第158話 嗚呼、カーゼス・・。

「そのほうが、シンとやらか?」


 敵意を剥き出しに問いかけたのは、カーゼス王国、第三王子 ヤントレック・ボーダ・カーゼスだった。13歳になったばかりで、まだ華奢で小柄な文弱な少年・・といった顔立ちだが、背後に巨漢騎士を侍らせて、こちらを睨み付けている様子はなかなか堂に入っている。


「違う」


 応じたのは、ウージルだった。

 こちらも背後には甲冑騎士を1人立たせている。


「・・俺はシンという不逞の輩を呼んで来いと言ったはずだが?」


「たかだか辺境国の第三王子ごときが、我等が師父に面会を求めるなど・・身のほどをわきまえろ」


「きっ・・貴様っ」


 声をあげたのは王子の背後に立っていた巨漢騎士である。威嚇のつもりか、腰の長剣へ手を伸ばして前へ踏み出そうとする。その腹部で、ボグッ・・・という嫌な異音が鳴り、巨漢騎士は小さく呼気を吐き出しつつ、そのまま前のめりに倒れ伏していった。


「・・・む?」


 ヤントレック王子が不審げに巨漢の様子を見る。王子には、自分の騎士が1人で勝手に倒れたようにしか見えなかった。やや呆然としながら見つめる先で、巨漢騎士が血反吐を吐き散らしながら小刻みに痙攣を始めた。


「なっ・・お、おいっ? どうした? ダーゼライド?」


「なんと脆弱な・・」


 ウージルが嘆息混じりに吐き捨てる。


「う、うるさいっ! 至急、治癒師を呼べっ!」


「我が隊はレンステッズの守兵だ。カーゼスの指揮命令など受け付けんぞ?」


「なんだとっ!貴様ぁっ!」


 王子が血の気の引いた顔で声をあげた。幼小の頃から王族として育った身では、これほど面と向かって逆らわれた経験など無いだろう。


「ご自慢の飛竜でカーゼスに呼びに戻ったらどうだ?」


 おまけに、このウージルも、つい先日まで身分をかさに言いたい放題、やりたい放題やっていた人間だ。王侯貴族を苛立たせる表情、仕草、言葉使いというものを知り尽くしている。実に、小憎たらしい表情をして、カーゼスの王子を見やっていた。


「おのれっ!我等を愚弄するか!」


「連れは死ぬかもしれんな」


「くっ・・ダーゼライド、しっかりしろっ! おいっ!」


 王子が叱咤するように声をかけるが、巨漢騎士は弱々しく痙攣をしているばかりで意識が戻る様子は無い。


「棺くらいは我が隊で用意させよう。経費が嵩むので迷惑なんだが・・」


「おのれっ・・おのれぇっ!」


「口の利き方を勉強して来い。そのための学び舎だろう」


 ウージルが鼻で嗤う。


「・・良いのか?」


 ヤントレック王子が血走った眼で睨み付けた。


「何か?」


「貴様は・・本気でカーゼスを敵に回したのだぞ?これほどの暴挙・・最早、無かった事になど出来ぬ。我等は貴様等を・・レンステッズを攻め滅ぼす! この地上からレンステッズを消し去ってくれる!」


 カーゼス王子がとうとう逆上した。


「ああ、せいぜい頑張るよう本国に伝えてくれ。できるものなら・・な?」


 ウージルが鼻先で嗤った。


「・・・貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか? カーゼスを敵に回すのだぞ?」


「御託は良いから、さっさと援軍を呼べ。百万でも、千万でも良い・・・でしたね?」


 ウージルが甲冑騎士を振り返った。面頰を閉じていて顔は見えないが、かなり細身で華奢な感じの騎士だった。ウージルの問いかけに、無言で頷いている。


「良いだろう。カーゼスを・・我らが飛竜騎士を愚弄したことを後悔させてやる!」


 王子が怒りに青ざめた形相で騒ぎ立てていると、ダーゼライドという騎士が血泡を吐きながら一度二度と激しく身を折って痙攣した。


「お、おいっ! ダーゼライド、しっかりしろっ!」


「さて・・用が済んだようだ。これで失礼しよう」


 ウージルがそう言って退室しようと歩きだした時、


「ま、待てっ! 治癒師を・・俺の衛士達を呼べっ!」


「この町を攻めようと抜かす敵などに、なぜ我等が協力しなければならないのかな? 1国の王子として宣戦布告をしたのだ。すでに、このレンステッズには1人の味方もいない。この場で殺さないのは情けをかけてやっているからだ。ついでに、憐れみをかけて1日の猶予をくれてやる。せいぜい急いで国へ逃げ帰ることだ」


 道中、土地の住人に狩られないようにな・・と、憎々しい表情で言い置いて、ウージルは甲冑騎士と連れ立って部屋を後にした。


「・・・サナエ様、これで宜しかったでしょうか?」


 前を向いて歩きながら、ウージルがそっと小声で話し掛けた。


「うむ、宜しいよぉ~」


 甲冑騎士が鷹揚に頷いた。


「その・・この事を師父は?」


「好きにしろって、言われてるのですよぉ~」


 サナエが兜の面頬を跳ねあげて、にんまりと笑顔を見せる。


「カーゼスは北の雄・・騎馬でひと月の距離を数日で跳び越えて襲来する飛竜騎士団を有する強兵の国です」


「それだけだと、ちょっと残念な感じよねぇ~・・あんな小鳥みたいなトカゲじゃなくって、ちゃんとした龍で攻めて来てくれないとぉ~」


 自慢の鉄球をお見舞いできない・・と、サナエがぶつぶつ言っている。


「はは・・王の乗騎は成龍だと聴いたことがありますが・・噂ばかりで実際に見たという話は聴きません。それより・・師父はこの東大陸を征圧なさるおつもりでしょうか?」


 先ほどは愚弄ついでに色々と馬鹿にしたような事を言ったが、カーゼス王国は軍事強国だ。魔物討伐にも積極的で、看板の飛竜騎士団はもちろん、馬の代わりに土竜を騎馬とする土竜騎士団も実戦経験が豊かで強力だ。近隣諸国で、カーゼス王国と面と向かって喧嘩をしようとする国など無い。

 そのカーゼスを討ち破ることになれば、東大陸の北辺部はさしたる抵抗もなく制圧できるだろう。


「う~ん、それは無いんじゃないかなぁ~?ほらぁ・・学園には身分を持ち込んじゃ駄目なのにぃ、あの王子さんが規則を破って好き放題だったからぁ~」


 学園長から愚痴めいた話を聴かされたので、ちょっと指導する気になっただけだろう・・と、サナエが笑う。

 サナエの読みでは、彼女の先生は攻めてくるカーゼスの騎士団を蹴散らすだけで、それ以上の追撃・・もしくはカーゼス王都を消滅させるようなつもりは無い。


「まあ、皆様方にとっては、カーゼス自慢の飛竜も脅威になりませんね」


「そりゃぁねぇ・・もうねぇ、とんでもないのと戦ってきたからねぇ~」


 サナエがしみじみと息をついた。

 と言うより、人間を相手に戦うことの方が少なかった。


「その・・もしお時間が頂けるようでしたら、また我等が守兵の鍛錬にお付き合い頂きたいのですが?」


「うん、いいよぉ~、先生が調べ物している間、うちらは暇だからぁ~」


「有り難き幸せ!」


 ウージルが喜色を浮かべて低頭した。

 その時、


「あ・・ヨーコちゃんだぁ」


 サナエが手を振りだした。ウージルも視線を左右するが、それらしい人影はどこにも見当たらない。

 レンステッズの寄宿舎が建ち並んだ大通りである。人が居れば遠目でも確認できるはずだが・・。


 そう思った直後に、


「よっ・・と」


 不意の声と共に、平服姿のヨーコが出現した。

 僅かに遅れて、何かが爆発するような音が鳴り響き、通りの左右に爆風が吹き荒れる。音速を超える速度で走ってきたのだ。ただそれだけの事だったが・・。周囲に巻き起こる衝撃波は大地を抉り、石造りの家屋など粉砕する。


 本来なら大災害が起きるところだが、どうやら魔法で作った不可視の壁が防ぎ止めているらしく、轟音と突風は周囲の家屋には届かず、上空へと打ち上げられていた。

 ただ、進行方向・・すなわち、サナエとウージルには轟音と突風が届いていた。

 サナエは涼しい顔をしているが、ウージルはそうはいかない。何かに弾かれたように吹き飛び、錐もみ状態で地面を跳ね転がって手やら足やらが明後日の方向へとねじ曲がった形で壁に打ち付けられていた。


「・・あっ、ごめんね」


 ヨーコが大急ぎで駆け寄って、ほぼ即死したウージルに治癒術をかけるが、さすがに損壊が酷くて治癒が効かない。


「サナ、お願い」


「まだまだ修行が足らんのぅ~」


 サナエが偉そうに言いながら、自慢の聖術でボロボロになったウージルの命を繋ぎ止め、肉体を再生していった。


「先生の連絡ぅ~?」


 聖術を使いながら、サナエがヨーコを見た。急ぎの連絡事項でも無ければ、ヨーコが走ってくるはずがない。


「ううん、先生はまだ寝てるよ。でも、ほら・・タロンちゃんが凄いの」


「えっ?」


「お団子、作ったのよ!前に町で食べたやつ、あれを再現しちゃったの!」


「ええぇーーーっ!? てっ、天才だわぁ!タロンちゃん・・凄すぎるぅ~!」


「だから呼びに来たの。サナ、あれ好きでしょ?」


「ううぅ・・ヨーコちゃん、あんた良い嫁になるよぉ~」


 サナエが泣き真似をしながらヨーコに抱きついた。瞬間、ヨーコが身を翻して元来た道を駆け戻った。ほぼ消えるようにして2人の姿が消え去っている。


 再び、爆音と衝撃波が吹き荒れたが、今度はウージルにもサナエの魔法結界が張られていて命を失うことは無かった。

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