第6話 悪夢の後で

 結局、混沌の主を名乗ったヴィ・ロードという魔人は暴れるだけ暴れて、陽が昇ったところで笑いながら帰って行った。


 地獄だった。


 ミューゼルと2人で耐えに耐えた、長い長い時間だった。


 魔人が去った時、俺はもう半死半生の体で地面に崩れ伏してしまった。


 何一つ、効かなかったな・・


 相手は、魔術の一つも使わず、体技だけで遊んでいたというのに・・。


 武技という、戦いの途中で使えるようになった魔法のような奇妙な技も、当たりこそすれ無駄に衝突音を鳴らすばかりで、最期まで魔人は無傷のままだった。




*****



「シン君、起きていますか?」


 部屋に入ってきたのは、ミューゼル神官だった。後ろに、いつぞやの女司祭が続いて入ってくる。俺の看病をしていた修道女が大急ぎで壁際へと離れて控えた。


「傷はもう良いのかい?」


「・・痛みがあるというのは、健全な証拠だと教わりました」


 俺はそっと頬を動かして笑みを作った。

 正直、悲鳴をあげたいくらいに、あちこちが痛んでいる。熱もあるようで、全体に倦怠感が非道かった。


「診ましょう」


 小さく断って、女司祭が俺の体に掌を当ててきた。

 間近に見ると分かるが、思慮深そうな双眸をした綺麗な女性だった。そっと胸に当てられた掌からも優しさが伝わってくるようだ。



「治癒の聖魔法を使います。体の力を抜いて楽になさい」


 司祭の声に、


「・・はい」


 俺は素直に答えて眼を閉じた。


 ややあって、清涼感のある穏やかな温もりが体の中に流れ込んできた。


 眠りに誘われる心地の良い安心感・・。


 酷い目に遭ったが、この治癒魔法を受けることができたのは、ちょっとした土産話になるだろう。なにしろ、この女司祭様は、近隣では知らぬ者などいない聖女様なのだから。

 言葉を交わすだけでも祝福があるんだと冒険者の野郎共は騒いでいる。その上、こうして治癒をして貰ったと言えば、羨ましがって泣き出す奴まで居るに違いない。


「なにか楽しい?」


「え・・ああ、いえ、司祭様に治癒を受けたんだと、知り合いの冒険者に自慢してやろうと思って」


 俺は眼を閉じたまま呟いた。どこか夢を見ているような微睡んだ心地である。


「そう・・貴方は冒険者でしたね」


 司祭様がわずかに笑ったようだった。


「はい。登録して半年の駆け出しですが・・なんとか食っていけてます」


「教導役として、こちらのミューゼルが貴方を指名したそうです」


「・・そうだったのですか。どうして、俺・・私なんだろうと不思議だったのですが」


「ミューゼルの眼が確かだったことは証明されました。教導者としての資質は分かりませんが、実地での戦いにおいて、貴方には十分な経験と実力がありますね」


「・・さっきのアレでしたら、ほぼ一方的に遊ばれただけでしたけど」


「シン君、アレからもう7日だよ?」


 ミューゼルの言葉に、俺はぎょっと眼を見開いた。


「・・えっ!?」


「貴方が戦ってくれたおかげで、神殿に集う者達に被害が及びませんでした。礼を申し上げます」


 ミューゼルが畏まった事を言って頭を下げた。


「ああ、いえ・・言ったとおり、何にもできませんでしたから・・逃げ回ってばかりでした」


「私は王都へ出掛けていて留守でした。ミューゼルの他にも神殿騎士は残していたのですけど・・」


「まあまあ、司祭様・・シン君が頑張ってくれて、神殿は無事に済んだ。それで良いではありませんか」


「・・そう・・そうですね。日頃、軽薄者と陰口を叩かれている貴方が・・」


「ほら、司祭様・・純真なる若者に妙なことを教えないでください」


「あ、ああ・・そうだった。すまない、少年・・いや、シン君でしたね。この度の働き、このレイン・フィールは終生忘れません。ありがとう」


「・・過分な御言葉・・恐縮です。フィール司祭様」


「その言葉遣い・・とても、冒険者とは思えませんね」


「ええ、私もそう思います」


 ミューゼルが言った。


「シン君は、記憶が無いそうなのです。転生者だろうとは、ボルゲンさんの見立てのようですけど」


「・・この若さで、魔人と渡り合うほどの武の持ち主なのです。その通りなのでしょう」


「召喚者達の時はゆっくり説明をしてあげられませんでしたが、質問があればこの場で教えますよ?」


 フィール司祭がそう言って、壁際に控えていた修道女へ視線を配った。すぐさま、修道女達が外へ出て行く。


「私も外でお待ちしております」


 ミューゼル神官も扉の外へと出て行った。


「まず、自身の能力を軽々に他人に教えてはならない・・これは良いですね?」


「・・はい」


「ですが、項目の意味についてはお教えできます」


「あ・・そうです。それで訊きたかったのです」


 生命力だの魔法力だの、言葉の意味としては理解できるのだが・・。


「いずれも、その素養という程度の意味合いしかありません。数値は大きいほど素養が高い・・とされていますが、厄介なことなのですが、かなりの個人差が存在します」


「個人差?」


「例えば、筋力の数値が9という双子が居たとして、二人が力比べをやったとしましょう。同い年で、同じように育った二人です」


「はい」


「数値の上では同じ筋力のようですが、必ず優劣がつくのです。同じように育った二人ですが、どちらかが何かの行為・・癖でも習慣でも・・ちょっとした何かをやっていたことが作用して、結果として筋力の差としてあらわれるのだと考えられています」


「・・素養という点では一緒なのですよね?」


「それも曖昧です。筋力がつきやすい・・筋力が衰えにくい・・色々な点で優秀であるのは確かです。ただ、筋力が7の人が9の人より劣るかと言えば、必ずしもそういう結果にならない・・王都の研究者達も頭を抱えていました」


「それで、目安・・ですか」


「ええ、ある程度、優れている・・優れている可能性があるという程度です」


 それが本当ならば、確かに"目安"程度の数字ということだ。


「なるほど・・それと、技能というのは習慣とか、経験が要因になると伺いましたが」


「そうですね。これも、そうなのだろうという程度です。研究者達は、鑑定具では表れない何らかの素養があり、その素養に合った体験をすることで、技能として顕現するのだと申しております」


「経験・・体験が切っかけになるのは間違いないんですね?」


「ええ、それは確かだと思います」


 フィール司祭がしっかりと頷いた。


「武技というのは?」


「・・・それは口にされない方が宜しいでしょう」


「あ・・そうなんですか?」


「非常に稀な力です。剣技や体技など、ごくありふれた体術の延長として、技能の一つとして顕れるものは多いのですが、貴方が言う武技とは技能とは別でしょう?」


 司祭が微笑した。


「私も武技持ちです。ふふ・・これは秘密ですよ?まあ、戦いの中で隠しておけるものではありませんけどね。ただ、使わずに済むなら隠しておくことも戦い方の一つでしょう?」


「そうですね」


 手の内をひけらかして得することは何もない。


「それから・・武技に数字が記されているでしょう?かなり大きな数字です。一見すると分数のように見えてしまいますが、それとは違うものです・・・あっ、分数はお分かり?」


「ええ、なんか・・理解できます」


 学校になど行ったことが無いのに、俺は算術が得意だった。


「・・凄いですね。本当に、いえ・・シン君は間違い無く、転生者だと思いますよ?」


「なんか、そんな気がしてきました」


「ふふ・・話を戻しますが、分子のようにみえる数字は行動、行為によって増えていきます。多くの場合は、武技そのものの使用ですね。そして、分母のような数値に達した時に、新しい武技が生じることが多いようです。と申しましても、武技をそこまで顕現させた者はいないようですから・・数に上限があるのかどうか分かっていないのですけどね。熟練度を数字で表したものなのでしょう」


 色々と詳しく説明をしてくれた。


「召喚された方々は、鑑定をする技能をお持ちらしいです」


 不意に、フィール司祭が言った。


「えっ!?」


「鑑定されないようにする技能もあるのだとか」


「神々のなさることですもの・・我々卑小の身では計り知れない理由がおありなのでしょう」


「では、能力を秘密にしていても暴かれてしまうんですね。その召喚者には」


「そうなりますね。あまり気持ちの良いことではありません。召喚された少年達には、私の能力を覗き見られていたようでしたから」


 それもあって、腹いせに自慢の一喝を浴びせたそうだ。この女性もなかなか面白い人物らしい。


「結局、そうした力は使う者次第です。わざわざ能力のことを吹聴する必要はありませんし、暴かれたからと言って困るような事はありません。武技持ちだからと囲い込もうとする輩が現れるくらいで、シン君は冒険者協会とカリーナ神殿という後ろ盾があるのです。堂々としていれば何の問題もありませんよ」


「・・はい。感謝致します」


 これは大切なことだ。よく考えておかないといけない。

 貴族などが地位を利用して俺を子飼いにしようと勧誘してきても断れますよ・・・でも、冒険者協会の名を使うか、カリーナ神殿の名を使うかによっては、そのどちらかに頭が上がらなくなるという事だろう。

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