第105話 救援
「群青に銀・・・三日月と太陽ですっ!」
魔導具の双眼鏡で監視をしていた少女が声を張り上げた。
魔物の大群による襲撃が始まってから6日目の朝の事だった。交替をとりながら懸命に応戦しつつも、外郭門を破られ、すでに内門まで後退を余儀なくされている。住人全てが中央街区に収容されて籠城を続けていた。
飛行する魔物が厄介で城壁での守防を乱され、大勢の負傷者を出しながらの完全な籠城となっていた。
そこへ、待ちに待った援軍到着の報せだ。
絶望感で圧し潰されそうな城郭内に歓声があがり、奪い合うようにして双眼鏡を覗き込む。
『カリーナの神旗だっ・・・みんなっ、大地母神の祝福だよっ!』
魔導拡声器から理事長の声が響き渡った。
「き・・来てくれたか・・ありがてぇ」
「先生っ、動かないで下さい!」
生徒に体を抑えられて、ミドーレが思わず呻いた。
脇腹に魔獣の折れた爪が突き刺さっている。ヤスリのようになっていて、押し出しても、引き抜いても内臓を酷く傷付ける場所だ。うかつに手を着けられず、そのままにしてあった。
「あ・・ご、ごめんなさい!」
「気にすんな・・それより、援軍だぜ! 援軍が来てくれたぜ!」
こんな絶望的な戦力差の戦場へ、世界中を埋め尽くしたのでは無いかと眼を疑いたくなる魔物の大群の中に、援軍など到着しないだろうと半ば諦めていたところだ。
仮に援軍が来たとしても、こんな魔物だらけの中をレンステッズ導校までは辿り着けないだろうと・・。実戦の経験がある者なら誰しもが思っていた。
だが、援軍は来た。
センダール王国でもミノール帝国でも無く、カリーナ神殿の群青旗を翻した、白銀の甲冑を着た騎士団が鎧を着せた騎馬を駆って、丘陵地に蠢く魔物を引き裂くようしてレンステッズ導校へと向かっていた。
『あぁ・・なんてこったい。司祭様の・・フィール司祭様の旗があるじゃないか?』
500騎ほどの神殿騎士団が数万はいるだろう魔物のただ中を悠然と突っ切って近づいて来るに従い、その異様な状況が籠城している学生達の眼にもはっきりと見えてきた。
『ははは・・もう大丈夫だ、みんな・・聖女様がとんでもない御方を連れて来て下さった。ようく見ておきな! あたしが知る限り、最強の冒険者のお出ましだよ』
魔導拡声器越しに、理事長の声が和らぎ、しみじみとした安堵が漏れ聞こえる。
未だ魔物の大群に囲まれているというのに・・。
「神殿騎士が到着したら、すべて指示に従え! 門を開けろと言われたら、即座に開けろ! 騎馬が突入する道を開けておけよっ!」
ボースンの声が響き渡る。
「噂の神殿騎士様を拝めるたぁ・・ついてるぜ、なあ?」
「ああ・・どこの兵も尻込みして近寄って来ねぇってのに・・・ど真ん中を突っ切っての御登場かよ」
「で・・最強のって? どいつだい?」
「さあな・・婆さん、冒険者だって言ってたぜ?」
「神殿騎士じゃねぇのか?」
「違うんだろうよ。だが、誰でも良いぜ、来てくれたってだけで・・こんな魔物だらけの中によ」
「・・先触れが到着しそうだ。行ってくるぜ」
ボースンが身を翻して走り去って行った。
「開門っ!」
良く通る張りのある青年の声が、座り込んでいるミドーレの所まで聞こえてきた。
すぐさま、応じる声があがり、重たい滑車音が鳴り始めた。
「ミューゼル、防衛の指揮を執りなさい!」
若い女の声が聞こえる。
「はっ!」
「貴殿は?」
「はっ、ボースン・クエール。当校の教員であります!」
柄にも無く、緊張した余所行きの声が聞こえてきた。
「まず、重傷者の手当を最優先に行います。案内を頼みます」
女に頼まれて、
「はっ、承りました!」
ボースンが声を張り上げていた。
あの反応、よほど佳い女なのかもしれない。
(まあ、こんな所へ駆けつけてくれる御人だ。どんな女だって、女神様に見えちまうだろうよ)
ミドーレは苦笑しかけて、痛みに体を引き攣らせた。
「こ、こちらでありますっ!」
ボースンの緊張声が聞こえ、ミドーレは痛みを堪えながら顔をあげた。
(・・女神様)
素晴らしく美しい女性が立っていた。真っ青な聖衣に、白銀の鎖帷子を着け、翼のついた兜を被っていたが、跳ね上げた面頬の下には美しい女の細面があった。
ぼうっと見惚れていると、
「引き抜きます。我慢なさい」
短く声が掛けられ、凄まじい激痛で脇腹が引き裂かれたように痛んだ。しかし、すぐにその痛みが和らぎ、ほどなく消え去っていった。それが目の前の女性の治癒術によるものだと気付いた時には、女騎士はマントを翻して次の怪我人へと歩き去っていた。
「フィール司祭様」
初老の騎士がその女騎士に駆け寄るのを見ながら、
(フィール司祭・・様・・あれが、カリーナの・・)
ミドーレは、自分がカリーナ神殿の聖女様に治癒を受けたのだと知った。
「ミューゼルに任せ、貴方は理事長へ挨拶に向かいなさい。治癒を終えて後、私も向かいます」
「はっ!」
鉄靴を鳴らし、胸甲へ手を当てて一礼するなり、初老の騎士が駆け足で中央校舎へ走って行った。
「先生、あの方は・・」
ずっと看病をしていてくれた女生徒がぼうっと頬を染めたような顔で司祭様の後ろ姿を見守っている。
「あれが・・レイン・フィール司祭様だ」
すっかり痛みが消え、傷口がどこにあったのかも分からない体を見回しながら、ミドーレはゆっくりと立ち上がった。
「おまえ、行って診療場所を案内して差し上げろ」
ミドーレに背中を押されて、
「えっ・・あ、はいっ!」
女生徒が慌てた顔で頷き、司祭様に向かって小走りに近づいて行った。半歩と近付かない内に、半身に振り返った司祭様の双眸に射抜かれるようにして身を竦めていたが、頑張って案内を申し出たようだ。目元を和らげた司祭様が頷き、喜び勇んだ女生徒が先に立って歩き出した。
その様子をしばらく見守ってから、ミドーレは城門に向かって歩き出した。
すぐに隣にボースンが並ぶ。
「魂消たぜ・・」
「魂消たどころか、魂取られたぜ・・」
どちらともなく言って、2人で肩を組んで笑った。
まだ、何も状況は変わっていないのに、すでに救われたような気分になっている。
いや、事実として、もう何の心配も要らないのだろう。
そんな気がしていた。
「そろそろ来ますよ! 魔防壁、最大魔力で展開なさいっ!」
城門上で、青年騎士が鋭く命令を発するのが聞こえた。
直後に、凄まじい突風が吹きつけてきて周囲で物が転がり、何かが割れる音が方々で聞こえる。それがピタッと止んだ。
城門上に展開した神殿騎士達による魔防壁が遮ったのだ。
唐突に、
ギイィアァァァァァァァァァァ・・・・
ガァァァァァァァァ・・・
アギィィィィィィィィィ・・・・
耳を塞ぎたくなるような異様な絶叫が幾重にも重なって響き渡り、やがて静かになった。
「掃討戦に移行します。10人組」
エルフの青年騎士の指示に、神殿騎士達が城門を駈け降りて、それぞれの騎馬の横に立つ。
「おい・・ありゃぁ、なんだ?」
魔導具の双眼鏡を手にしていたボースンが震えを帯びた声で呟いた。
「どうした?」
双眼鏡を受け取ったミドーレが覗いた先で、すらりと丈高いダークエルフの女戦士が、巨大な戦鎚を片手に魔物の死骸が散乱した丘を睥睨していた。町から3キロほどの場所だ。あれほど蠢いていた魔物という魔物が、悉く死骸となって大地に飛び散っていた。それは、正しく飛び散った跡だった。
爆心地という表現が正しいのかどうか・・。
その女戦士が立っている地点を中心に、周囲一帯が薙ぎ払われて、引き千切れたり、散じたりした死骸やら何やらで地表が見えないほど埋め尽くされている。
小鬼だの豚鬼などはもちろん、大鬼もギガントも、地龍も・・何もかもが挽肉にされて地面に飛び散ったのだ。
そのダークエルフの女戦士が軽く手を振り払ったように見えた。
直後、今度は丘陵地一帯が爆炎に包まれていた。双眼鏡で見渡せる限りの野山が一瞬にして炎に包まれたのだ。
「あぁ・・指示を変更します。たった今、外部の敵が消し炭になりました。我々は城内に専念しましょう」
エルフの青年騎士が苦笑交じりに言った。
「ジークール」
「はっ」
甲冑の上から聖外套を羽織った女騎士が身を寄せた。
「ここから外郭までの区画に紛れ込んだ魔物を片付けます」
「了解しました」
敬礼をして女騎士が騎士達に向かって指示を伝えた。騎士達が、すぐさま馬具を解いて長剣と楯を取り出す。10名が一組になって小隊を作ると、それぞれが紙に名前を書いて魔導紋を押していった。その紙を手早く集めてた女騎士が、エルフの青年騎士の元へ駆け寄る。
「貴方がこの場の長ですか?」
城外の有様を呆然と見ていたミドーレとボースンに、エルフの青年騎士が声をかけた。
「お・・おう・・いや、はい」
「私はカリーナ神殿騎士団のミューゼルと申します。我々はこれより、この内門から外郭の城門までの区間で掃討活動を行います。この内門より戻るときは、必ずこの門から戻ります。またどんな事があろうと、単騎で連絡に戻るようなことはしません。別動をする際の最小単位は10名です。 魔物の中には人間に変化するものがおりますから、くれぐれも、軽々に内門を開けないようお願いします」
「わかりました!」
理解したミドーレが、10人組の名簿を受け取って頷いた。
「では、開門願います」
ミューゼルが聖外套を跳ねるようにして長剣を抜いた。待機していた神殿騎士達が一斉に抜剣する。
「か・・開門っ! 門上げぇーーーっ!」
ミドーレが開閉装置脇に座っている生徒達に向かって声をあげた。
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