第149話 厄災の子

 黒煙のように黒々と色づいた魔素が渦巻き、禍々しい赤黒い光がゆっくりとした明滅を繰り返す空間に、俺は静かに浮かんでいた。


 白翼の巨人達は姿を消した。

 こちらも、それなりに手傷を負ったが、こうして漂っている時間で生命量や魔力量が回復し、ゾエに十分な魔力を与えて鎧の裂け目を修復させていた。


 体の方は、すでに戦闘前と同じく無傷の状態に戻っている。


『御館様・・鎧の修復が完了致しました』


 ゾエが静かな声音で告げた。

 何度か戦斧の攻撃を受けてしまい、かなり損傷していたのだが、これで武器防具共に完全回復したことになる。


(空気の無い空間に放り出せば殺せるだろうに・・なぜやらない?)


 エリカの転移術に割り込んだほどの術者が、どこか手ぬるく・・こちらを殺そうとする意思が弱いように感じられた。白翼の巨人達は確かに手強かったが、厄災種を解き放って以降は完全に圧倒できた。

 

『空間に歪みが・・』


 ゾエに促されて視線を巡らせると、斜め下方に白々とした裂け目のようなものが小さく現れていた。


「行くぞ」


 短く宣言して、俺は迷わず裂け目へと飛び込んで行った。

 途端、強い力で全身を捻られ、引き裂かれるような錯覚に襲われた。


『・・位相現象です』


(転移か?)


『この歪みを意図して紡ぐことは不可能です。偶発的なものかと』


(これが自然のもの?)


『御館様の戦闘が影響を与えて歪みが発生したのでしょう』


(・・ふうん)


 理解が出来たわけじゃ無いが、今この瞬間は、どこかで見物している何者かによって用意された状況では無いということだ。

 白翼の巨人達との戦闘中、幾度となく、第三者の存在を感じ取っていた。ただ、どうしても所在を掴みきれずに居たのだが・・。


(この空間を破る方法は無いか?)


 今なら、邪魔をされることなく、この空間を抜け出せるかもしれない。


『この空間自体、どのような場所か測りかねますが・・』


(多少の危険は覚悟している)


『・・厄災種の粘体触手・・あれが魔法の檻や結界を突き破ったところを幾度となく目にしております』


(あれか・・)


 ただの触手では無いということか。


『実体があって無いようなもの・・力を付けた厄災種の触手は楯や鎧では防げなくなります』


(なるほど・・魔技のようなものか)


『魔素では無く、霊魂に干渉するもののようです』


(魔法では防げない?)


『魔技や魔法を防ぐための魔法障壁などでは防げません。霊的な防御結界を張らないと・・いえ、高位の導師達が幾重にも張った霊防壁ですら完全には防げないのです』


 単純に触手を伸ばして来るだけの攻撃が、実は最も厄介で恐ろしいものだったのだと・・ゾエが語った。


『ここがどのような空間であれ、完全に封じ込めることは不可能なはず』


(・・よし)


 どのみち、このままでは手詰まりだ。

 

「すべてを喰らえっ!」


 俺は左腕に宿した厄災種の力を解放した。

 ぞわりと背をくすぐるような感覚があって、白い煙のような透けた触手が無数に生え出て方々へと伸びていく。

 

(へぇ・・)


 厄災の触手を解き放ちながら、自身を神眼で鑑定すると、ついに俺にも"称号"という欄ができていた。


(厄災の子?・・あまり良い感じはしないけど)


 召喚された少女達みたいに、称号というものを得たのは嬉しい。

 少女達は、称号によって何らかの能力が強化されたり、新しい技能を身につけたりしているのだ。魔技や武技の進展が乏しく、基礎体力にしても頭打ちになった感じがしていただけに、先行きに希望が持てる気がする。


(これは・・)


 半透明な触手が物凄い勢いで伸び拡がり、空間をすり抜けて外へと突き出ていた。そこが何処なのかは分からない。ただ、突き抜けた先で生き物を補食し始めていた。何本かの触手が断ち斬られたようだったが、増殖する触手に呑み込まれるようにして俺には見えない場所で多くの命が喰われていった。


 大量の熱が体に流れ込んで来る。

 どこからともなく光の玉が飛来して体に飛び込んで来た。


(・・ん?)


 周囲で渦巻いていた魔素が、凄まじい勢いで腕の中に吸い込まれていた。それにつれ、左腕の表面に赤黒い光の筋が血の管のように浮かび上がって激しく脈を打ち始めている。



『御館様っ!・・御館様っ!』


 不意に、狼狽えたようなゾエの声が聞こえてきた。


(ん?・・ゾエ?)


『あ・・御館様っ!』


(どうした?)


『ご記憶は御座いませんか?』


(・・・どういうことだ?)


『この10分ほど、御意識を奪われておられたのです』


(・・なに?意識を?)


 言っている意味が分からない。何が起きたというのか。


『御身の周囲を・・』


 ゾエに促されて、俺は視線を巡らせた。


(どこだ?・・ここ)


 紫がかった灰色の構造物が大破して散乱していた。水晶のような透明感のある石材で造られた構造物は、どこかの神殿を想わせるような巨大な柱が無数に並び、分厚い三角錐の屋根を支えていた。その柱があちこちで砕け、へし折られて床石にも無数の亀裂が入っている。

 周囲に飛び散っているのは、この神殿のような建物の周りに立ち並ぶ尖塔の成れの果てらしい。


(10分・・と言ったか?)


『はい、御館様が意識を閉ざされ、厄災種が暴走しておりました』


(・・暴走・・・俺が意識を失った?)


 高耐性で護られた俺が意識を刈り取られたというのか?

 いつ?

 どこに、そんな予兆があった?


『魔素を喰らった厄災種が一時的に力を増したのでしょう。すでに自我は無く、御館様の一部となっておりますが・・他者を喰らおうとする本能だけは残しておりますゆえ』


 抵抗する間も無く、一瞬で意識を飛ばされていたらしい。


(・・厄災種に・・すると、この惨状は?)


『厄災の触手によるものです』


(・・そうか)


 なんとなく理屈は理解できる。魔素を大量に摂取して、力関係が拮抗、あるいは少しばかり逆転したということだ。10分の間、左腕から生え伸びた厄災種の触手が本能のままに暴虐の限りを尽くしていたのだろう。


(・・どこだ?)


 俺は軽く左手を握って力を込めつつ、改めて周囲の惨状を見回した。


『魔神界への入り口・・神羅の門』


(初めて聴く名称だ)


『魔界の深奥に位置する転移門で御座います』


 ゾエの前の主人はここを訪れたことがあるそうだ。


(転移の・・俺の・・厄災の触手が何を喰ったか見ていたか?)


『はい』


(それに・・・あの子達は?)


 まさかとは思うが・・。


『館ごと待避されて、皆様ご無事で御座います』


(・・・そうか)


 ほっと息をついた。


 厄災の触手は空間を貫いて生え伸びたのだ。無差別にあらゆるものを喰い散らかしたに違いなかった。


(俺を閉じ込めていた空間・・あれを喰って、ここへ?)


 意識が途絶えていた間の出来事を確認する。


『空間を操っていた者・・その体の一部を厄災が喰ったために、あの閉鎖された空間が崩壊したのです』


 "神羅の門"に出たのは偶発事故のようなものらしい。


(ここが魔界なら、なぜ俺は生きている? 問題無く呼吸が出来ているぞ?)


 アイーシャが言っていた通りなら、今頃呼吸困難で苦しむなり、命を失うなりしているはずだ。


『御身の内に、厄災にまつわる何かが顕現しておりませぬか?』


 問いかけるゾエの声に確信めいたものがある。


(厄災・・そう言えば、耐性に厄災というのがあるな)


 神眼で改めて自身を鑑定した。


『それは厄災種に対する耐性です。他には何か?』


(称号なら・・厄災の子というのがある)


『・・それで御座います』


(この称号が?)


 何らかの力を強めるものだろうとは思っていたが・・。


『厄災の子・・種としては幼体といったところでしょうか。それでも、厄災種の基本的な力は御身に宿っておりまする』


(呼吸が苦しくないのは、その厄災の力か?)


『厄災種は、あらゆる環境下で生存し続けます。そこが魔界であろうとも、力を減じることなく・・』


(・・なるほどな)


 俺は、赤黒く光る筋が脈打つ左腕を見つめた。

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