第75話 嗚呼、ピサス・・。
「先生・・」
地上で待ち受けていた少女達が視線を向けた先に、血魂石が一つ転がっていた。
「よくやった」
短く労い、それ以上は何も言わずに血魂石を串刺しにした。これからは光は出なかった。
ギィァァァァァァァーーーー
無念そうな悲鳴が丘の上に響き渡った。
「リコ、周囲に生き残りは?」
「見えません」
リコがすぐに首を振る。すでに見回していたのだろう。
「そうか・・町はまあ、半壊といった感じだな」
炎は浴びなかったが、振動で瓦解した家がいくつかあるようだ。
「・・はい」
暗い顔で4人が頷く。
「石を投げつけられるかもしれないが・・戻って治療をするか?」
「えっ・・」
まさか・・という顔で4人が見つめてくる。
「嫌か?」
「え、いえっ・・その、そうお願いしようかって・・みんなで話してて」
「偽善とか言われても。恨まれてても良いから・・たぶん、何人かは助けられるし」
「良いじゃないか。自慢の心傷耐性を試せるぞ」
町の人間から、お決まりの"お前らが来たせいだぁーー"という罵声を浴びるのは分かりきっている。その覚悟はできているか?と念を押した。
「あはは、あんまり嬉しく無いですね。それ・・」
「ついでに、汚辱耐性と投石耐性も芽生えるかもしれない」
「・・先生、そんなのも持ってるんです?」
「裸に剥かれて木の支柱から吊され、毎日毎日、冒険者から口汚く罵られ続け、石を投げつけられたからな」
俺の耐性取得にまつわる秘話である。
「先生・・」
「言ったろう? 俺は記憶無しだって。冒険者達にあの手この手で追い回されて死にかけで捕まって、後は吊されて晒し者だ。自分がどこの何者かも分からない、どうして襲われるのかも分からずに魔法は撃たれる、矢は射かけられる、罠は仕掛けられる・・・あれは本当に辛かった」
あれに比べたら、偽善者呼ばわりされて石をぶつけられるくらい可愛らしい話だ。
「まあ、あの時の冒険者は1人を残して殺して回ったが・・今の俺なら最後の一人も殺せるかもな」
あの無駄に丈夫な筋肉ダルマめ・・。
「はは・・」
引き攣った笑いで誤魔化しつつ、ヨーコとエリカが正面を向いて歩き出した。
眼が泳ぎ笑顔が強張っているのは否めない。
リコは何か思い詰めたように俯き、サナエは泣き出しそうな暗い顔をしていた。
「だけど、俺はその後、素晴らしい師に巡り会えた。あの人に出会えなければ、今の俺は無かっただろう」
「先生の・・お師匠?」
リコがそっと顔を見上げるようにして訊いてきた。
「ああ・・師匠とは呼ばせてくれないから・・あくまで俺が勝手にそう思ってる。俺の心の師匠だ」
無論、リアンナ女史のことだ。あの女帝こそが俺の師匠だ。
「先生の心の・・師匠」
いつかは並び立ち、そして追い越さなければいけない。そして、その日が来たとしても・・無条件に尊敬すべき恩師である事に変わりは無い。俺にとっては、そういう存在だった。
「ちなみに・・あの人だったら、この町は焼き払えと言うだろうな」
そう言って、俺は苦笑した。
おそらく魔人との戦いが始まる前に焼き払っているだろう。
それを聴いて、4人の少女達がそっと顔を見合わせた。
「でも、先生は・・しないんですよね?」
「今はやらない」
「今は・・」
「治療でも何でも、自分達で最悪の結果まで考えた上で決めた事なら良い。ただし、後からそんなつもりじゃ無かったって泣き言を言ったら斬首だ」
「斬首・・」
ヨーコが首を縮めた。
「罵られ、石をぶつけられ、食べ物に毒を入れられ・・それでも町の人間を助ける覚悟を決めろ。そして、そう決めたなら背筋を立てて胸を張れ!」
俺は叱咤するように全員に声をかけた。
「鎧は着ていて良い。武器は収納しろ」
歩きながら指示をする。
「兜は脱いで顔を見せておけ」
「・・はいっ!」
「糞を投げつけられるかもしれないからな・・洗浄とかの魔法は自由に使って良いぞ」
「うぅ・・はいっ!」
「お前達がやりたい事をやるんだ。誰から頼まれたわけでもない。命じられたわけでもない。自分達がやりたい事をやるんだぞ?」
「はい!」
「相手がやめてくれと泣いて頼んでもやるんだ。お前達の気が済むまでとことんやれ!」
「は・・はいっ!」
ほぼやけくそのような形相で4人が叫ぶように返事をした。
「よう」
崩落した城門脇で呆然と座り込んでいる番兵に気安げに声を掛けて通過する。
静まりかえった町中で、
「治癒が必要な奴は居るかぁーーー」
俺は声を張り上げた。
びりびりと家屋の壁が震動するほどの大音声である。
「ほんと・・先生って、無敵で羨ましいです」
リコが耳を押さえながら苦笑する。
「俺達をルカートに売り渡した貴様等など皆殺しが相応しいっ! だが、俺の連れが慈悲を掛けろと懇願してきた! 故に、俺の気が変わらぬ間だけは、治癒を施すことを許可した!」
さらに、外に布陣していたロートレン傭兵団を殲滅したこと、頭目の魔人を仕留めたことを告げ、ルカート商国やロートレン傭兵団に義理立てし、仇を討ちたい者がいるなら城門前で決闘を受けると宣言した。
「じゃ、俺はここにいるから」
俺は、真っ青になって震えている番兵達を横目に、崩落した門扉を椅子代わりにして腰を下ろした。
「えぇぇ・・この空気で・・治療ぉ~?」
サナエがきょろきょろと街中を見回した。みんな死神を見るようにして物陰に身を置いて懸命に息を殺している。
「・・とにかく様子を見て回ろう」
ヨーコが提案し、3人がそれぞれ頷いて街中へと向かって行った。
その背が遠ざかるのを待って、俺は番兵を手招きした。
「で・・?」
「その・・脅されて・・それで」
俯いて震えながら若い番兵が何とか事情を説明しようとするが声が小さすぎて聞こえない。
「宿屋に子供を寄越したのは誰だ?」
「あれはトライン公のご子息で・・」
「ピサスという苗字だったぞ?」
「ここでお連れの方に矢で射殺されたのが、ヨーゼルト・ピサス。貴方に宿屋で殴られて亡くなった方がヨンネン・ピサスですよ」
そう言いながら近づいて来たのは、先日、お茶を買った店の女主人だった。
「あんたか・・」
「なんか、迷惑かけちまったね」
世間話でもするかのような落ち着いた声音だ。どうやら、番兵よりよほど腹が据わっているらしい。
「迷惑・・だったな。のんびり寛ぎたかったのに・・邪魔をされた」
「悪かったよ。このとおり」
女が手を合わせて頭をさげて見せた。
「事情は・・余所者に話せる内容?」
「ああ・・簡単な話さ。前の御領主がお世継ぎの無いまま亡くなってね。後釜に来たのがピサス一家ってわけさ。この辺はトライン領って呼ばれてるから、そのままトライン公・・なんだけど」
女主人が肉付きの良い太い腕を腰に当てて嘆息した。
「知ってたみたいだけど、ルカート商国の連中とは昔っから仲が悪くてね。そりゃ、先々代の御領主の頃からの因縁ってやつで・・」
取り引きで騙したの騙されたの、同盟関係で裏切ったの裏切られたの・・そういう揉め事が頻発し続けて、とうとう先代の領主が領地内をルカートの商人が通過することを禁じ、商取引そのものを認めないと決定したそうだ。
「新しいトライン公・・ピサス一家は、遠縁がルカート商国の港主をやってるって家柄らしくてね、領内の決まり事を撤廃して、ルカート商国との商取引を再開するって公布されたばかりなんだ」
「ふうん・・」
「あんた達との因縁は知らないけど・・ロートランなんて魔人兵団まで雇い入れて、領主の子供達が直々に来ちゃったんだ。そこの子達なんか抵抗しようが無いんだよ。勘弁してやってくれないかね?」
若い番兵達を子供扱いである。たいした女傑らしい。
俺は小さく笑った。
「怪我人ついでに、病人がいたら言ってくれ。できる範囲で治療するよ」
「・・本当かい!?」
「この町には二つ宝がある。一つは、焼き餅にタレをかけたやつ。もう一つは、あんたが煎れてくれたお茶だ。この二つを対価に、治療を引き受けよう」
俺は瓦礫に腰掛けたまま笑顔で言った。だからこそ、爆炎の余波で延焼しそうだった町を守ったのだ。
「あははは・・・あたしの茶なんか好きなだけ煎れてあげるよ! 焼き餅ってのは市場横の餅屋だね?任せときなっ、話付けてくるから! っと、あんた達っ! 何ぼんやりしてんだいっ! 町中の怪我人、病人をかき集めなっ!」
大声で吠え立てて、お茶屋の女主人がのしのしと通りを歩いて去って行った。
「あの人が領主で良いんじゃないか?」
俺は呆れ顔で若い番兵に言った。
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