第150話 厄災は舞い降りる?

 魔界の深奥というのは距離というより、深度といった方が感覚的には正しいらしい。

 界を成すための真核ホールを最深部に、膨大な魔素の渦が世界を形作っている。その魔素の渦の中に、ぽつりぽつりと陸地のような物が漂い、それぞれが悪魔達の巣となっている。

 どこかに人面のようなものを宿した軟体の化け物ばかりだ。


 ゾエが言うには、もっと多くの陸地があったらしい。それを俺が・・俺の左腕から生え伸びた厄災の触手が粉砕し、悪魔ごと喰らったそうだ。


(・・確かに、こう・・体に力が漲っている)


 意識を奪われていた10分間に、何をどれだけ喰ったのかは判らないが、体の力になっているのだから悪い事では無いようだ。


(意識を保ち、厄災を御せれば良いわけか)


 元通りの漆黒の籠手に包まれた左手を見つめ、俺はむしろ積極的に活用し、厄災種に慣れる方法を思案していた。


 まあ、結局ところ、何度も使用して感覚を掴んでいくしかないのだろう。

 意識を失う寸前の感触を得られれば抵抗する事も出来るのだろうが・・。


(どうだろう、ゾエ?)


『ここは広々としております。同様の事がございましても、御身内様方には危害は及びますまい』


(そうだな・・)


 ここは、悪魔の世界・・魔界だ。幸いにして知り合いは居ない。


(・・よし、やってみよう)


 今のところ周囲を気にしながらでは使いにくい技だ。御しきれる目処めどがつくまで、この場で訓練しておくべきだろう。


 魔技"粘体触手"・・厄災種が遺した技を意識しつつ左手を前へ突き出した。



****



「先生、戻って来ないねぇ~」


 サナエがぽつんと呟いた。


 バルハルの背負った館の前にテーブルや椅子を並べて、みんなで遅めの昼食を採っている。遠く地平の彼方を、ラースが右から左へ、左から右へと何かを追いかけるようにして駆け回っている。何しろ、今はラースにご飯をくれる人が居ない。リコが多少は雷魔法を使えるが、とてもじゃないがラースが満足できるほどの量は放てない。


「何日目だっけ?」


 ヨーコがシチューを口に運びながら、隣に座っているエルマを見た。オリヌシの連れている3人の獣人の内、エルマは短槍を得物に選んでいて、修練のためヨーコに手合わせを依頼してくる事が多い。

 やや色の薄い金髪に赤銅色の肌、薄い水色の瞳はいつも冷静に物を映していて、一見すると物静かな貴家の令嬢といった容貌だ。ただ、その槍は激しい。巧みな槍捌きを見せたかと思えば、捨て身のような大胆な攻め手を見せることもある。

 

「7日が経ちましたね」


 応えつつ、エルマが焼き立てのパンをのせたかごをヨーコの前に近寄せる。


「ありがと・・無事なんだよね?」


「そうね・・はっきりは見えないけど」


 リコが虚空を覗き見るように手元へ視線を落としながら呟いた。


「じゃ、やっぱり、戻れないんじゃなくて戻らないんだ」


「・・でしょうね」


「先生の事だから何かと戦ってるんだろうけど・・7日間も先生の相手をしてる方も凄いよね」


 エリカが蒸し上がったトカゲの肉を大皿に載せて運んできた。

 素では少し臭うので、香草で包むようにして土中で蒸したものだ。こうした料理方法は、アマリス達が詳しかった。


「リコ殿、シン様がいらっしゃるのは、まだ魔界のままですか?」


 ゾールがうたた寝を始めた愛娘リリアンを胸に抱えて近付いて来た。


「はい。位置そのものは、ほとんど変わっていません。多少は移動していますけど・・」


「足を止めてのやり合いかの?」


 ちびちび酒を楽しんでいたオリヌシが訊いてきた。


「何をしているのかまでは・・意識をらしていないと姿の輪郭も判らなくなるんです。先生、そういう技を持ってるから」


「おう・・そうだったの。覗き見を阻害するやつだったか」


「先生相手に7日間ぶっ続けって・・うちらだと無理だね」


 ヨーコが笑う。


「それは、儂も願い下げだの」


 オリヌシが酒椀をあおった。とにかく大将の命に別状が無さそうなら安心した。そう言って、大あくびをしながら自室へと去って行った。ゾールもリリアンを寝かしつけるからと部屋へ向かった。


「先生が無事なのは良かったけど・・こっちが無事じゃ無くなりそうなのよね」


 リコが眼鏡をとって、眉間を指で揉み解しながら呟いた。


「そんなに? どうなってんの?」


「詳しくは見えないんだけど、たぶん・・厄災種を使役してる感じ」


「厄災って・・先生の腕に着いたやつ?」


「うん・・あっちの空間を埋め尽くしちゃいそうな勢いで増えてる」


「うわぁ・・それ、駄目なやつだぁ」


「・・えっと、それ・・こっちの世界にも来ちゃう?」


 エリカが不安顔でリコを見る。


「あっちって、魔界でしょ?悪魔とか、どうなっちゃったの?」


「・・わからないわ。真っ暗な場所に、石とかが浮かんでるだけで・・他には何も見えない」


「そもそも、先生って閉じ込められてるのかな?」


「いつでも帰れるのに、帰らずに厄災種の実験やってるんじゃない?」


 ヨーコは楽観的だ。


「・・うん、やりそう」


 リコが頷いた。


「うちらに経験値が入ってこないけど、空間が違うと無理なんかねぇ~?」


「そりゃそうでしょ。あれって、距離が離れすぎても入らないみたいだし・・」


「えっ!?そうなのぉ~?」


「ダイイチケイカイライン・・シュウダンガ、セッキンチュウ」


 声と共に、タロンが姿を現した。


「集団?・・どっちから?」


 リコが立ち上がって窓辺へ移動した。


「トウホクトウ、キョリ、ゴジュウ・・キロメートル、カズ、ゴヒャク」


「東北東・・こっちね」


 リコが外へと視線を向けた。魔技の"眼"によって異界に跳ばされた"先生"を見たまま、肉眼で50キロ先を見る。


「これ・・魔人?・・あ・・」


「なに、リッちゃん? 魔人が来たの?」


 ヨーコが眼を輝かせるようにして訊く。


「ううん・・あの時の・・アイーシャさんに呼ばれて東大陸まで厄災種をたおしに来てた人達みたい」


「・・あぁ、奴隷にされちゃってた人達?犬のおじさんとか?」


「うん、小さな妖精さん以外はみんな居るわ」


獣人の男や蝶の羽根がある青年、下半身が蜘蛛の女・・・。それぞれが同種族らしい姿の武装した兵士を連れているらしい。


「リコ、トモダチ?」


「違うけど・・知り合いよ」


「テキジャナイ?」


 タロンが鉢金頭を傾ける。


「まだ分からない。でも、先生を相手に喧嘩・・敵対しようとはしないと思う。力の差はよく分かっているから」


「センセイスル? ヨウスヲミル?」


「・・様子を見ましょう。タロンちゃんの力はまだ隠しておいて、私の防護魔法だけを展開しておくわ。エリ・・行ける?」


 リコがエリカを見た。無論、瞬間移動で跳べる距離かという確認だ。50キロというのは、決して近い距離では無い。


「うん、任せて」


 エリカが、後ろ襟で長い髪を手早く束ねながら頷いた。就寝間際ということもあり、いつも結んでいる髪を解いていたのだ。緩やかに天然のウェーブのかかった髪で、サナエがねたましいだのうらやましいだのと騒ぐくらいに艶のある綺麗な髪をしている。


「たぶん、大丈夫だと思うけど・・こちらの事を伝えても攻撃をしてくるかもしれないから気をつけてね」


「その時は一度戻る? その場で殲滅しようか?」


「一旦、ここに戻って。代表の人を連れて来てくれる?」


 リコが指示している後ろで、サナエとヨーコがすでに完全武装になっている。


「分かった」


 小さく頷いて、エリカが消えて行った。


「おうおう、リッちゃんよぉ~。さっさと、やっちまおうぜぇ~」


サナエが後ろからリコに抱きつきながら言った。


「味方になる可能性の方が高いと思う」


「そりゃあ甘いぜぇ~、砂糖より甘い、甘ちゃんだぜぇ~」


「なんでよ?」


 リコが唇を尖らせた。


「だってリッちゃん、先生って厄災モリモリじゃん?」


「だから?」


「あの人達って、厄災種を討伐するための戦士だか、勇者だかなんでしょぉ~?」


「・・・そうね」


 アイーシャがそれっぽい事を言っていた気がする。


「あぁ~だ、こぉ~だ言って、やっぱり許せぇ~~ん とかになって、襲って来るんじゃないかなぁ~?」


「まあ、そうかもしれないけど・・それで、何か問題がある?」


 今の自分達にとっては脅威でも何でも無い。天と地ほどの力の差が出来ていた。


「う・・」


「何万人攻めて来たって、私達なら問題ないでしょ?」


「まあ、そうだねぇ~。うちらを相手にできるのは、強い魔人か、天空人くらいだもんねぇ~」


「って言うか、うちらの最大の危機って、先生だよね?」


 ヨーコが笑顔で言う。


「うん」


「先生が厄災種になっちゃったら、もうお手上げじゃん? 人類サヨナラじゃん?」


「滅亡待った無しだねぇ~」


「そうなったら、もう誰にも止められないから・・考えるのはやめよう。無駄だもん」


 魔界にいる"先生"の様子を眺めながら、リコが小さく口元を緩めた。


「あはは・・リッちゃん、男前だぁ~」


「私達が生き残れるのは、先生が厄災種を抑え込んで戻って来てくれた場合だけよ。だから、その時のためにこの家を守るの。他の選択肢は考えるだけ無駄なのよ」


「うむ! リッちゃんの言う通りであるぞ、皆の衆ぅ~」


 サナエが階段を振り返って指をさした。声を聞きつけて、アマリス達が様子を見に降りて来たのだ。


「あ・・エリちゃんが戻ったっぽい」


 ヨーコが窓の外へ目を向けた。ヨーコは魔法や魔技が発現する寸前の予兆が肉眼で見えるのだという。


 待つほども無く、窓の外に複数の気配が湧いた。どうやら1人2人では無く、かなりの人数を連れてきたようだった。


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