第174話 炎の壁
「各隊、布陣を完了しました」
大柄な黒い
やや離れて見下ろしているのは、ドーズエル・ホーンドという名の双角を持った巨漢だった。身の丈は、6メートルほどもある。筋骨隆々たる巨躯を分厚い龍鱗甲冑で包み、手には諸刃の大剣を握っている。頭部左右の双角を外に出す形状の鉢金を被り、背には厚地の緋色のマントが翻る。
ドーズエルの左右にも、似たような体格の大兵が付き従っていた。いずれも、太古に
以前の風景などは分からないが、度重なる戦闘によって、草木は失われ、岩などは砕かれて大ぶりな石すら見当たらない広々と開けた荒野に、5万近い蜥蜴人の戦士団を先陣に、中央やや前部に巨人兵団、後尾に魔導師団が位置取っていた。
見晴らしのよい荒野の先には、レンステッズという人間共の城塞都市が見えている。
魔王軍は、東大陸を東西南北、そして中央部に区分けして、それぞれ方面軍を組織して攻撃をしている。主力は北方の魔族領へと侵攻中、東方は数ばかりの弱兵で攻めさせて予定の6割近い戦果、南方は魔族領との対話を継続しつつ、人間同士の騒乱を煽っている最中・・。
西域方面軍も、このレンステッズと幾つかの都市の他は陥落させ、魔物達によって人間の集落を蹂躙し尽くしている。
だが、このレンステッズという城塞都市だけは、押しても引いても微動だにせず、魔物達が
(
だが・・。
「
ドーズエルは蜥蜴人の戦士に命令を下した。
(さて・・本当に現れるのか?)
5万もの
レンステッズには、ドーズエルほどでは無いが巨漢の戦士が居る。
同じく大剣を使い、大軍の中を無人の野を行くがごとく突き進み、縦横に暴れ狂う
(あの
念願叶うことになるのだが・・。人間族の小娘に、手強い奴が居るという話は聴いている。華奢な見かけによらぬ手練れの者らしい。数多くの魔人や妖鬼が討ち取られていた。その中には、ドーズエルが知っている強者も混じる。
だが、違うのだ。
ドーズエルが求めるのは、真っ向からの力と力、
ひらひらと逃げ回る相手との技巧戦では無い。
「
副官が双眼鏡を覗きながら報告した。
大軍が行軍を開始したにしては、音の抑えられた微震が伝わってくる。黒々とした
(良い兵だな・・)
「
「はっ!」
副官が背を正し、すぐさま配下へと命令を展開していった。
レンステッズ城塞都市まで、距離8000メートル。
前情報通りなら、すでに交戦圏内だ。
だが、レンステッズ側からの攻撃は観測されていない。
「遠方からの魔導攻撃、後、強兵による突撃・・と
副官も首を捻っていた。
「もう少し引きつけてからかもしれん。こちらの魔導師は?」
「距離5000から攻性魔法による遠距離攻撃を開始します。今は対魔法防護陣を展開させております」
「うむ・・いや、対魔法防御に全力を注がせろ。防げぬ魔法攻撃を観測した場合は、本陣に限らず、散開し、広域に散開する」
ドーズエルは、静まりかえったレンステッズを見ながら言った。
「はっ!」
副官が伝令役の部下を呼んで指示を伝える。
すぐに、緊張感漂う部隊内に、伝令の声が飛び交い始めた。
「後続の走竜隊を両翼へ展開、蜥蜴人どもの左右から突撃を開始させよ」
「はっ!」
「魔法防御の強化を徹底させろよ」
「はっ!」
矢継ぎ早に、指示が飛び、波紋のように伝達されていく。
それを背に聴きながら、ドーズエルは仮設の指揮座から立ち上がった。
幾度となく戦場働きをしてきた身だ。魔導には
(知らされてはいないが、陰気くさい連中も出張って来ているだろう)
この戦場を離れた場所に、闇に棲む連中が潜んでいるに違いない。魔王軍にあって、偵察から破壊工作、誘拐、暗殺・・そういったことを担っている部隊だ。多くは語られていないが、宰相閣下のために各地から様々な"素材"を集める任を務めているらしい。
今回の作戦そのものが、その"素材"集めだ。
単身で突破してくるだろう長柄の武器を持った少女を捉えるか、殺すかして連れ帰ることが最優先目標となっていた。
(その後は自由にして良いとの御下命だ。恐らくは、奪還のために追撃してくる奴等を払いながらの撤退戦となるだろう)
「魔導師団から報告っ!」
「敵に動きが?」
「レンステッズの城壁上に、人間族の娘らしき人影ありと」
「ほう・・来たか」
宰相閣下の思惑通り、単独で突撃してくるつもりか。よほど、自分の強さに自信があるのだろうが・・。
「他に人影は見られないとの報告です」
「よし、迎撃準備だ。1人とは言え、油断するなよ? 人族の分際で煌王並の強者だからな」
「はっ!」
対魔法用の防御楯から、捕縛用の魔導器まで
「報告っ!」
「なんだ?」
やたらと伝令が来る。
「城壁上の娘は、長剣に楯!」
「・・なんだと?」
武器を持ち替えたのか? あるいは別人か?
「部隊に、対魔法楯を展開させろ! 広域殲滅魔法が来ると想定っ!」
ドーズエルは声を張り上げた。どうにも嫌な感じがする。先ほどから、襟足のあたりが、ちりちりとむず
「はっ!」
副官が部下達へ大楯の設置を命じた。
訓練どおり、手早く大杭が打ち込まれ、高さが10メートル、幅5メートル、厚さ50センチの大楯が打ち込まれた杭を支柱に並べられていく。たちまち、即製の防壁が出来上がっていった。いずれも、対魔導戦用の対抗術が埋設された大楯である。
「よし・・」
「・・師団長」
双眼鏡を覗いていた副官が、やや震えを帯びた声を漏らした。
「む・・?」
ちらと副官を振り返り、すぐに言わんとする事態に気付いて、ドーズエルは前方へと眼を凝らした。
遙か彼方に見えるレンステッズの城壁・・そこに、壁が出現していた。
これだけの距離からでも見える巨大な壁だ。
「あれは・・炎?」
ドーズエルには、赤々とした火炎の壁のように見えるが・・。
「
副官が引き連れた声をあげる。
常に沈着冷静、ともすれば激しやすいドーズエルを鎮め、なだめる役を務めてきた男が、かつて無いほどに
「大きいな・・」
「・・レンステッズの城壁の倍近い高度まで達しております。まだ・・上昇中」
低く感情を抑えた声で副官が言う。
「報告っ!」
走竜に跨がった妖鬼兵が駆けつけて来た。鎧の背に指している旗は、緊急伝令用のものだ。
「魔導師団より急ぎの報ありっ!」
妖鬼兵が地面に跪いて、手にした巻物を掲げ持った。
「その場で報告せよ!」
副官が声を張った。
「はっ・・魔導師団長ダレングル様よりの緊急伝となります。前方に出現した
「・・如何いたしますか?」
「
「はっ」
妖鬼兵が地面すれすれにひれ伏してから、素早く身を翻して走竜に
「
ドーズエルは眉間に皺を寄せてレンステッズの方向を見た。
「・・信じ難いことながら」
副官も軽く首を振る。
先ほどの報告を聴いている間にも、レンステッズの
「雲に届くな・・」
火炎壁の上辺があり得ない高さにまで達していた。あるいは、幅の方も10キロ以上になっているのでは無かろうか。
「まさか・・これを、城壁上の小娘が?」
副官の呟きが聞こえる。
「む・・?」
先行していた
「いや・・まさか?」
ドーズエルは副官を振り返った。
「
「動くのか・・あれが」
ドーズエルが驚愕と共にレンステッズの
明らかに、先ほどよりも距離が縮まっていた。わずかな間、副官の方を振り返っただけだ。その一瞬で、荒野を逃げ散る
「・・魔防楯の陰に入れ。今からでは逃げられん」
「はっ!」
副官が部下を振り返って指示を出す。
その間にも、巨大な火炎の壁が視界いっぱいに接近してきていた。すでに鼻腔が痛むほどの熱気が吹き付けてくる。走竜の全速よりも
ドーズエルは無言で歯噛みをしながら大楯の陰へと入った。
続いて、副官、直属の部下達が周囲を固める。
(・・おお、さすが魔防楯だな)
大楯の陰に身を入れただけで、ひりつくような熱気が遮断されて心地よい気温に戻っていた。
「この場で
先陣の蜥蜴人、走竜隊は壊滅状態だ。このまま力押しは自殺行為だ。
「ダレングル様の直衛に、魔狼族の大隊がついております。あの者達をお借りできれば・・」
先ほどから考えていたのだろう、副官が提案してきた。
「なるほど・・お頼みしてみよう」
今作戦の長は、ドーズエルだったが、位としては、ダレングル魔導師団長の方が上だ。魔法嫌いのドーズエル達、巨人部隊だったが、ダレングル魔導師団には、日頃から魔防装備品の供与など様々な協力をして貰っている。ドーズエル自身、あの魔導師団長には頭が上がらないのだ。
「おぉ・・頭上にも、魔法防御陣が展開されました。これほど広範囲の・・」
副官が上空を包み込んで展張された魔法障壁を見上げて感嘆の声を漏らした。
後方の魔導師団が防御行動を本格化したらしい。
「来るぞ」
ドーズエルが低く籠もった声を出した。
(・・ぬ?)
先ほどまで感じなかった熱気が肌身を焼いた気がした。
「お・・ぁ!」
短い声と共に、ドーズエルの巨体が小さな蒸発音を立てて火炎に呑み込まれた。大楯は溶けて消え、陰に居た巨人兵団はすべて灼け死んで灰になっていった。
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