第62話 追いすがる者
血を吐くような思いで石床を蹴って走る。
素早さや脚力には自信があったが、すでにそんなものは崩れ去っている。先を行く集団の足元にも及ばない。向こうは甲冑姿で武器を持っていて、こちらは布地の衣服だけの軽装だというのに、こちらは絶息寸前まで走っているというのに・・。
「あの人達、下で休んでるわ、今の内よ」
声を掛けてきたのは、黒い蝙蝠のような翼で飛翔している女だった。一緒に地下牢に囚われていた女だ。涼しい顔で飛んでいるようで、この女も疲労を隠しきれないでいる。飛ぶために何かを消耗しているらしい。
「あ、あいつ・・あいつらおかしい」
息も絶え絶えに言いながら、下層への階段へ飛び込んだ。
この迷宮では、先行者が殲滅したとしても、15分ほどで魔物が蘇るのだ。もう時間的な猶予が無い。足を縺れさせながら頭から飛び込み、そのまま石段を転がり落ちてしまった。
当然、先行する連中には気付かれただろう。
いや、もっと前から知られていたのだと思う。ただ、放っておかれただけだ。
激しく噎せ返りながら、力が入らずに震える手足を突っ張って何とか身を起こそうと頑張っていると、
「君、何してんのぉ?」
間近で、女の声がした。
ぎょっと見上げたそこに、トカゲ人ような爪の生えた手をした少女が立っていた。
慌てて連れの女を捜すと、禍々しい黒翼を生やした少女を前に、縮こまるようにして床に座って項垂れていた。
「あら、美味しそうねぇ」
さらに足音が近付いてきて、厳めしいトカゲ頭の怪人が見下ろしてきた。
「ん・・ラオン君ね。そっちは、リザノートちゃんかぁ」
両手がトカゲ人のような女がいきなり名前を呼んだ。
「そう脅かしてやるな」
若い男の声がして、禍々しい雰囲気の黒鎧が近付いて来た。
「なんだ、こいつら?」
「ほら、侯爵のところで捕まってた子供と魔人ですよ」
「・・・あぁ、そうだったかな? そいつらが、こんなところに何の用なんだ?」
「早く答えないと、食べちゃうぞぉ~」
トカゲ頭の女がのし掛かるように迫ってくる。
「申し訳御座いません・・私は自分の階層へ戻るために参りました」
女が這いつくばったまま言った。
「自分の・・?」
「あなた、ここに住んでる人?」
黒翼の少女がふわふわ浮かんだまま訊いている。
「・・はい。おそらく・・なのですが」
「分からないの?」
「罠によって転移する先で待ち受ける・・そう定められているのです」
女が俯いた。
「あぁ・・そんな感じかぁ」
「ですが、ここへ来るまでの間、そうした罠が見当たらず・・とにかく先に進むしか無く、それで・・」
「ふうん、まあ、だいたい分かったわ。それで、そっちの子供ちゃん・・カサンリーン国の王太子ラオン君は何の用?」
トカゲ頭の女の言葉に、凍り付いたように動けなくなった。
すべてを知られてしまっていた。
この連中、鑑定スキル持ちだった。
「俺は・・王家の剣を奪った奴がここに・・この迷宮へ入ったって聴いたから」
故郷を飛びだし、方々を彷徨った末に薬を盛られて奴隷商に捕まり、侯爵に買い取られて地下牢で隷属のための教練を受けていた。明日を夢見ることも無くなり、死を望みながらも隷具で縛されて、いたぶられ続けていたのだった。
「それで?」
トカゲ頭の女がじっと見下ろしてくる。冗談でなく、そのまま食いついてきそうな雰囲気があった。
「・・手ぶらじゃ国に帰れない。せめて、あの盗賊の手掛かりだけでも掴めたらって・・それで来たんだ」
「その泥棒の名前は?」
「デラーク・・獣人の男だ」
「ふうん・・」
「剣というのはどんな物? 何か特徴は?」
「口で説明は難しいけど・・片刃で半分が青くなってて・・手を包むような守り籠手と一体になってる」
「う~ん・・ここへ来る途中じゃ拾わなかったわね?」
「そんな形なら気付くと思うけど・・」
「その獣人の泥棒は、強いの?」
「近衛の衛士が9人斬られてた。みんな剣闘会でも上位に名前があがる奴ばかりだった」
「へぇ・・強そうね」
「身体の特徴は?髪や眼、肌の色とか」
「え・・えと、髪の毛は黒色で耳の辺りだけ白い毛が房のようになってる。眼は獣化するときに金色になるらしい。肌は赤茶けた色で・・大人なのに俺と同じくらいの背丈だったって・・」
「うん、それだけ分かっていれば間違わないわね」
「君、武器は? 手ぶらで来たの?」
「え・・うん、追いかけるのが精一杯で」
「そう。じゃあ、途中で拾うと良いわ」
トカゲ頭の女が牙の並んだ口をわずかに開けて笑ったようだった。
「先生、良い?」
「生きるも死ぬも、そいつらが決める事だ」
黒鎧が興味無さそうに言った。
「そう言うと思いました」
トカゲ頭の女がくすくすと笑いながら軽く頭を振った。途端、トカゲ頭が消え失せて、眼鏡をかけた黒髪の長い少女の顔になった。間近に見ると、びっくりするくらいに整った顔立ちだ。
「あなたは、どうする?」
ふわふわ浮かんでいた少女が地面に降りたって背中の黒翼を消した。
「鑑定眼をお持ちのようです。私の・・種族はご覧になったでしょう?」
「ええ・・」
「その上で、私に選ばせると仰るのですか?」
「そうよ?」
少女が不思議そうに見下ろす。
「私は魔人・・隷具を外れた魔人ですよ?」
「あちらの黒い鎧の人、あなた達の血魂石を砕いちゃいますよぉ~」
わきわきと鉤爪のついた手を動かしていた少女が両手で黒い鎧の男を指さした。
「我等の魂石を・・だから、ここに来るまでの階層に見当たらなかったのですね」
女が呻くように呟いた。
「しかし、私は・・私の種族は抑えていても精神支配の魔気を漂わせてしまうのです。それは成人した男性には抗し得ないもの・・・同行するわけには参りません」
「だって、先生ぇ?」
「そんなものが俺に効くか」
若い男が吐き捨てるように言う。
「ですよねぇ~」
鉤爪突きの手をパタパタ振って、普通の人の手に戻した少女がけらけらと陽気な笑い声をたてた。
黒い鎧の男が小さく溜息をつきながら、鬼を模した面頬を持ち上げた。兜の庇下に、思ったよりも若々しい繊細な感じの目鼻が覗き見える。
「戦利品の分別は終わったか?」
若い男の問いかけに、
「はいっ!」
4人の少女達が元気よく返事を返した。
「なら、行くぞ」
男が面頬を閉じ、少女達がどこからともなく武器を抜き出して手に持った。
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