第36話 出航、そして・・・。

「洗浄を使っておけ!」


 俺は帆柱の縄を引いて絞りつつ、舵棒を押して船首を寄せ波に向けながら怒鳴るように言った。あまりに風が強く、帆を下ろしたのだ。


 出港して間もなく、全員が船酔いで倒れた。

 そこへ、軽い嵐がやってきた。

 波はさほど高くなく、やや風が強いかな・・というくらいだったが、何しろ船がよく揺れる。この世の地獄に落ちたような顔をして女達が蹲り、俯せになり、そして堪らずに嘔吐している。船縁に出れば落水する。なので、船内で吐いている。その光景と臭いで、また別の奴が吐く。


 その汚物を洗って臭いを消せと言っているのだ。


 わずか6日でこの有様だ。


 漕ぎ手を期待していた少女達は青い顔でぐったりと倒れ使い物にならない。

 リーラまでが赤子を預かったまま七転八倒していた。サリーナにいたっては息をしているのかすら怪しい。自分がいたしたブツの中に顔から突っ伏したまま身動き一つしない。

 

「・・色も艶も無いな」


 船内には女ばかり、男と言えば俺だけという、人が聴けば羨むような状況下なのだが・・。


 俺は、燻製の鳥肉を囓りながら、風防にしている布を跳ねて外の様子を眺めた。

 強風はやや和らぎ、代わって叩きつけるような大雨が降っていたが、神眼・双のおかげで、悪天候でも問題無く見渡せる。


(鳥・・じゃなくて飛竜か)


 重々しい雨雲の合間を、飛竜が八頭飛んでいるのが見えた。


(これ・・塩が薄かったな)


 骨が出て来た鳥肉を見ながら、まだ肉が残っている辺りに齧り付く。

 裏を覗いてすっかり肉が無くなったのを確かめ、俺は鳥の骨を海へ放り捨てた。

 

(結局、風任せじゃないか)


 誰も漕がないのだ。帆の向きを変えてみたりしたが、何しろ俺は素人だ。帆船を操ったことなんか無い。舵だけは、似たり寄ったりなので問題無いが・・。


(お・・)


 俺は軽く眼を眇めた。すぐさま、濡れそぼった甲板上へと跳び出て、細剣を抜き、小楯を装備した。


 大きくうねりの残る海原を下から突き破るようにして黒々と巨大な影が浮かびあがってきた。


(やはり、生きていたか)


 海面を割って出て来たのは、竜頭の怪人と巨大な海竜だった。

 

(・・無理だな)


 このまま戦っても、俺は生き延びられる。だが、船内の連中は助けられない。

 

 潰れたはずの海竜の頭部は、すっかり傷が癒えていた。竜頭の怪人も完全に回復したらしく、例の三叉槍を手に新しい甲冑を着ている。


「名を聴こう、小さき勇者よ」


 いきなり、竜頭の怪人が話し掛けてきた。

 まさか人の言葉を喋るとは思っていなかったので、正直驚いたが、


「シン!」


 雨に負けないよう声を張った。


「我は、南海を統べる者、ヤタランス・オード」


「そっちの大きいのは?」


 俺は海竜を見た。海竜の方も、金色に底光りする瞳でこちらを見つめている。


「名はシギン。我が乗騎なり」


「・・・竜が馬代わりか」


 なんとも剛毅なことだ。


「シン・・と申したか。種祖は花妖精のようだが・・・あれほど見事な武を身につけるとは・・未だに信じられん」


「苦労したからな」


 俺は油断無く、竜頭の怪人と海竜を見ながら笑った。


「我は自身の武に誇りを持つ者。騙し討ちなどせぬ・・と申しても信じられぬか」


「まあ、それで良いじゃ無いか。互いに不都合は無いだろう?」


「・・そうだな」


「何か・・・用事かな?」


 俺はそろりと訊いてみた。場合によっては戦闘が始まる。


「シンは、細身の剣をよく使う」


「ん?・・ああ、こればっかりだな、俺は」


「そうか。ならば・・これを受け取ってくれぬか?」


 竜頭の怪人が、細身の剣をこちらへ放った。

 受け取ってみると、ずしりと重い。今の俺でなければ持ち上げるのも苦労しただろう。


「これは?」


「俺はこれだ」


 竜頭の怪人が、三叉槍を掲げて見せた。


「・・そうなんだろうな」


「それは、我が所持する宝具の一つだ。だが、使われることが無いまま埃をかぶっていた不憫な武器でな・・・お主なら使ってやってくれるだろうと思い持参した」


「これを・・俺に?」


「永年、鞘すら払うことなく宝物として置かれていた品だ。使ってやってくれ」


「ありがたい。良い剣を探していたところだった」


 俺は素直に礼を述べた。


「我も理屈は知らぬが・・その剣は、折れても欠けても再生するそうだ。我が槍もそうなのだが」


「・・凄いな」


 素材なのか、何かの魔法がかかっているのか。

 俄には信じがたい話だが、竜頭の怪人が嘘を言っているとは思えない。


「今更だが・・シンが居た島は南海の魔物達にとっての聖域なのだぞ?」


「聖域?」


「始まりの島として言い伝えられている。太古に魔神がお創りになった原初の島だという話だ。種族によらず人が踏み入ることは禁じられている」


 竜頭の怪人と海竜は、島への侵入者を排除するためにやって来たらしい。


「それは・・知らなかった。俺達は、船が座礁して流れ着いただけだ。あの島が目的という訳じゃない」


「あの島を護ることは、我の役目の一つでもあった。お主に打ち砕かれたが・・な」


 竜頭の怪人がちらと牙を覗かせた。あれで笑っているのかもしれない。


「あれは引き分けだろう? 決着はつけられなかった」


「おいおい、こちらはシギンと・・二対一だったのだぞ? たった1人の花妖精にあそこまでやられては、我らの完敗だと言うしかないな」


「・・・俺には記憶が無い。花妖精なのは分かるが、どんな種なんだろう?」


 転生者した身らしいと告げた上で、花妖精について訊いてみた。


「ふむ・・長命な妖精種だが数は少なく、他の種族と争うことを嫌い、他種族に出会うとまっしぐらに逃げるらしいぞ」


「それはよく言われた」


「あまり強い力は持たないが、草木と心を通わせると聴いたな」


「へぇ・・草花と?」


 想像つかないが、何か不思議の力があるのだろうか。

 この竜頭の怪人も、あまり知らないようだった。どこまでも地味な存在らしい。


「ところで、そのような小船でどこへ向かっているのだ? このまま潮流に乗ると、魔族の大陸へ行く事になるが・・・まさか、それだけの手勢で攻め込むつもりか?」


「ぇ・・あぁ・・いや、実は人が住んでいる港町を目指していたんだが・・」


 俺は現状の説明をした。

 

 途端、竜頭の怪人に声をあげて笑われてしまった。


「よかろう! その海域まで、我等が送ってやろう」


「え・・良いのか?」


「シギンに任せるがいい。ここからなら・・6時間ほどになるか」


「ぜひ頼みたい。正直、困っていた」


「シンほどの勇者が・・何を困ることがある。その辺の魔物を捕まえて使役すれば良かろう?」


「その、勇者は止めてくれ。俺は記憶無しの花妖精だ。どこぞで召喚される勇者とは違う」


「召喚?・・ああ、神々の一柱が、異世界に干渉しているらしいな。暇つぶしだと聞いたが・・勇者を喚ぶ? 勇者とは、そう称えられる行動をした者に与えられる尊称だ。素養だの血筋だのは意味を成さぬぞ?」


「まあ、そうなんだろうが・・とにかく、勇者は止めてくれ。俺はシン。それだけだ」


「・・謙虚なことだな」


「俺はただの冒険者だ。強くありたいとは思うが、名声なんかはいらない」


「では、冒険者のシン。人間が造った海岸の町へ連れて行こう。舵は動かぬよう抑えておけ。6時間ほどだが、武について語り合おうでは無いか!」


「・・分かった。付き合おう」


 俺は舵棒を固定しつつ、手で握って支えた。

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