第143話 花の人
「参ったな・・」
俺は顔をしかめたまま唸った。
上半身を裸になり、リコが創り出した氷の鏡に背中を映し見ている。
「なんて言うかぁ・・・綺麗ですねぇ」
「うん、とっても綺麗ですよっ!」
サナエとヨーコが励ましてくれるが・・。
「呪いの類かのぅ?」
オリヌシが首を捻る。
「いいえ、そうした禍々しい感じはしません。たぶん、先生の・・妖精種の力じゃないでしょうか」
リコがじっと見つめるようにして俺の背中を分析している。
なんとも居たたまれない状況だった。
「大丈夫、綺麗ですよ」
しかめっ面をしている俺に、エリカが慰めるように声をかけてきた。
「そう言われてもなぁ・・」
俺はもう一度、氷鏡に映った自分の背中を眺めた。
やや細身の身体、その妖精種らしい真っ白な肌に、深紅の薔薇が咲いていた。大輪の薔薇の花である。
右手の手首辺りから緑色の蔦状の茎が肌身に描き出され、右腕に巻き付くように回って、肘から二の腕、さらには肩から背中へと生え伸びていき、背中の真ん中で大輪の真っ赤な薔薇の花を咲かせている・・・そういう紋様だった。
「・・なんだよ、これ」
俺はしみじみとした嘆息を漏らした。
「パパ、キレイ」
いつの間にか、館から出て来ていたタロンが無機質な声で感想を述べている。
「まあ、悪寒のようなものは感じないけどな。左手はこんなんだし・・もう今さらか」
以前に魔神の種を斃した時に左手は黒曜石のような艶のある黒色になっている。今度は、右手から背中にかけて薔薇の
「触ってみても良いですか?」
ヨーコが興味津々といった顔で訊いてくる。
「ああ、良いよ」
俺は苦笑しつつ頷いた。
途端、待ってましたとばかりに4人の少女達が背中に咲いた真っ赤な薔薇へ指を伸ばした。
「パパ、タロンモ」
「良いぞ」
俺が許可すると、ふわりと浮かび上がって、少女達に混ざって背中を触り始めた。いったい、どんな魔技だか武技だかを手に入れているのか、この頃は浮遊したり、瞬間移動したり・・やけに多才になっている。
「ゾール、何か知っているのか?」
俺はやや離れて見守っている凶相の男に声を掛けた。
果たして、
「そうした紋様を聖瘡と呼ぶ者達がおります」
いきなり答えが返ってきた。
「聖瘡・・?」
「精霊の印・・とも」
「精霊・・・ああ、そういえば・・」
すっかり忘却していたが、俺は妖精種だった。それも花の妖精だ。
「素養のある者が、ある段階に到った時に顕現する紋様だと・・」
実際のところ、口伝で語り継がれているだけで、その身で体現できた者など絶えて久しいのだと言う。
「・・俺が花妖精種だからだろう?」
「いいえ・・多くの花妖精種を見て参りましたが、誰1人として花を宿した者はおりませんでした」
「ふうん・・やけに詳しいな」
元々、あれこれと物知りな男だったが、聖瘡だという紋様については、やけに詳しい感じがする。ちょっと知っているといった程度では無さそうだ。
「この子の母・・我が妻は花妖精の民でしたので」
そっと笑う凶相の男を居並ぶ全員がまじまじと見つめた。
「奥さんが・・そうか。すると・・どこかに、花妖精の村があるのか?」
「御座います。ただ・・我が妻の故郷は妖魔の襲撃により壊滅いたしました」
「・・そうか」
「妖精族の王とされる者ですら、痣のような小さなものを宿していただけです。御館様のように鮮やかに・・これほど見事な聖瘡など口伝の中にも存在しません」
「そうなのか・・まあ、害は無さそうだから良いか」
「いえ・・口伝のとおりなら、すでにお命を失っていても不思議では無いのですが・・聖瘡の発現に際して膨大な命力と魔力を損なうと・・養分として奪われるのだと伝えられております」
「・・そう?」
俺は、神眼でもう一度自身を鑑定した。
しかし、生命量も魔力量も、全量まで回復している。
「何も無さそうだけど?」
「さらに、聖瘡が発現した後は、芽吹き、花開くまで命を吸われ続けるそうです」
「・・もう咲いたみたいだけどな」
俺の背中で、大輪の薔薇が咲き誇っている。しっかりと養分が足りた感じだ。それだけ命力を吸われたという事だろう。
ただ、俺の生命力を吸い尽くすほどでは無かったということだ。
「御館様におかれましては、一度、ゼール公国の公主とお会い頂いた方が良いかもしれません」
「・・ゼール?」
「私自身も少なからず縁がある国ですが・・ゼール王家はその紋様には縁深く、とりわけ公主は隔世ですが花妖精の血が濃く出ております」
「花妖精・・ゾールの奥さんと関係が?」
「はい・・と申しましても、妻の同郷の者がゼール王家に嫁いだというだけで、血縁がどうこうという繋がりでは御座いません」
花妖精の里が妖魔に襲われた際、別の目的で妖魔を追っていたゾールが、唯一の生き残りだった花妖精を助けて、頼まれるままゼール公国へと護衛役を引き受けたらしい。長い旅の途中に気心が知れるようになり、ゼールに着いた時にゾールの方から交際を申し込んだのだという。
「なるほどなぁ・・」
縁というのは不思議な結びつきを生み出すものだ。
「ゼールの跡継ぎ騒動は、こちらのオリヌシも知っている通りですが・・・その切っ掛けとなったのが、公主の身体に顕れた聖瘡です」
突如として聖瘡が肌身に顕れて、生命力を吸い始め、それまで健康だった公主が一気に衰弱して臥せりがちになったのだという。
「本来は、宿した者を祝福する印ですが、人間の身には厳しいものなのでしょう」
「・・そうか」
そうなのかも知れないな・・と、俺はタロンが煎れてくれたお茶を手にとった。
「それって、いきなり会いに行っても平気なんですかぁ? 揉め事になった瞬間に、ゼールという国が消えちゃいますけどぉ?」
サナエが首を傾げる。
「ゾールさんが先生をゼールに連れて行きたいって言うのは・・先生にとって良い事があるからですよね?」
エリカがじっと見つめるようにして訊ねる。
「本来、聖瘡は力を得るものなのです。耐えられれば・・なのですが」
ゾールが妻であった花妖精から聴かされた伝承によれば、大なる聖瘡は、小なる聖瘡を呑み込んで力を増すものらしい。
「つまり、ゼール公主さんの身体にある聖傷を先生が取り除くことで、先生が強くなり、公主さんは命が助かる?」
「・・そのはずです。少なくとも、御館様の聖瘡は力を増すでしょう。公主の命がどうなるかは分かりませんが・・」
仮に命を落としたところで、こちらに損は無く、労せずして貴重な聖瘡が手に入る・・と。
「良さそうな提案だけど・・」
俺は、ちらとゾールの顔を見た。
「無論、ゼール公主の命が長らえることになれば・・・との思いも御座います」
珍しく、ゾールがその凶相を俯けるようにして低頭した。
当時、ゼール公主は、妻であった花妖精を快く保護し、苦労なく暮らせるように様々に取りはからってくれたらしい。
「ただ・・世継ぎの教育には失敗をしたようで、どの者が跡を継いでも早晩ゼール公国は滅ぶでしょう」
ゾールが薄らと笑みを浮かべて言った。
「ふうん・・聖瘡の他に、ゼール公国はどんな対価を用意できるかな?」
「現公主には・・いえ、世継ぎ達を含めて、まともな対価は用意できないでしょうが・・パーリンスという町のモーラ・ユシールを覚えて御出でしょうか?」
ゾールが表情を引き締めながら、今となっては懐かしく感じる名前を口にした。
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