闇中では戦いたくない相手だ。
"眼"の魔神を大勢失った先の戦闘に責を感じているらしく、噂では難色を示すカンスエルを押し切るようにしての参陣らしい。いったい何人の闇鬼を連れているのか、耳目嗅覚に優れる獣騎士達にすら存在を悟らせないまま行軍を共にしていた。
(仮に、あの火炎壁が放たれたとしても、渓谷部に逃れれば被害は抑えられる。闇鬼の奇襲・・そして、我が騎士団の速力なら一気に懐まで入り込めるだろう)
本来なら、魔法など怖れる必要の無い装備品で身を固めている騎士団だったが、今回ばかりは相手が相手だ。
「今宵は雲が出そうですな」
天幕の入り口に侍していた老いた衛士が、垂れ幕の隙間から外を覗き見ながら呟いた。
「我等には都合が良い」
月明かりが無いなら、金属類の反射を心配しなくて済む。
「・・ですな」
老衛士が元の
その様子を一瞥し、オウジンは天幕の中央に置かれた仮設の寝台へと身を横たえた。
眠たいわけでは無いが、思考の整理をするには良い。
(召喚された異界の娘が4人・・全員が、煌王を上回る魔法を使えるというのか?)
召喚が行使された日時、場所など正確には突き止められていないらしいが、それでも、ここ数年の出来事なのは確からしい。つまり、わずか数年の内に、ただの人間が煌王を凌駕する域にまで駆け上ったという事になる。それも、年端もいかぬ娘ばかり4人も・・。
確かに、召喚された異界人の中には、優れた資質を有する者が混じる。
中には、魔人と渡り合えるほどになる者だって居る。しかし、魔人の、それも煌王を超えるほどに達した者など過去に
(数年では不可能だ。人の身では辿り着けまい)
だが、あの火炎壁は異界の娘が放ったものだと言う。師団をまとめて
(・・カンスエル殿は、どうお考えなのだろうな?)
新生した魔王様にどこまでも忠実なあの男・・レイジ・コーダという異界からの転生者が魔王の因子を授かるために、ありとあらゆる手を尽くし、導き育て上げたのはカンスエルだ。いったい、何がそこまでさせるのか。時に不気味に感じるほどの熱意と執着心で魔王を育てあげた、正しく生みの親であった。
初めに計画を聴いた時には世迷い言だと笑い飛ばしたものだが、
(だが、とうとう魔王の因子を授かるまでになった)
そして、魔王の因子が馴染み、真なる力が覚醒すれば、魔族領の沌主すらも平伏すほどの超越者と化す・・・カンスエルはそう言った。魔王に関しては嘘を言わない男だ。恐らく、その通りなのだろう。
(恐ろしい事だな・・)
新生魔王は、今ですら超越者と言って良いほどに強大な魔力を持っているというのに・・。さらに強大な力を得るというのか。
寝台の上で、うつらうつらしながら考え事をしているらしい主人をちらと見て、老いた衛士は天幕の外が薄暗くなってきたことに気付いた。
陽が落ちるには少し早い。
(雨雲でも・・?)
老衛士は天幕の垂れ幕をずらして隙間から外を見た。
初めは何を見ているのか分からなかった。
(・・・は?)
長年、衛士として戦場働きをしてきた老人が、声をあげる事を忘れて呆然と動けなくなってしまった。
空が消えていた。
いや、空はある。空が見えないくらいに大きな物が頭上いっぱいに迫っていたのだ。
(こ・・これ・・?)
黒々として巨大な岩のように見えるが・・。
端が見えないほどに巨大な岩塊が頭上にあり、じわじわと大きさを増していっている。
(・・月でも落ちて来たか?)
呆けた頭をそんな愚にも付かない考えが過ぎる。
直後に、ハッ・・と我に返った。
「ラーデン様!」
老衛士が、慌てて声を寝台の主人に向かって掛けた。
そのまま動きを止めた。
あり得ない光景がそこにあった。
凶刃のような双眸をした痩せた男が寝台を見下ろすようにして立っていた。その手には黒刃の短刀が握られている。ちらと凶刃の双眸を老衛士へ向けつつ、男が禍々しい黒刃の短刀を一旋した。
「ラ・・ラーデ・・」
老衛士が信じられないといった形相で力なく首を振った。
身を起こした男の手に、見慣れた獅子頭がぶら下がって揺れていた。
「邪魔をした」
掠れた低い声で凶相の男が告げると、地面へ染み入るようにして消えていった。
後には、灰化して崩れ始めた主人だけが残っている。
(だが、血魂石さえあれば・・)
乱れた思考の中で、とにかく主人の血魂石を確保しようと立ち上がり掛けた老衛士だったが、恐ろしいほどの悪寒に身を竦ませて動けなくなった。
「ぁ・・ぇ?」
老衛士の胸鎧を貫いて黒刃が生えていた。死を感じさせる震えが全身を
・・・トンッ・・
酷く短い衝撃が首に当たり、老衛士の頭が床を転がって天幕の外へと飛び出して行った。
「砕くと賑やかになるが・・」
凶相の男が天幕の外を見やって上空を確かめると、寝台に残された大きな血魂石を短刀で斬り割った。金切り声のような耳障りな音が響き渡る中、凶相の男が床へと染み入り消えて行く。
(つ・・月が・・・落ちて)
首を切り離され、天幕の外で死を迎えつつある老衛士が、虚ろな眼差しで空を見ていた。
いきなりの騒音に、仮眠をとっていた騎士達が跳ね起きて警戒の声を上げ始める。
しかし、天幕を飛び出して来た所で、総員が身動き出来なくなってしまった。
巨大な岩塊が視界の全てを覆い尽くしていた。
それが落下中であることは分かる。
そして、最早逃れようが無い事も・・。
「なんだ、これは・・」
誰かが虚しい問いを口にした。
すでに異様な風鳴り音が耳朶を打ち始めている。
「ラ、ラーデン軍団長はっ!? 軍団長は何処に・・」
狼狽えた声をあげて、騎士の数人が走り始めたが、これを前にして今更打つ手など無い。それが成せるとすれば、神くらいのものだろう。
右往左往し、何とか逃れ出ようと角龍に跨がって走り始めた騎士達の頭上に、遙かな高空から落下してきたのは、つい先日まで魔王軍が所持していた空中要塞だった。
*****
いつ出現したのか、騎士団が向かおうとしていた尾根を境に、魔法障壁が張り巡らされて天高く覆っていた。
それが、これから起こるだろう災害を防ぎ止めるためのものであることは明白だった。
剣を抜いて無駄に吼える者、角龍に乗って遮二無二走らせる者、呆然と座り込んで見上げる者・・・。
地響きと共に始まった有り得ない規模の落石によって、獣頭の騎士団と魔導師団から成る第七中央軍は壊滅した。そこに戦いは無く、ただ落ちて来た巨大な岩塊によって圧壊し、衝撃と破片で千々に引き裂かれていった。
(エリやヨーコを狙ったりするからよ)
凄まじい震動に大地が揺すられ、爆風が果てしなく打ち拡がって行く様子を、魔法障壁の向こう側で1人の少女が冷たく見つめていた。障壁の向こう側は微震がしただけで、突風も岩塊も飛んで来ていない。ほぼ完璧に防ぎ止めていた。
「リコ殿」
呼ばれて振り向くと、凶相の男が立っていた。
「ゾールさん、どうでした?」
「軍団長らしい者は仕留めました」
「エリの方は・・」
"眼"でエリカの姿を捜そうとした時、
「リッちゃん、終わったよ」
エリカが姿を現した。その手に戦利品らしい仮面を握っている。
「では、帰りましょう」
リコは、ほっと安堵の笑み浮かべた。
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