第49話 凶相の来訪者

「治癒師様・・」


 扉を遠慮がちに叩く音がして、扉の外で家の主人の声が聞こえた。


 小さな山里にある村長宅に一晩お世話になっていた。


「夜分にすいません」


 廊下に顔を出すと、村長の不安げな顔があった。


「どうしました?」


「お客様が・・その、お子様が病気だと申しております」


「お客?」


 もう追っ手がかかったのだろうか。痕跡を残したつもりは無いのだが・・。

 呼ばれるまま外に出てみると、


(なるほど・・)


 村長が不安になるわけだった。


 痩せた男が立っていた。

 とてつもなく人相が悪い。誰が見ても悪人だと決めつけるだろう酷薄な目つきをした男だ。頬は削げ、唇は薄い。手首、足首を絞った黒衣姿で、細い腰帯に短刀が吊されていた。


「貴方が?」


 男が枯れて擦れるような声をかけてきた。


「治癒師というのは、貴方か?」


「治療が必要には見えないね?」


「娘だ」


 痩身の男が小さく呻くように言った。


「3歳になる娘だ」


 男が狂気が滲む必死の形相で見た。


「娘さん・・?」


 何の事だか分からなかった。

 俺は改めて男の様子を観察した。その視線をふと男の背へと向けた。黒布で巻かれたものが背負われていた。


「それ、あなたの娘さんか?」


 俺は、急いで近寄ると黒布を開いて中を覗いた。青黒く変色し、血膨れのような塊が肌を持ち上げている痛ましい顔をした幼い女の子だった。俺は、凶器のような男の顔と、痛ましく変色しているが愛らしい幼女の顔を見比べた。どう見ても、完全なる他人である。血縁であるとは信じ難い。


「む・・蟲を・・妖蟲を呑まされた!」


 膝から崩れるように痩身の男が座り込んだ。驚いた事に、その凶悪な顔を悲嘆に歪め、血を吐くような慟哭を漏らしたでは無いか。

 蟲という単語を聴いて、俺は、苦しげに喘ぐ幼女の口元を嗅ぎ、唾液に混じった刺激のある異臭に眉根を寄せた。胃袋の辺りを盛り上げた異物達が何をしているのか徐々に膨らみ始めていた。

 恐らく、取り返しのつかない事になっているのだろう。


「水を」


 俺は凶相の男に向かって言った。

 男が顔をあげた。


「その村長さんに頼んで、できるだけ綺麗な水を用意してくれ。かなりの量が必要になる」


 俺は繰り返し諭すように、凶相の男に言い含めて幼子を床へ抱き下ろした。


(ゾエ・・)


『御館様?』


(この子の中から蟲を・・蟲が悪さした痕跡を取り除けないか?)


『蟲とその体液は処理できます。ただ私には治療をする能力はありません』


(蟲と体液をおまえが食べ、治癒をサナエに任せる・・どうだ?)


『それなら大丈夫です。後遺症も残らないと思います』


(よし・・やってくれ)


『畏まりました』


 一瞬のやり取りの末、収納からスルリと抜け出たゾエが、幼子の口から体の中へと入っていった。わずかの間に、スルリと出て来て収納へと戻っていく。


(どうだ?)


『ご馳走様でした。とても美味でした』


(よくやった!ゾエにしか出来ない仕事だ!)


 俺は素直に賞賛しながら、サナエ達が寝ている部屋へ向かった。


「すまないが・・」


「すぐ行きます」


 扉の向こうで聴いていたらしい。全員が外に出て来た。


 そこへ、痩せた凶相の男が村長と共に戻って来た。


「中の蟲は片付けた。これから、この・・サナエとリコが体の治癒をやる」


 男が運んで来た盥を床に置かせ、


「蟲を呑まされていた。体の中にいた蟲とその体液は処理したが傷は治っていない。サナエは傷の手当てを、リコは他に異常が無いか水術で体の内から調べて欲しい」


「はいっ!」


「分かりました!」


 すぐさま二人が治療に取りかかった。


「エソの傀儡蟲・・育ち始めていた。もう・・・大聖術でも引き剥がせないと聴いた」


 凶相の男がやや離れた場所で、跪くようにして治療を受けている童女を見つめていた。


「蟲は処理したと言ったろう? 蟲の痕跡はあの二人が治癒してくれる」


「真に・・御礼の申しようも・・」


 喉を詰まらせたように言葉を切って、凶相の男が俯いて膝頭を握りしめた。


 その時だった。


「おと・・しゃん」


 敷布にしている白布の中から幼女の声がした。


「リリアン!?」


 顔色の悪い凶相が勢いよく振り返った。


「おとさん」


 もう一度、今度は滑舌のはっきりとした声で幼女が呼んだ。

 枕元で、サナエとリコがやり切った顔で安堵の笑みを浮かべている。


 俺は大急ぎで目を逸らし背を向けた。

 この手の場面は大の苦手なのである。


(見ざる、聴かざる・・)


 先に慟哭したのは悪人顔の父親の方だったろう。幼い娘はつられて泣き始めたようだった。


 間に合わなかった。


 俺は天井を見上げた。

 背中で聞いているだけで目頭が熱くなってくる。花妖精の身体が、この手の場面にとにかく弱いのだ。


(ぅっ・・勘弁してくれ)


 結局、上を向いたまま涙で頬を濡らしてしまう。何とも締まらない事だった。

 すぐ後ろで、ヨーコとエリカも口元を押さえて嗚咽を堪えている。

 その気配がまた俺の涙腺を刺激するのだった。




「申し訳ありませんでした」


 幼娘が眠るのを待って、凶相の男は事情の説明を始めた。

 俺としては、聴かない方が良い気がしていたが、話し始めたものは仕方が無い。

 そして、後悔した。


「娘の命と引き換えに、おれを暗殺しろと?」


 男の話をまとめると、そういう事になる。留守中に娘を掠われ、そして脅迫されたのだと言う。


「・・受けたのか?」


 仕事を受けているなら、敵に塩を送った形だ。この場で殺し合いをやらなければならない。


「いいえ、約定を守るような相手では無いと知っておりましたので・・」


「ふうん・・」


「捜し当てて助け出したのですが、すでに妖蟲を呑まされた後でした。私自身、解毒には自信があったのですが、すでに手の施しようも無いほど侵食されており・・」


 暗殺の的にされていた相手の痕跡を辿る内に、腕の良い水療師と聖術師が同行していると気付いた。


「縋るような思いで、こちらへ参りました」


 話す間も、凶相の男は立とうとせず、床に膝をついたままである。


「・・殺しを命じたのは誰だ?」


 答えは返らないだろうと予想していたが・・。


「ゼール公国、サージャ・レド・ゼール」


 即座に答えが返った。


「ゼール・・跡目争いで大変だという?」


 首を傾げつつ、オリヌシから聴かされた話を思い出してみる。まったく接点が無く、殺されるほどの恨みを向けられる覚えは無いはずだ。


「この地の領主、守護総代をしていたモイーブ・レドナンドの呪術で操り人形になっておりました」


「ええと・・?」


 いきなりの話についてゆけず、俺は男の危険過ぎる顔貌を眺めた。細く開いた双眸は、まるで薄刃の刃物である。


「あ、あの・・私達は部屋に戻っていますから、何かあれば声を掛けてください」


 村長夫婦が話の重さから逃げるように退出していった。


「こちらの方々が斃されたようですが、レドナンドは優れた妖術師を輩出している家系です。あまり公にはされていませんが・・数多くの王家、大貴族などに依頼されて裏の仕事を引き受けてきた家系でもあります」


「ゼールも?」


「サージャ・レド・ゼールは実姉と実弟の呪殺を依頼していたようです」


「その二人が死ぬと、サージャというのが王様に?」


「いずれ、そうなるでしょう」


 淡々とした口調で語る凶相の男に抱かれて、幼娘が静かな寝息をたてていた。

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