第84話 サブマリン

「どうして、こうなったんだっけ?」


 ヨーコがぽつんと呟いた。

 横で、エリカが沈黙を保ったまま温かいお茶を啜り、サナエが秘蔵の焼き餅を頬張り、リコが静かに縫い物をしていた。


 俺は丸い窓から外を眺めている。


 俺達は、馬車・・というには少々形の違う乗り物の中で揺られていた。

 たぶん魔法による仕掛けだとは思うが、ほぼ揺れを感じないまま移動中だった。

 

 水の中を・・。


 そう、どうしてだか分からないが、ツルンと卵のような質感をした流線型の乗り物に入って、黒い大河の水底めがけて潜行しているところなのだった。

 

 小魚の群れ、それを狙う大魚・・蛇だかトカゲだか分からないような魔物や、岩になりきって擬態している巨大蟹・・・。海とは違うが、豊富な生き物で溢れていた。


(死の河とか聴いていたんだが・・)


 漆黒の濁流が荒れ狂っていたのは、水面から20メートルくらいまでで、それからは果てしない透明度の水で満たされていた。


「そういえば・・みんな揃いの腕輪をしてるけど、どこかで買ったの?」


 俺が訊ねると、以前に壊れた首飾りの代わりに買ったんだという。


「何かあったとき・・これが遺ってると、誰だったか分かって貰えるじゃないですかぁ」


 サナエが腕を掲げて見せながら言った。白銀色をした綺麗な意匠の腕輪だったが・・。


「お前達がやられるような敵が相手なら・・その腕輪も消し飛んでるだろ?」


 俺は呆れたように言った。


 途端、4人の尖った双眸が向けられた。


「・・すまん」


 即座に謝って窓の外へ視線を逃した。


「色んな市場で探してみたんです。でも、これ以上の物が無くって・・」


 ヨーコが手首の輪を握るようにして俯いてしまった。


「いや・・すまん、軽率だった」


 俺は重ねて謝った。


「お金はあるから、高価な品でも良かったんですけど。職人さんにお願いしないと・・良い物は出回らないらしくて」


 私達って、一箇所の町に長く滞在できないから・・と、エリカが悲しげに視線を伏せた。


「いや・・申し訳無い。勘弁してくれ」


 俺は両手を膝について頭を下げた。


「先生を責めてるんじゃないんですよぉ~、でも、本当に何か・・そういうのが欲しいんですぅ」


 サナエが言った。

 4人が生きていた証のような物が欲しいのだと言う。ちょっとした弾みで命を落とすような異世界に連れて来られて、元の世界に帰る当てもなく、このままどこの誰だとも分からない死骸になって死んでしまうのは嫌なのだと。


「そりゃあ、修練は頑張りますよぉ? なんか、この頃は鍛えるのが楽しくなって来ちゃったしぃ・・でも、どんなに強くなっても、笑えないような強い敵が、ポンッ・・て出てくるかもしれないしぃ」


「この腕輪は魔法は弱いんですけど、お互いが生きてるか死んでいるかだけは分かるようになってるんです」


 ヨーコが説明してくれた。尾行などに使う呪祖を逆に利用した代物で、互いの血液を記憶させておくことで、おおよその位置や互いの生死が分かる仕組みらしい。


「なるほど・・それは良い魔導だな。少し見せて貰っても良いか?」


「え・・と、もう取れませんよ?」


「俺の眼で見るだけだ。そのままで良い」


 俺は神眼・双を起こして、ヨーコの手首に巻かれた腕輪を見つめた。


(鉄と亜鉛、ミスリルが微量に混ざってるか・・魔導の回路・・途切れかかってるなぁ・・仕掛けは面白いけど、造りは良くない。でも・・)


 それを言ってしまうと、また4人に睨まれそうだ。


 ヨーコ達の世界の兵士達が、自分達の首から認識票をぶら下げているらしい。万一の時に、例え損壊が酷くて顔形が分からなくても身元が判明するように・・。


「この卵っぽい乗り物、どこまで行くんでしょう?」


 エリカが窓の外に拡がる水の世界を横目にぽつんと呟いた。

 少し湿っぽくなった場の空気を変えたいのだろう。


「ずいぶん潜ってきたけど、まだ底は見えないな」


 俺が丸窓の外へ眼をやると、やけに大きな魚がすれすれを抜けていくところだった。


(・・ウナギ?)


 通過する巨体の側面に、黄色く光るような眼が並んでいて、泳ぎ過ぎながらこちらを見ているように感じた。


「水底が見えてきました」


 呟いたのは、黙々と縫い物をしていたリコだった。窓辺に居ないのに外が見えるのは、"眼"を使っていたからだろう。水中でも問題無く使用できるようだった。


「何かの・・膜・・ドロリとした中を潜るようです」


「ふうん・・」


 丸窓から外を眺めているが、側面にある窓なので前方はよく見えない。

 それにしても、ずいぶんと深く潜ったはずなのに、仄かに明るさがあるのはどういう理屈だろう。


「そういえば、この前、亀さん食べたじゃないですかぁ?」


「亀さん・・迷宮主の大亀か?」


「そうそれぇ・・内臓とか生食して倒れた時なんですけどぉ」


「うん・・」


 あれは全員が反省しなければいけない出来事だった。黒龍の内臓を生食した時の事件以降、封印していた行動だったのに、亀を食べると元気になると聴いただの、肌が綺麗になるらしいだの・・盛り上がった少女達にせがまれて、ゾエに解体してもらったのだ。あの時は、ゾエも控え目ながら制止しようとしていたのだったが・・。


「ほぼ一週間寝込んだな」


「・・ははは」


 ヨーコが引き攣った笑いを漏らす。


「サナ・・あれ、思い出したくないんだけど?」

 

 リコが眼鏡の奥で双眸を尖らせる。

 

「龍さんの時は身体に龍の一部が宿ったじゃないですかぁ? なのに、亀さんは何にも無かったですよねぇ?」


「そういえば・・」


 俺はリコの顔を見た。

 リコが首を振って、エリカやヨーコを見る。

 誰も何も起こってないらしい。


「じゃあ、あれってお腹が痛くなっただけなんですかねぇ?」


「っていうか、どうして今そんなこと・・」


 言いかけたリコが、ソレに気が付いて丸窓の外へ眼を向けた。つられて全員が水中へと眼を向けた。


 亀が泳いでいた。


 迷宮主は陸亀だったが、こちらは水かきのある大亀だ。


「ほらぁ・・スッポンって水の亀さんでしょぅ?」


 サナエがじっと亀を見たまま誰にともなく問いかける。


「すっぽん?」


「そういう亀が居るんです・・鍋に入れたりして食べるみたいなんですけど」


 俺に説明しながらリコも眼で亀を追っていた。


「美味しいのか?」


「知らないんですけど・・高級らしいです」


「ふうん?」


 亀が高級とか・・変わった世界だ。折に触れて異世界について話を聴いているが、未だにどんな世界なのかイメージができないでいる。


「亀は良いが・・少し速度が落ちたか?」


 俺はわずかな微震を始めた乗り物の内部を見回した。


「水の膜みたいなのに潜りました」


「・・見た目は変わらないんだな」


 窓から見える様子に変化は無いようだったが・・。


「私達の・・っていうか、前世の先生の世界には、亀に乗って海の底に行く物語があるんですよ」


 エリカが泳ぎ過ぎて行く大きな亀を見ながら呟くように言った。


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