第157話 揺れるレンステッズ・再

 青々と茂った夏草を涼やかな風が撫でるようにして吹き抜けている。

 緩やかな丘陵地を草擦れの音色が右から左へ、左から右へと風の向くままに伝い渡っていく中を、五階建ての大きな館が移動していた。エリカがデザインした"わふう"の館で、白塗りの壁に黒い瓦屋根、裾は鎧板を吊るし重ねた奇妙な造りになっている。少し前までは三階建てだったのだが、住人の増加に伴って増改築されたのだった。

 背負っているのは、バルハルという神獣だ。

 もっとも、この神獣は光の加減で見えたり見えなかったりする透明な体をしている。遠目には、五階建ての館がわずかに地上から浮かんで動いているように見えているだろう。

「師父の御到着だ」


 ウージル・サホーズ・・レンステッズの守兵長が詰め所を出て城門上の門塔へと向かった。

 かつて、主に少女達によって鍛えられた守兵達が門内で一糸乱れぬ横列を組み、遠目に見え隠れする移動する館を見つめている。それは見知った館では無かったが、すでにエリカが前触れで連絡をしていたので混乱は無い。


「開門っ!」


 ウージルが声を張った。

 すぐさま、滑車が回されて重たい鉄格子の内門、続いて分厚い木製の外門が開かれていく。


「・・大きい」


 思わず声が出たほどに、近づいて来る"館"は大きかった。

 高さが五階建てに積み上がったのはもちろん、幅や奥行きまで大幅に拡充されていた。ただ事じゃ無い重厚感である。


 地上から見れば、中二階辺りの高さになる大きな玄関扉が開かれて、ほっそりとした人影が姿を見せた。

 その姿を見た瞬間、ウージル以下、守兵達の背筋が跳ねるように伸びた。


「敬礼っ!」


 ウージルの号令で、一同が胸に手を当てて敬礼をした。


 ウージル達を鍛え上げた少女達の1人、ヨーコである。革鞭のように細身に引き締まった少女の姿を見ただけで、体の奥底がおそれで震えていた。


「この館を置ける空き地がありますかぁーー?」


 ヨーコが持ち前の明るく力強い声で問いかけてきた。


「練兵場は如何いかがでしょうか?」


 広さは十分。町の賑わいからは遠ざかるが、その辺は気にしないだろう。


「このまま門を越えて行きますっ! 先導よろしくっ!」


 ヨーコの返答に、ウージル以下が急いで踵を返した。ほぼ駆け足になって城内を練兵場めがけて進む。

 振り返るまでも無い、五階建ての館は垂直に切り立った城壁を軽々とい上がり、そのまま屋根から屋根へと伝い進んで来る。

 

「見えましたぁーー、先導ありがとぉーー」


 ヨーコの声が響いた。


 懸命に走っていた守兵達が、ほっと安堵の息をつきつつ、そのまま練兵場へと駆け込んで行く。以前からレンステッズに住んでいた者なら問題無いのだが、あれから移り住んできたり、新入や留学などで滞在している生徒達の関係者などが驚いて過剰な反応をするかもしれなかった。五階建ての館が這い進んで来れば、まず大抵の人間が驚愕する。


 練兵場には、レンステッズの守兵の他に、貴家の生徒が連れて来た護衛兵などが寄宿している建屋がある。

 特に、つい先日、北のカーゼス王国の第三王子がレンステッズ導校に入学したため、護衛の飛竜騎士達が逗留中だった。放っておけば騒ぎになるのは明らかだ。


 ウージル達が息せき切って駆けつけると、果たして飛竜騎士達が長槍を手に寄宿舎から飛び出して来たところだった。何人かは厩舎へ駆け込んで飛竜を引き出そうとしているようだったが、抵抗されて飛竜を外に出せずに怒声を張り上げている。


 飛竜騎士の数人が館めがけて駆け寄ろうとしたところへ、ウージル率いるレンステッズの守兵達が割って入るなり、飛竜騎士を殴り倒して昏倒させた。いずれも一撃である。


「レンステッズの賓客ひんきゃくだ。無礼は許さん!」


 ウージルが声を張り上げた。


「無礼は貴様達だろうっ!」


 飛竜騎士達が、怒りも露わに長剣の鞘を払い、ウージル達を取り囲もうとするが、不意に上空から大きな影が落ちてきて、軽い破砕音と共に飛竜騎士達を横殴りにぎ払っていた。

 そこに、どこからともなく出現した銀毛の巨獣が立っていた。

 厩舎から出そうとしていた飛竜を一呑みにしかねない巨体である。ウージル達が記憶している銀毛の巨獣より二回り以上も大きく育ったようだった。


「お・・おのれっ!栄えある我等が飛竜騎士を・・」


 なおも声を張り上げようとした初老の騎士団員を、無言で近付いたウージルが襟首を掴むかり地面へと投げ落とした。


「あらら・・揉め事? ここに家を置いて大丈夫?」


 ヨーコが身軽く跳んで着地する。


「無論です。ヨーコ様、手狭であれば周辺の家屋をならして下さっても構いません」


 ウージルが指し示した"家屋"は、他国の護衛兵や騎士などが逗留するための寄宿舎群だ。レンステッズには各国の貴人の子息が通っているため、その護衛兵も多種多様で小競り合いは絶えない。まあ、ウージル達の手に負えないほどでは無かったが・・。


「あはは、ここで十分よ。うちの先生、広いだ狭いだを気にしないから・・それより、ちゃんと鍛錬続けてるみたいね」


「はっ!つたないながらも、個々人で工夫しつつ継続しております!」


 ウージル達が整列しながら応える。


「あれから、魔人は?」


「魔物による襲撃はありましたが、魔人は現れておりません!」


「そっかぁ・・先生、ちょっと町で調べ物があるそうよ。その間に魔人が来るようなら、うちらで対応するから言ってね」


「感謝いたします!」


「うん・・ええと、その辺に転がってる人達は?」


 ヨーコが、飛竜の龍鱗を模した鎧姿の男達を指さした。手を出しかねて固まっている2、3人を除いて地面に倒れ伏している。


「カーゼスの飛竜騎士です!」


「へぇ? 飛竜・・」


 ヨーコが好奇心に眼を輝かせて厩舎の方を見た。


「ラース君、そこ居たら見えないじゃん」


 ヨーコの苦情に、銀毛の巨獣が知ってか知らずか、他所を向いたまま尻尾を振り立てる。おかげで土埃は舞い上がり、小石が霰のように散って周囲を激しく打っていった。


「・・ラース君?」


 ヨーコに睨まれて、巨獣がしぶしぶといった様子で館の反対側へと移動する。おかげで、その巨体に隠されていた厩舎が見えるようになった。


「・・・ともあれ、まずは師父シン様にお目通りをさせて頂き、今後のことなどお聞かせ頂きたいのですが?」


 ウージルが、ヨーコに向かって提案すると、

 

「あぁ・・うん、そうだね。先生、呼んでくる」


 ヨーコがそそくさと館の中へ戻って行った。

 それを見送るなり、


「おいっ、さっさと片付けろ」


 ウージルが小声で部下達を叱咤する。


「はっ」


 守兵達が大急ぎで作業に取りかかった。


 とりあえず、地面に転がっている飛竜騎士は後回しだ。急いでやるべきは、圧壊してしまった厩舎の片付けだった。

 そう、ラースが着地した際、その後ろ脚が厩舎の屋根を踏みつけてしまったらしいのだ。何しろ、五階建ての館と同じくらいの巨体に育っている。実体化をした際に、少し体の大きさを測り損ねたのだろう。事故だと断定できる・・すべき状況だ。


 直接踏まれた飛竜は死亡しただろうが、厩舎の端に居た飛竜は生きている可能性がある。


「どちらにしても、カーゼスとのいさかいは避けられぬな」


 ウージルは小さく嘆息した。実家に報せをやらねばならないだろう。


 天災みたいなものだから諦めろ・・と言いたいところだが、理解はされないだろう。

 カーゼスにとって飛竜騎士は武威の象徴だ。飛竜と長槍の意匠が図案化されて国旗になっているほどである。その飛竜騎士を・・いや、飛竜を踏みつぶされたとなれば、国の威信をかけた騒動になるのは必然だ。


「どうした?」


 不意に掛けられた声に、ウージルはぎょっと身をすくませながら大急ぎで振り返った。即座に地面に片膝を着いて低頭する。

 そこに、師父として敬愛する花妖精シンが立っていた。


「あれは・・トカゲ? 食用にでも飼育していのか?」


「・・いえ、カーゼス王国の飛竜に御座います」


 ウージルは地面を見つめたまま答えた。


「カーゼス? 北の?」


「第三王子がレンステッズ導校に遊学中でして、護衛の騎士達が逗留しておりました」


 ざっとあらましを説明した。


「ふうん・・ラースに踏まれたのか? それは運が悪かったな。それで、そこに転がっている兵達は?」


「飛竜騎士で御座います。不敬を働く可能性がありましたので、私の一存にて取り押さえました」


「そうか。まあ・・打ち合わせたい事がある。まずは家に入ってくれ」


「はっ!」


 ウージルは深々と頭を下げた。

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