第144話 聖瘡
大袈裟な話になってしまった。
ゼール公主の館前で取り次ぎを依頼しているところに、元騎士団長のリオウ・ドラスデンが押しかけて来て騒ぎ立てたのである。
「申し訳御座いません」
謝罪するゾールはもちろん、頭を下げられた俺の方も閉口していた。
ゾールとしては、交渉の手応えを得るための軽い打診先として、顔を見知っているゼール公主付きの史書官に話を持っていったのだ。ところが、その話がどこからどう巡ったものか、退役していたリオウ・ドラスデンの耳に入ることになり、一気に騒ぎが大きくなってしまったらしい。
以前にパーリンスという町で、転移してきたリオウ・ドラスデン、執事のユン・サージェスの2名とやり合っている。顔を合わせると話が拗れる可能性があるため接点を持つつもりは無かったのだが・・。
大興奮の老騎士が、花の聖瘡について蕩々と語り始め、途中から何やら激した挙げ句に、詐欺師だのなんだのと唾を撒き散らさんばかりに吼えだしてしまい・・・。ゼール公主の離宮に入る正門前で足留めを喰らう形になってしまった。
離宮を守護する薔薇騎士団の方も、宮廷史書官からの連絡を受けていたから客人として迎えようとしていたのだが、元騎士団長のリオウが直々に駆けつけて、目の前で発狂したように騒ぎ立てているのだから無視できない。
「・・帰るか」
俺は呆れ顔で呟いた。
ちょっと公主に会って帰るつもりだったから、ゾール1人と姿を消したラースのみを連れて来ている。これで少女達が居たら、門を突破するだの、老騎士を黙らせるだの、賑やかな事になっていただろう。
「ですね・・無駄足を・・お詫び申し上げます」
ゾールが沈鬱な表情で謝罪を口にした。
「待ていっ! 不埒者共がっ!」
こちらが帰りそうだと見て、リオウという老騎士が大音声を張り上げながら、行く手へと回り込んだ。何を思ったか、腰に吊っていた剣の柄へと手をはしらせている。
直後、その腕が付け根の辺りから切れて飛んで行った。
いや、剣を握ろうとした腕だけでは無く、もう片方の腕まで切れて地面へと落ちていった。
「我が君の御前で、これ以上の狼藉は許さぬ」
掠れた男の声は、リオウの背から聞こえた。
いつの間に移動したのか、ゾールの痩身が寄り添うようにして老騎士の背後に立っている。
「・・・き・・貴様は・・」
「だっ・・旦那様ぁっ!?」
やや離れて立っていた老執事が声をあげて駆け寄ろうとして、そのままの姿勢で上から下へ、重たい地響きと共に地面へと殴り伏せられた。その一瞬だけ、銀毛の魔獣が姿を現し、すぐさま消えて見えなくなる。
ゾールが大量失血と共に地面に崩れ伏した老騎士の腰から剣を抜き取った。
あまりの事に理解が追いつかないまま息をつめて立ち尽くす騎士団に向かって、ゾールが老騎士の剣を投げつけると、剣は門前に並んだ騎士団達の頭上を越えて門扉へと突き刺さり、激しい破砕音と共に門扉を噴き飛ばして門そのものを崩落させた。
「良いのか?」
俺は派手に壊された離宮の門を横目に眺めてから、ちらと瀕死の老騎士へと視線を向けた。その視線を、ほぼ地面へめり込んで動かなくなった老執事へと向ける。
「・・あいつは?」
俺はやや遠く離れて立っている城館へと視線を向けた。
常人の眼には遠すぎて人の輪郭すら見分けがつかないだろうが・・。
「公主・・リート・リド・ゼール」
ゾールが同じように城館へと視線を向けて答えた。
「なるほど・・顔色が悪いな」
城館の玄関扉から姿を見せた人物は、青ざめる・・を通り越して痛々しいほどに白い顔で、落ちくぼんだ眼が見開かれて、こちらを見ていた。1人で立つのも難しい状態なのだろう。背を2人の侍女が支えている。
「死なない程度で良い。治療してやってくれ」
ゾールに老騎士と老執事の治療を頼むと、俺は城館へ向かって歩きだした。
慌てて行く手に立ち塞がる騎士達だったが、どこからともなく現れた獣の前脚によって、右へ左へ飛び散って植栽代わりの茨の垣根へと放り込まれていった。
「あんたは、聖瘡に命が喰われているそうだ。俺は、その聖瘡を貰い受けに来た」
真っ青な顔で槍を手に主人を守ろうとしている侍女達を無視して、俺は玄関前の女へ声を掛けた。痩せこけた幽鬼のような様相で、髪は元の色がよく分からないほどに艶を失い、白く枯れたように色を失っていた。落ち窪んだ眼下の底で、紫色の瞳が俺を見つめていたが、その瞳は意外なくらいに落ち着いていて怯えや怖れは浮かんでいなかった。
「ゾール・・」
「これに」
すっと音も無く移動してゾールが俺の背後へと姿を現した。肩越しに振り返ると、老騎士と老執事の応急手当は終えたらしい。神眼で鑑定すると、命力量の減少は止まっていた。運が良ければ命を拾えるだろう。
「どうすれば良い?」
「御身が聖瘡に触れ、御身へと移るようにとお命じになれば・・おそらく」
「ふうん・・」
俺は、公主だという幽鬼も同然の女を見回した。
「襟首に・・」
「首?」
ゾールに教えられて、公主の後ろへ回り、寝間着のような衣服の襟元をずらすと、丁度、襟足から背にかけて、首の後ろに沿うように、ぼんやりとした緑色の草のような形の染みがあった。
(・・・俺のとは随分と違うな)
俺が背負っているのは、ハッキリ、クッキリとした大輪の赤い薔薇だ。
ゾールの凶刃のような双眸に見据えられて、侍女達は呑まれたように身を竦ませたまま声も出せずに震えている。
その怯える視線の集まる中、俺は公主の後ろ首に浮かんだ緑色の染みへ指を触れると、
(・・来い)
染みに向かって、やや威圧するように思念を向けてみた。
途端、ズルリ・・と腕の中へ何かが潜り込んできた。ほぼ同時に、公主だという女の首筋から緑色の痣のようなものが消え去っていた。
(う・・・?)
ぞわり・・とでも表現したくなるような、身体の内から撫でられるような悪寒に眉をしかめた。しかし、すぐに悪寒の源らしきものが消え去っていった。
(うん・・問題無さそうだ)
右手を軽く動かしつつ、神眼で自身の状態を鑑定してみると、加護の欄に、百花繚乱というものが増えていた。特性には、薔薇ノ王という見慣れないものが記されている。
(なんというか・・花づくしだな)
他にも、魔技をいくつか覚えたようだったが・・。
「御館様?」
「ああ、俺の方は問題無い」
無事に聖瘡を取り込めたことを告げ、加護や特性の事も教えた。
「・・公主の方も命力が安定したようです。このまま回復へ向かうでしょう」
ゾールが気を失った公主をざっと診てから報告する。
「他に用が無いなら戻ろうか」
先ほどから、遙かな遠方から覗き見ようと頑張ってる奴が居る。気配が隠蔽されていて酷く分かり難いが、これはリコの"眼"だろう。
あまり待たせると、何を始めるか分かったものじゃない。
「お待ちください!」
公主を支えていた初老の侍女が懸命な声をあげた。
「公主様は・・」
「聖瘡に耐えきれずに命を落としかけていたのは理解しているか?」
ゾールが冷え冷えとした声をかける。
「は、はい・・宮廷呪術師がそのように申しておりました」
「我が主人が、その聖瘡を取り除いた。もう命力を喰われることは無い」
「・・そのような・・しかし、呪術師は不可能だと・・かえって命を落とすことになると」
「公主を苦しめていた聖瘡は消え去り、公主は回復を始めている。この結果以上の何を求める?」
ゾールの凶刃のような視線を浴びて、侍女達が怯え顔で静まりかえった。
事実、初老の侍女に抱えられている公主は呼吸が落ち着き、どことなく安らいだ雰囲気になっていた。
「本当に・・ご回復に?」
初老の侍女が縋り付くような視線をゾールへ向け、次いで俺の方を見つめる。
「やたら痩せているし、無事に回復するかどうかは知らない。ただ、身体を蝕んでいた聖瘡は無くなった。後は、あんた達の頑張りでどうにでも出来るんじゃないか?」
俺は、侍女達を見回しながら言った。
「・・聖瘡は消えたのですね。そうなら・・消えたのなら・・もう公主様はお苦しみにならずに・・」
ようやく理解が追いつき始めた侍女達が表情を明るくして、意識を失っている公主を取り囲んだ。
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