第106話 最強の冒険者
「この度の御助勢、心より感謝申し上げます」
レイン・フィール司祭が地面に跪くようにして頭を垂れた。
相手は、戦鎚を片手に立っているダークエルフの女戦士だ。南境の冒険者協会の女帝、リアンナその人である。身に纏っているのは純白の金属板を真紅の線模様が彩った重甲冑で、脱いで手に持っている兜には2本の太い捻れた角が斜め後ろへ向けて生え伸びていた。
炭化した魔物の屍が転がるただ中である。
司祭の護衛で付き従って来た神殿騎士達が顔を上げることができないままに、地面に片膝を着いて低頭していた。
それほどまでに、凄烈な戦気が立ちのぼり、その場に居るだけでも威圧されてしまうのだ。
「アマンダに感謝なさい」
そう言ったリアンナが指を鳴らして地面に魔法陣を描きあげる。
「始末した魔人は26人。内、狂王が1人、蛮王が8人、残りは盟主を含む下級の魔人でした」
「狂王・・そのような者が率いていたのですか」
レイン司祭の美貌から血の気が退いた。
単体で国を滅ぼすほどの魔人が、魔物の大群を率いていたというのだ。
「そこのエルフ・・君がミューゼルかしら?」
「はっ」
ミューゼルが低頭したまま返事をした。こちらも、いつになく緊張している。
「聖法の筋が良いとアマンダから聴いています。しっかり精進なさい。今くらいでは聖女の騎士は務まりません」
「はっ、精進いたします」
ミューゼルがさらに身を折るようにして答えた。
「君には・・シンが世話になったと聴きました。礼を言います」
「えっ?・・あ、い、いや・・こちらこそ、シン君には助けられていて」
意外な言葉に、ミューゼルが思わず顔をあげた。
「あの子は鍛錬を怠けていませんでしたか?」
冷徹な双眸で射貫かれ、ミューゼルは再び顔を伏せて低頭した。
「いや・・むしろ、やり過ぎと言いましょうか・・急ぎ過ぎているくらいでしたが」
「そうですか」
小さく頷いた女帝が兜を被った。戦鎚を爪楊枝のように軽々と握って、地面に描いた魔法陣の上へ進むと、未だ低頭したままのレイン・フィールを振り返った。
「アーちゃんによろしく。聖女レイン」
ちらと目元に笑みを浮かべつつ、転移術によって消えていった。
「アーちゃん・・って」
レイン・フィールが驚きに見開いた眼を、ちらとミューゼルへ向ける。
ミューゼルが困り顔で首を振った。
「とにかく・・とんでもない人ね」
大きく息をつきながら、レイン司祭が居並ぶ神殿騎士達を振り返った。
引き連れてきた騎士達から、リアンナとの対談用に選定した護衛役の10名であるが、リアンナの威圧を前に、誰1人として動けた者はいなかった。
「申し訳ありません」
頭を掻きつつ謝ったのはミューゼルだ。
「アマンダ神官長から聴いてはいましたが・・・あの方が、南境の女帝・・なのですね」
「私は、シン君から・・ボルゲン支部長は飾りだと聴かされましたが・・真実でしたね」
「なるほど・・あの支部長は生命力はありましたが・・それだけでしたものね」
レイン司祭とミューゼルが納得顔で頷いた。
「でも、南の辺境部で良かった。北部なんて・・エルフだって差別を受けるし、ましてやダークエルフとなると」
調子に乗った貴族が難癖をつけたりして、
「国が消えるでしょうね」
「・・そうね」
あの女帝が、黙って迫害を受け入れる訳が無い。
「そのシン殿は、今どちらにいらっしゃるの? 神殿を建て直して下さったのは聴いておりますが・・」
「う~ん・・内緒にしておきたいんですが、うちのジークールなんかは喋っちゃうだろうなぁ」
ミューゼルが困り顔で唸る。
「どちらに?」
レイン司祭に見つめられて、ミューゼルは小さく溜息をついた。
「たぶん・・霊峰跡地です。森の中に魔素が噴出する大きな穴があるそうで、そこへ潜ると言っていました」
「霊峰・・魔の森になった場所ですね? 魔素溜まりですら、人体が蝕まれて変異してしまうというのに・・潜っているというのは?」
「そのままの意味らしいですよ。魔素が噴き上がる縦穴がかなり下まで続いているらしく・・探索が終わったら、そのまま旅に出ると言っていました」
魔素についてはミューゼルも気をつけるように言ったのだが、魔素に対する耐性を身につけているから大丈夫だと笑っていたらしい。
「・・そうですか。すると、今頃はまた何処かの街道筋かしら」
「無事なのは間違いないですね」
ミューゼルは軽く肩をすくめた。
「それで、同行しているという4人の女の子は、あの時の・・召喚された子達なのですよね?」
「ええ、元気そうでしたよ?」
「怪我や病気はしていないのでしょうけど・・・気持ちは・・精神的なところは大丈夫かしら?」
異世界とは勝手が違うことばかりで、王城へ連れて行かれた子供達も、鬱ぎ込んだり、苛ついて暴言を吐いたり・・不安定になっている者が多いと聴いていた。
「シン君を先生と呼んで慕っている様子でしたけど?表情も明るかったですね」
ミューゼルが見た感じ、精神的に疲弊したような雰囲気では無かった。少女達の瞳の奥には鋭い気迫が宿っていて、決して穏やかな生き方をしてきたとは思えない様子だったが、鬱屈した感じはせず、喋り口調など年頃の少女そのものといった、楽しそうな表情で笑っていた。
「先生って・・・彼女達は、シン殿に師事しているのでしょうか?」
「もう笑っちゃうくらいに別人でした」
「別人に?」
「私は鑑定眼が無いので感覚的なものですけど、女の子それぞれが私の動きを封じ込めるくらいの実力者になっていますよ。まだ・・・隙を突けば何とかなるかもしれませんが、4人揃ったら、もうお手上げですね」
ミューゼルが苦笑した。いったい、どういう鍛錬を積めば2年ちょっとであれほどの強戦士に化けるのか。
「身を護るために強くなるのは良いのですが・・・ああいう年頃の女の子は、ちょっとした感情の起伏で行動がぶれますし・・注意を払うべきでしょうね」
レイン司祭が呟いた。
「召喚された他の子達はどうなっていますか?」
ミューゼルが訊ねた。
「何人かは監視付きで王城を出たそうです。貴族の養子となった子が多いですが・・王家の推薦でローブライト学園に入学した子が6人いますね」
「勇者候補生ですか?」
「皆、素質はあるのだと思います。ただ、ローブライトは貴族の子女が多く通う学校ですから・・」
「縁組みですか」
ミューゼルが苦く笑う。
「そうした意味もあるでしょう。王城では貴家の子女からの誘いを嫌がったそうですから、無理強いをせずに学園生活の中で自然な形で取り込もうという事なのだと思います」
言いながら、レイン司祭も苦笑していた。
同世代の少年少女を使っての誘惑は常套手段だ。ローブライトという学園は、政治的には中立の旧帝都にあり、同世代の知己を得ようとする王侯貴族の子息達が通っている。今頃は壮絶な誘惑合戦になっているだろう。
召喚された少年少女達ばかりでは無い。
魔人の襲来を切っ掛けに、各国が危機感をつのらせている。少しでも勇名がある傭兵や冒険者などを数多く囲っておこうとして争奪戦のような事にもなっているらしい。カリーナ神殿にも、方々から共闘の誘いが届けられていた。
「西大陸の話をお聞きになられましたか?」
「ええ・・皇国が・・皇都が陥落したそうですね」
ザナトス皇国という大国が滅んだという報せが、カリーナ神殿に届けられたのは二ヶ月も前の事だ。海にあっては数千隻という軍船を保有し、陸にあっては50万という騎士を動員していると言われていた軍事大国が、魔人の軍勢によって為す術無く攻め滅ぼされたという話だった。
「リアンナ様がいらっしゃらなければ、レンステッズも魔人の軍勢に呑まれていたでしょう。あれほどの数の魔物がいったいどこから現れたのか・・」
「転移門でしょう」
「ミューゼル!?」
レイン司祭がぎょっと眼を見開いた。
「我等が神殿は各地で予兆、余波に神経を尖らせております。北の魔境から、あれほどの魔物が通過するのを見過ごすはずがありません。南の魔境には・・あのリアンナ様がいらっしゃいます。なおのこと有り得ません」
「・・魔物だけで数万という数でしたよ?」
「神具・・この場合は魔具でしょうか。大掛かりな転移装置が魔人の手にあると考えるべきでしょう」
「リアンナ様も、そうお考えでしょうか?」
「あの方のお考えはわかりません。ただ、ヒントは下さいました」
ミューゼルが片目をつむって見せる。
「アーちゃんによろしく・・と」
「あっ! そうでした! 意味も無く、あのような事を仰る方ではありませんね」
レイン司祭が表情を明るくした。カリーナ神殿にあって・・いや、おそらくは大陸全土において、唯一、南境の女帝をリアと呼び捨てにできる存在が居る。5歳児の外見をした、カリーナ本殿の神官長アマンダ・ターレイその人だ。
本殿はもちろん、奥殿の長老方ですら太刀打ちできない、カリーナ神殿における真の最高権力者である。
「あの数を失ったのです。魔人がこの地へ再侵攻するには今しばらくの時間が必要でしょう。我々は本殿に戻って各支殿からの報告を精査します。転移門については、アマンダ神官長にお知恵を借りつつ、貴方が対処して下さい」
「・・・あれっ?」
ミューゼルが小さく声をあげた。
「なんですか?」
「いやぁ・・それ、私がやるんです?」
「貴方以外に誰がやれるんですか?」
レイン司祭に澄んだ双眸で見つめられ、エルフの青年神官はがっくりと肩を落とした。
「私、細く長く生きたいんですけどねぇ・・」
小声で恨み言のように呟いた次の瞬間、
「楯っ! 壁造れ!」
ミューゼルが弾かれたように顔をあげて、控えている神殿騎士達に向かって命令した。反射の動きで、騎士達が楯を手にレイン司祭を中心にして防陣を作り上げる。
直後、西の空で眩い閃光が爆ぜた。
禍々しいほどに赤黒く光る帯状の魔光が、大地を割るようにして右から左へ、地表から天空へと掬い上げるようにして大気を灼きながら奔り抜けていった。
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