第2話
神に選ばれた国という文句で隆盛を誇るこの国を、神聖デルセリア王国と言う。科学を異端とし、古来より伝わる魔法で自国を守り続ける、少々時勢に遅れた国だ。
確かに立地条件は神に選ばれたと言っても差し支えないだろう。西に自然国境であるグィユン山脈を、東に内海であるセスト海を控えている、つまり天然の要塞に囲まれた国なのだ。隣国が攻めて来ようとしても、それらの自然に邪魔をされてしまう。
おまけに国王によって国民総軍事教育がなされているこの国は、隣国が科学的な進歩を遂げて、神や自然の力を科学よりも格下だとないがしろにしだしたにもかかわらず、いまだに魔法というものが生き続けている。小さな火を起こしたり、水を出したりといった初歩的なものではなく、突き詰めて強化した争いのための魔法。
そしてその魔法が、特殊な軍を作り出し、国の守護に当たっているのだから、自然堤防にてんてこ舞いにさせられる侵略者なんて簡単に追い払ってしまえるのだ。
「って、特殊過ぎるけれどね」
呟いて僕は足を進める。
街は乾いていた。土埃が舞っていて喉が少しイガイガしてしまう、僕は自分の口元を羽織った藍色の外套で覆った。空気の乾燥度合いが高いのはここが国の東方だからだろう、西方は海が近いから冬でもここよりは湿気がある。
口元を押さえたままに僕は顔を上げた。王都とは違ってこんな国の外れの街では、そんなに背の高い建物もない。だから景色はよく見える、例えば――グィユン山脈とか。
標高が高いから、実によく見える。空気の所為で青く霞んで見えるその山が、いや、その山の向こう側が、僕の旅の最終目的地だ。自然国境を越えれば辿り着けるはずの隣国、エン。本来この国から出ることは法律で禁止されているのだけど、決まりなんて破るためにあるようなものなのだし。まあ、そんなのは子供の理屈なのだろうけれど。
あといくつの街を抜ければ麓に辿り着けるのだろう? 考えかけて僕は止めた。未来の事を考えられるほどに、僕の現状は余裕に溢れているわけでもないのだし。
なんと言っても街に入って早々に嫌な視線をくれる人が一人ならずいるようだし、ね。
「よォ兄ちゃん、なんだってこんな街にやって来た? 見たところ観光客じゃあなさそうだな、芸人か何かか? 旅でもして周ってんのかい」
突然掛けられた声、そして首に回された腕。僕よりも頭一つ分ぐらいに巨大な体躯を持った中年男性が、黄ばんだ歯を見せてニッと笑い掛けた。口臭、というか煙草の臭いが不快だな。僕は小さく、ばれない程度に顔を顰める。あまり神経を逆撫でせずとも良いだろう、この程度ならば。
街に入って感じた視線のうちの一つの正体は掴めた。それはそれで歓迎すべき事態だし、この腕を振り払うことは容易いけれど、その必要も今のところは無い。この年齢ならば『学校』を出て以来、まともに僕のような種類を相手にしたことなんて無いだろうし。
《手を貸すか?》
「いや結構、この程度なら一人でも平気だよ」
「あぁ? 何言ってんだお前は」
余所者への不信感なのだろうか? それとも僕の噂を知っている人間なのだろうか? どちらにしても、障害になるようならば薙ぎ倒せば良いだけのことだ。僕はやっと彼を見上げる、口元から外套の端を外して。
彼は訝しげな表情を引いて僕を見下ろし、ニヤリと笑った。僕もつられて笑って見せる。彼は突然険のある目になって、僕をグッと引き寄せた。
ああ、面倒くさい。
「歓迎してやるよ、刹那・クリストフ」
「それはどうも、お気持ちだけ受け取っておきたいのだけれどそれは無理なんでしょうかね……」
「無理な相談だな、あんたを待ってずっと用意してたとびっきりのパーティなんだから」
デルセリア王国の教育機関は六才から二十才までの十四年間に設定されている。初等教育機関が六年、中等教育機関が三年、高等教育機関は三年。そしてその後に士官学校に二年間入れられることになっている。軍事訓練、つまり戦闘の方法を学ぶその二年間で素質を見出された者は、更に二年間の延長コースに編入され、国軍への入隊を義務付けられる。国民総軍事教育のこの国、その中でもエリートとされるのが軍人。
隣国の人々は、この国の軍人を呼ぶ。
あながち間違ってもいない呼称で。
化け物軍団、と。
連れ込まれたのは場末の酒場だった。そこにはゴロツキと見紛うばかりの男達が多数酒を酌み交わしていて、喧騒や陽気な声があったのだけど、僕達が入店すると同時に静まってしまう。巨躯の男、そうでもない男。女性が居ないのは救いだな、と思って僕は胸を撫で下ろそうとしたのだけれど、先程から僕を引き摺ろうとしている男に合わせて足を踏み出さなくてはならず、それは叶わなかった。
自分の身体の重量を他人に知られるのは困る、些細なことなのだけれど。男が歩くと板張りの床がギシリと鳴る、だけど僕が歩くともっと大きな音が鳴る。僕の体重は、この巨漢よりも、遥かに大きい。もっともこの場に居る人間は、緊張の所為か誰も気付いていないようだけれど。
「よぉファミリー、街の新しい仲間だ。刹那・クリストフ、裏界隈で指名手配中の国軍逃亡兵。賞金は一千万ナム! さあ歓迎パーティの始まりだぜ、ブラザー」
宣言した男がニヤリと笑う。そしてそのまま僕の首に腕を掛けた。締め上げて宙吊りにでもしようと思ったのかもしけないけれど、僕の体重に一瞬彼は怯む。そしてその隙を見逃すほどに、僕は甘くない。
やっぱり、『学校』を出てから戦場経験がないとなると――この程度なんだろうな、勘なんて。
僕は外套を手で払う、左腕に仕込んだダガーを右手に構え、左肘を相手の鳩尾に入れた。
戦闘開始――僕は、すぅと目を細めて全員の位置を把握した。
科学を異端とし、魔法を至上とする、そんな国で。
僕は生きている。
僕は逃げ出そうとしている。
狂った国から抜け出そうとしている。
力任せに襲い掛かってくる者を交わし、体勢を崩さないように軽くステップ――と行きたいのだけれど、僕の身体はいかんせん密度がありすぎる。ギシギシと鳴る床を気遣いながら一人、二人、三人。これはこれで中々に面倒な立ち回りだな、と僕は広げた外套に一人を受け止める。そしてそのまま外套の端を引っ張って、相手を跳ね飛ばした。一気に三人、と喜ぶ間もなく不穏な気配。
「火炎を守護する幼神に伏して力の貸与を請う、平穏を乱し祖国と神々に仇成すものへの鉄槌を齎せ」
「葉を揺らし涼を与え大気の循環を統べる風、そこに宿る神々よ、伏して願うゆえに出でよ、祖国を守る矛となれ」
「水に宿りし神の名の下、我らの祈りを聞き届けられんことを願う、彼の者暴虐を振るい罪無き人々を恐怖と絶望に陥れんとする者へ裁きの慈悲を」
「暴虐を振るわれているのは僕なんだけれどね……元素魔法詠唱系、か」
明らかに体育会系でない人間も混じっているのには気付いていたから、魔法を使われるだろうことも予測済みだし。とは言え一気に三人の同時攻撃か――中々考えてはいるらしい、攻撃を避けながら最低限の反撃だけを繰り返し、僕は思考する。
避けることは容易いのだけれど、その所為で誰かが巻き込まれるのは僕の本意ではない、かも。とは言え元素系の魔法は打ち消せるほどに得意ではないからなぁ……仕方が無い、折衷案。
僕は跳躍してカウンターの内側に回る。これでほんの少しの間だけれど時間は稼げる、彼らがこちらに入ってくるまでの。木製のカウンターに手を着き、指先で素早く陣を書く。実現速度を速めるためには魔方陣と詠唱の併用をするなんてのは、士官学校でも初期に教えられることだ。
「我が意思を汲め、
短い詠唱。
メキ、と音が鳴った。僕はカウンターから少し離れる、棚に背中がぶつかって置かれていた酒瓶が揺れ、擦れて涼しげな音を立てる。落ちて来ないよね? 僕は棚を見上げた。敵に囲まれた状態で随分余裕と思われるのかもしれないけれど――だって、敵は全員僕なんて見ていないのだし。
カウンター、もといその構成物質である木から生まれた傀儡。大きさは普通の人間よりも少し大きいぐらいだからそんなに巨大なわけでもないのだけれど、見慣れない人間にとっては十分に威圧的だろう。顔の無い人形、巨躯、振り上げられる拳。一瞬止まった男達は、次の瞬間に腰が引けだしていた。呪文を詠唱していた術者達もそれが止まってしまっている、集まっていた幼神も自分達を呼び付ける者の意思が反れたことに散らばっていった。とりあえず一旦危険回避、僕は肩を竦めて一安心。痛いのはやっぱり嫌だしね。
「お、おい……なんだこれ」
「士官学校で習ったろ、傀儡系魔法……ってやつじゃねぇのか?」
「傀儡系? 知らねぇよ、大体傀儡系魔法使いってのは絶対数が少ないんじゃ――王家ぐらいだって言われたぞ、俺は!」
「元素系や生物系なら相手したことあるけど、こいつ、どうやって倒すんだよ。人形なんだろ? どうやったって立ち上がってくるんじゃねぇのかよ!」
「生体系でも敵わねぇって教官に言われたぜ?」
「なんでそんな奴が軍を逃亡なんて――」
「あの」
ひょい、と挙手して、僕は動揺の走った彼らに声を掛ける。
彼らはこちらを見る。
僕は笑う、そして――指を弾く。
傀儡は腕を振り下ろし、板張りの床に大穴を開けた。
「僕は出て行っても良いのでしょうかね」
首を傾げて尋ねれば、全員が壁際に身を引いた。僕はカウンターを飛び越え、板張りの床に――
「うぎゃっ!?」
降り立とうと思ったら、そこは穴が開いていた。
「…………」
「あたたたた……うぅ、しくじった」
全員がひどく呆れた気配、だけど誰も身体を押さえながら這い上がる僕に飛び掛ろうとはしない。中々紳士で良い事だなぁと、僕は改めて立ち上がる。そして、先程入ってきたばかりのドアへ、今度は出る為に向かった。
傀儡程度で済んで良かった、むしろあまり人に怪我をさせずに済んで良かった。左腕にダガーをしまって、僕は一息吐く。
「隙あり!!」
「ありません」
背後から飛び掛って来た男に、僕は見向きもせずに裏拳を繰り出す。床に沈む音、僕は次に溜息を吐いた。そしてハーフフィンガーグローブに包まれた自分の手、指を鳴らす。
背後のどよめきは傀儡が崩れたことに対するものだろう、僕はやはり振り向かずに店を出た。
外に出ればやっぱり乾いた風が吹いていた。僕は街に入って来た時と同様に、再び自分の口元に外套の端を当てて喉を保護する。街の人々は僕を見ても無反応 ――と言う事は、この街で僕が指名手配犯であるという情報を握っていたのは、彼らだけだと言う事だろうか? だったら宿はマトモに取れそうだ。裏界隈のことなんて普通の住人が知ったことではないのかな、と僕は宿を探してきょろきょろ辺りを見回す。この通りだとさっきの彼らに見付けられて面倒だから、少しずれたところにしよう。
寂れた雰囲気はあるけれど、それなりの活気はある。良さそうな街だな、と僕は眼を細め、小さく笑みを浮かべた。
「しかし驚いたね、あんな普通の人達まで僕の情報持ってるとは思わなかったよ。国王はよっぽど僕が西に進むのを嫌がっているらしいね」
呟けば懐で仄かな光が生まれる。
《国境を出れば、国ぐるみでしている非人道的な所業の証拠が流出するということだからな。あんな猫の手でも借りぬよりはマシということなのだろう、下手な鉄砲だ》
「そう、当たりはしないけれど邪魔で仕方が無い。引け目のあることならばしなければ良いんだ、あの人も……もっとも、僕みたいに子供には分からないって決め付けられるのだろうけれどね。このナリじゃ子供扱いされても反論出来やしない」
《因果なものだな、まったく》
「本当にまったく」
《西に進むに連れて面倒事は増えるだろう。先程の子猫達など、まだ可愛いものなのかも知れんぞ》
「嫌なことを言わないでよ……軍人の相手なんてもうごめんなんだからさ。そんなのは十年前に一生分戦ったよ、君が」
《お前は泣いているばかりだったな》
「うるさい。とってもうるさい」
《事実だ。まあ、泣きたいのならば泣くのも良いだろうがな。私は構わん》
「僕は激しく構うんだけれどね……」
会話に一区切り付いた所で、僕は宿に足を踏み入れた。カランカラン、と耳に優しいベルの音が鳴る。それに気付いたのか、カウンターで少しうつらうつらしていたおばさんが、首を伸ばして玄関を伺ってきた。僕は口元に当てていたマントを外し、小さく会釈する。彼女は丸っこい顔に笑顔を乗せて僕を迎えた。
「おやまあ、こんな辺鄙な村に何しに来たの、お兄さん。芸人さんには見えないけれど、国境近くの町はどこもこんな風にあんまり開発されてないんだよう。お兄さん、東から来たのかい?」
「ええ、王都から」
「あれまあ、それはまた遠い」
「うん、十年ぐらい歩いてる」
僕の言葉を冗談と思ったのか彼女は、お愛想だろう、ころころと声を上げて笑った。そりゃそうだ、十代前半辺りから歩いている勘定になってしまう、僕の外見年齢からすれば。笑いながら彼女は僕に宿帳を示しサインを求める、僕は書き込んだ。さらさらと、あまり綺麗ではない文字が横向きに走る。白い宿帳はあまり繁盛していないのか、見た目の古さの割にページの進みが悪いようだった。
おばさんは僕からペンを受け取り、宿帳を自分の方に向けて少し屈む。目があまり良くないのだろうか、顔を近付けて文字を読もうとしているようだった。
「刹那・クリストフ・リトエルトさんね。あらまあ王様と同じ苗字なのねぇ、もしかしてお兄さんも王族さんなのかねえ」
「ええ、実は先王の第八王子なんです」
次も冗談と思ったのか、彼女はやっぱり声を立てて笑った。
「嫌だようお兄さんたら、先代の王様が亡くなったのはもう三十年も前なんだよう。お兄さんみたいに若い王子様がいるわけないじゃないか。はいはい、お泊りは二日ね。それじゃあこれが鍵、キーホルダーに部屋番号がついてるから、二階から見付けてね」
「はい」僕は差し出された鍵を受け取る。「ところで代金はおいくらですか?」
「あら、そんなの出る時で良いのよう」
「いえ、先に払っておいた方が色々楽ですから」
例えば止むを得ない事情で即刻去らなければならなくなってしまった時とかに。
僕の言葉におばさんは少し言いよどんで、だけど「三泊四日で二千ナムだよう」と教えてくれた。
僕は懐から小銭袋と札入れを出して数える。少し色を乗せて、おばさんに差し出した。そしてそのまま、奥に見える階段へと足を向ける。
背中ではおばさんが上げる高い声が聞こえた、だけどやっぱり僕は振り向かずに二階へと進んだ。
「さて、もう一人の剣呑な気配さんはどう出るのかな……」
部屋の窓から外を眺める、新たに人が入ってくる気配は無い。
僕は息を吐いた。
「兄上も、本当に、しつこい……」
《これは、やはり私の出番か》
「まだ良いよ、相手が大勢か、僕と同じ傀儡系魔法使いの時は頼むから。君は大人しくしてて。君が出たら、本当に誤魔化せないからね」
《私は主を守る、それが聖隷の役目だ》
「ん、知ってるよ。――そして感謝もしてる。ありがとう、劫」
外套の内側、仄かな光、声の音源を押さえ。
僕は眼を閉じた。
「はい。確かに刹那・クリストフです。栗色の髪に飴色の目、二十代前半の容貌、藍色の外套。現在位置は西部です。西部辺境の街、ラトミク。ええ、こちらからはアプローチはまだ――はい? ……了解しました、国王陛下。祖国に永劫の忠誠を」
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