第162話 カーゼスの守護神

 ゴツゴツと岩のような角が生えた巨大な頭部から雄大に伸びる尾の先端まで、優に300メートルはあるだろう真紅の鱗で鎧われた巨大な龍が雲の合間を飛行していた。


 広大な翼の左右には、それぞれ50騎近い飛竜が随伴し、巨赤龍を先頭に槍穂のような編隊を組んで飛行していた。

 一方で、地上では走竜千騎から成る騎士団が南北2隊に別れて、それぞれレンステッズを目指して疾駆している。

 加えて、あまり世には知られていないが、カーゼスの闇を支える"闇足"と称される暗殺部隊がすでにレンステッズの至近に潜んでいる手はずだった。


 文字通りにカーゼス王国の存亡を賭け、総戦力を絞り出した形である。

 今なら山賊団でさえ、カーゼス王都に易々と攻め込めるだろう。


 同盟したシャーラ、トレーグ両国は、主戦力を失ったところを狙われ、隣国から国境を侵犯されて版図を切り盗りされている最中だ。早晩、カーゼス王国も占領の憂き目にあうだろう。


 その前に、レンステッズを叩く。


 レンステッズを叩いた上で、カーゼス王都へとって返し、シャーラ、トレーグを救援しつつ国境の防備に努める。

 それが、カーゼス国王、ユドオール・ボーダ・カーゼスの下した決定であった。


 この期に及んで、なお自身の勝利を信じて疑わない姿は、多くの騎士、兵士達の信望を集めるに相応しいものだったが・・。


「陛下ぁーーーっ!」


 赤火龍ボルーガの頭部に座しているカーゼス国王に目線が並ぶ高度へと、飛竜が一騎寄せて来た。雲がちぎれ飛ぶような速度である。通常なら声を掛け合うことは無く、魔法による信号光を明滅させて連絡を取り合う。


 何かあったのか?


 カーゼス国王が接近してきた騎士へ厳眼を向けた。

 平時ならともかく、今は戦時だ。よくない報告に違いない。


「イゼーラ将軍、エンドルフ将軍、共に討ち死に・・走竜騎士団は全滅とのことです!」


 そろそろ老齢にさしかかろうという近衛騎士が、声を低く絞るようにして報告した。


「・・真か?」


 そう聞き返す他無かった。

 幾多の戦場を共にしてきた男だ。虚偽の報告をするはずが無い。

 だが・・。


「レンステッズのお飾りの守兵ごときが・・・イゼーラ、エンドルフを破っただと?」


「陛下、報告はリーツン領都から参りました」


「なにっ!?」


 まだカーゼス王国の領内、それも主要都市の一つからの急報だと言うのだ。


「リーツン領を横断途中、ウーアユ湖北のギザにて南北へ隊を別ける準備をしていた最中、上空から飛来した矢によって射貫かれ、そのまま死亡したとの報告です」


「・・空から矢だと?」


「黒い矢だったと・・息を引き取る間際の兵士が漏らしたそうです。空を埋め尽くさんばかりの矢がいきなり降り注いできて、走竜も騎士も・・」


「至近からの弩か?」


「いえ・・空から降り注いだと申すからには、長弓による遠射にございましょう」


「そんなもので、走竜の鱗が破れるか! まして・・・そやつの申す通りなら、何千という弓兵が・・それも遠間がやれる弓兵ばかりが一斉に射撃をしたという事になるぞ?」


「・・まことに、面妖な事で・・しかしながら、事実として走竜兵団は壊滅しております」


「闇足共は?」


「未だ連絡無く・・」


「ううむ・・あの者共、尻尾を巻いて逃げ出したのではあるまいな?」


「闇に生きる者達なれど、王家に対する忠誠は非常に高く」


「冗談だ。忘れろ!」


「はっ」


「・・どうであれ、我らはこのまま急襲し、レンステッズを焼き払う!」


「畏まりました」


 王の声を聴いて、飛竜騎士が敬礼しつつ成龍から遠ざかった。途中、巨龍の巻き起こす乱気流に揉まれるようにして姿勢を乱しつつ、飛竜を操って直衛の位置へと上昇して行く。


 その飛影を見送りつつ、カーゼス王は乗騎である赤火龍ボルーガを見た。

 角の後ろへ設けた固定座からは、赤火龍の顔など見えないが、おそらくは話の内容を聞いて理解しているはずだ。旗色が悪いことも感じ取っているだろう。カーゼス王家の秘伝となっている呪縛の魔導具が無ければ従えることなど出来ない化け物だった。だが、劣勢に追い込まれている今、この成龍の存在はとてつもなく頼もしい。


(このボルーガさえ居れば、我がカーゼスは不敗っ! 小賢しい魔導の輩がおるようだが、レンステッズの町諸共焼き払ってくれるぞ!)


 代々のカーゼス王の切り札・・決戦時の象徴として、幾多の騎馬兵、歩兵を龍息の火炎で焼き払ってきたのだ。どんな矢も、槍も、成龍の鱗は破れない。しかも、遙かな上空から吹き付ける龍炎はどんなに優れた魔導の結界も、防護壁も圧し壊し、術者を呑み込んで焼き払う。

 故に、カーゼス王国は北平原の雄として大国となり、多くの国々を切り従えてきたのだ。

 飛竜を失い、走竜、土竜を失ったとしても、この赤火龍ボルーガが生きていれば、いつの日か必ず国は復興できる。


「そうだ。ボルーガある限り、我がカーゼスは不滅なのだ」


 己を鼓舞するように呟き、笑みを浮かべた時、



 ・・カシュッゥゥゥ・・・・・



 小さく短い擦過音がどこかで聞こえた気がした。

 

「む・・?」


 音の正体を求めて視線を巡らせると、


「・・あ?」


 視界が大きく傾き始めていた。


「どうした、ボルーガ?」


 今まで、この赤火龍が急に飛行姿勢を変えた事など無い。


「ボル・・っえ?」


 自分のすぐ横に、長柄の武器を手にした甲冑姿の小柄な武者が立っていた。

 

「き、貴様は・・」


 声を掛けようとするカーゼス王の頭上に巨大な影が差す。

 思わず振り仰いだ視界いっぱいに、白銀の巨龍が翼を拡げて近づいて来た。


「せ・・成龍だとっ!? 馬鹿な・・」


 呻くカーゼス王が眼を見開く中、巨龍が急速に近づいて来た。


「ボルーガ!」


 思わず赤火龍の名を呼んだ。


 しかし、ようやくにして気がついた。

 おかしいのだと・・。

 自分の視界が傾き続け、そして落下を始めていることに。

 腹腔をくすぐる浮遊感に・・。


(まさかっ・・そんな・・そんな馬鹿なっ!)


 カーゼス王から見て右斜め下に、深紅の龍鱗で包まれた巨体が見えていた。

 やや横倒しに巨躯を傾け、弛緩したように力を失った様子で落下しているのだった。


(・・ボルーガ!?)


 歴代の王家を支えた無敵の龍が・・カーゼスの赤火龍が、首から上を失った姿で視界の中を遠ざかって行く。その首は綺麗な切断面を見せて、頭部は失われていた。


(あぁ・・そうだ)


 カーゼス王、ユドオール・ボーダ・カーゼスは自分の座っている座席を見た。ここは、ボルーガの頭部なのだ。人であれば後頭部に当たる角の後ろに設けられた座席なのだった。

 ボルーガの・・赤火龍の頭部が切断されて、胴体から遠ざかっていく様子を自分は目の当たりにしているのだ。


 赤火龍だけでは無い。気がつけば、直衛騎である近衛の飛竜騎士達も、乗騎である飛竜も、胴体で輪切りにされて宙に飛び散り、地上へと落ちて行っていた。


 一瞬の、あまりにも短い間に起きた悪夢だった。


(カーゼスが滅ぶ・・・)


 どうして、こんな事になったのか・・。


 何故だ?


 大陸に覇を成すはずが、こんなところで終わってしまうのか・・。


 何を間違えたのだ?


 何処で間違えた?


(カーゼスが・・俺の代で終わるだと? そんな馬鹿な・・)


 呆然と動けなくなったカーゼス王の頭上遥かを白銀の巨龍が悠々と飛翔し、通過して行った。

 その銀龍が先ほどとは別の個体だと気づいたかどうか・・。

 さらに、もう一頭。高空を雲を曳いて通過していた。


「この人で合ってる?」


 不意の声は、まだ若々しい少女のものだった。


「うん、カーゼスの城で見た人で間違いない。名前も・・ユドオールだもん」


 気付けば、もう1人、甲冑姿の武者が近くに立っていた。


「き、貴様等は・・」


 正体を問い質そうとしたユドオール・ボーダ・カーゼスだったが、またしても視界が大きく傾いてしまっていた。


(ぁ・・何が・・?)


 声を出そうと口を開いたまま、カーゼス王の頭が転がり落ち、赤火龍の頭部で軽く弾んでから遥か下方の地面めがけて落ちて行った。


「城攻め?」


 ヨーコが兜の面頰を開いて顔に冷気を受けつつ、手にした薙刀の曇りを確かめる。


「うん、でもサナちゃんが先に行っちゃったから、もう始めちゃってるかも」


 同じく面頰を開いたエリカが西の空へ目を向けた。

 その肩にヨーコが手を置いた。


「ライデン君の背中までお願い」


「うん」


 エリカが小さく頷いた瞬間、2人の姿が消えていた。


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