第57話 生食の果てに!

 少女達の名誉・・いや未来のために、忘れてあげるべき情景が広がっていた。


 まあ、さすがに可哀相なので描写はしない。

 それほどの事態が起こってしまった。

 いや、まだ過去形にするのは少し早いか・・。


 七転八倒の苦しみの果てに、気絶すら許されずに悶絶してのたうち回り、色々と台無しにしてしまう惨状が繰り広げられていた。

 俺自身が苦悶のあまり幾度となく意識を飛ばしかけたほどだ。4人の苦しみたるや想像を絶するものだったろう。



『御館様っ!しっかりなさって下さいましっ!』



(なんとか・・大丈夫だ。でも、これは・・きついぞ)



『申し訳御座いません! まさか、これほどとは・・』



(血と心臓だな・・というか、一度に全種類を食べたのがまずかった)


 一つ一つを別々に食べていれば、ここまでの悲しい騒ぎにはならなかったはずだ。



『このお詫びは・・罰はいかようにもっ!』



(いや、良いんだ。1回の苦しみで済むと思えば・・悪くない)


 俺は脂汗を浮かべたまま座り込んで耐えていた。



(だが・・このままだと、この子達が死んでしまう。少し、薄れさせられないか?)



『お許し頂けるなら、皆様の体に入って少し毒抜きを致しましょう』



(俺は大丈夫だ。あいつらを助けてやってくれ)


 俺の命令で、無限収納から染み出てきた黒い粘体が、地面でのたうち回って痙攣している少女達の口から身体の中へと潜り込んでいった。



****



(ぁ・・ここ?)


 リコはそっと眼を開けた。視界がぼやけているが、板張りの天井らしかった。


(眼鏡・・)


 たぶん、いつもの癖で枕の下にでも押し込んでいるのだろう。

 そう思って枕の下へ手を入れようとしたが、どういうことか腕が動かなかった。


「起きたか?」


 不意の声は思いがけず近くで聞こえた。


(ぇっ・・!?)


 その声がシン先生のものだとすぐに気付いた。

 宿屋はもちろん、天幕で野営するときでも、寝る場所は別けて絶対に入ってくることが無かったのに、どうしてここに居るのか?


「無理をさせた。すまなかった」


 真摯しんしな謝罪の声に、改めて驚きが波紋のように拡がっていった。

 シン先生のこんな声は初めて聴いた。


「ぁ・・の」


 声を出そうとすると酷く喉が痛んだ。


「まだ無理をするな」


 そう声が降ってきたかと思うと、背に手を回されてゆっくりと上体を起こされた。まるで壊れ物でも扱うかのような丁寧な感じに、驚きが二重、三重になって拡がっていく。


「・・水だ。飲めるか?」


 そう言って差し出されたのは、透明な硝子の水差しだった。どうやら、飲ませてくれるらしいと気付いて、リコはぼやけた視界でシンの顔を探しながら水差しに口をつけた。


 ひんやりと冷えた水は柑橘類でも搾ってあるのか、口中で良い香りが立って鼻腔がすっと楽になるようだった。灼けたような喉元を冷えた水が滑り落ちていくのが分かる。


「まだ横になっていた方が良い」


 そう声が聞こえて、再び静かに寝かされた。


「みんな無事だ・・今は寝ている」


(無事・・みんな・・)


 聞こえた言葉を頭で反芻しながら、リコは軽い頭痛を覚えて瞼を閉じた。


「夜明けまで、まだ時間がある。ゆっくり眠れ」


 わずかな軋み音を残して、足音が遠ざかっていった。


(シン・・先生?・・どうしちゃったの?)


 ひどく不安げな声音に聞こえた。

 

(・・誰?)


 シンが、どこか離れた場所で、知らない女性と話しているようだった。

 何かをやんわりと断っている感じだ。

 

(珍しい・・)


 いつもなら取り付く島も無いほどに、ぴしゃりと断っている。

 内容までは聞こえなかったが、女性の方も小声で囁くように何やら言っていた。


(アマリス・・・じゃないよね?)


「・・大丈夫です。ありがとう」


 礼を言った声は、はっきりと聞こえた。


「起きたか?」


 今度は少し離れたところで声がした。


「しんさ・・」


 弱々しい掠れ声はエリカのようだった。


「無理に声を出さない方が良い」


「ここ・・」


「リン・リッドにある宿屋だ」


(宿・・リン・リッド・・)


 2人の会話を聞きながら、リコはそっと眼を開いた。


 肉眼では見えないが、魔技によって室内を俯瞰して見ることができる。


(ぁ・・ぇ?)


 寝台が4つ並べられ、端からヨーコ、サナエ、エリカ、そしてリコ自身もその一つに横たえられていた。

 白いガウンのような寝間着を着て、薄い布団を掛けられていた。

 一目で分かるほど、全員の顔色が悪い。酷く疲れた顔で眠っていた。


 エリカがシン先生に水を飲ませて貰っているところだった。


(ぁ・・)


 そう言えば、さっき自分も飲ませて貰った。

 あらためて様子を見ていると、ちょっと顔が火照ってくるような・・。

 やつれた顔のエリカが、シン先生に背中を支えられながら、水差しを口に当てられている。

 

 広々とした部屋の中には他に寝台は無かったが、扉の近くに長椅子が置かれて、毛布らしきものが掛けられている。

 たぶん、あの長椅子でシン先生は寝ていたのだろう。


(・・看病してくれてたんだ)


 そのくらいは、ぼんやりとした頭でもすぐに分かる。


 その時、扉が控え目に叩かれ、すぐにシン先生が扉を開けて外に来た女の人と話し始めた。


(どうしたんだっけ・・?)


 なんで、こんなところで寝ているんだろう?

 そう思った時、シン先生と眼が合った。

 魔技で俯瞰している視線を見上げるようにして捉えられていた。


(・・やばっ)


 咄嗟にそう思ったが、よく考えてみれば特に悪いことをしていた訳じゃない。

 シン先生の眼も叱るような感じはしなかった。むしろ、どこか和らいですら見える。


「腹に物が入るようなら、スープが用意できるらしい。どうする?」


「ぇ・・と、まだ・・」


 舞い戻るように意識を身体に戻して答えると、


「そうか。欲しくなったらいつでも言ってくれ」


 そう言ったシン先生が、ふと振り返ってサナエの寝ている方へと歩いて行った。

 サナエが寝言のような声を漏らしたようだった。

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