第8話
「おきゃくさん、このお店は初めてですか」
「はい、ポケットティッシュの広告を見てきました」
「そしたら30分間で1980円ぽっきり、ソフトドリンク付きです」
「・・・あのう、おんなの子とはお話はできるんですか」
「もちろんです。ここはキャバクラですからね。お部屋ごとのドアの覗き窓から順番に中にいる女の子を見ていって、かわいい子を選んでください」
「はい」
明るい店内。見れば、ホールの対面にずらりと湾曲するかたちで、堅牢で立派な板ドアが20個くらい並んでる。天井は高く、まるで高級ホテルの吹き抜けロビーのような豪華な造り。さすがに新しくできた高層ビルは違うな。ソファにすわって、ボーイさんに前金のお金を払った。出されたおしぼりで手をふく。高級な場所なのに、信じられないようなリーズナブルな料金。ほんとにお話ができるのだろうか。もしそうだとしたらすごい穴場だ。ドーパミンもさることながら、オキシトシンをばんばん放出させてくれそう。大きな期待感が持ち上がる。そうだ、やつらふたりに教えてやればきっとよろこぶにちがいない。
ソファから、色とりどりのドアを順番にながめた。図画工作で使ってた真新しいパレットに緑と黄緑の絵の具を載せ、さらに白色のチューブをぎゅっとふんだんに押し出してそれら全部を筆の先で混ぜ合せた時のような、淡い中間色のペンキが刷毛で丁寧に塗られていた。まるで「はをみがこう」と小学校の衛生週間に描いた水彩画のような、ペパーミントの香る健康的なスペースだ。ライトピンクのドアもいくつかある。そして真ちゅう製の重厚なドアノブがまたお洒落。まるで中世ヨーロッパの宮殿だ。それにしても部屋が1対1の密室になってるんだなんて、変わったつくりだと思えた。部屋のそれぞれに、なにか特別な仕掛けでもしてあるのかしらん。
ひとりの男子学生がドアから出てきてにこにこしながら隣のソファにすわった。まだ出てこない別のドアの向こうの、連れの友達を待とうとしてるのか。横目で観察すると、まだ笑顔を残してる。よほど楽しい時をすごしたのだろう。うしろのソファには同じように連れを待ってるらしき女子学生の何人かがしゃべっていた。男だけでなく、女性も楽しめるところ?どの子も笑顔で雑談なんかしてるところをみると、まんざらこの店、捨てたものじゃないかも。学生たちのあいだでにわかに流行り出した、明朗会計の人気店かもしれないな。
顔をもとに戻そうとした刹那、目と目が合った。あの男だ!俺は目線をそらして前方だけを凝視する。後列の一番端にすわって、ずっとこちらを伺っていたではないか。なんとも薄気味わるいやつ。早くこの場から立ち去りたい。
「いらっしゃいませ」のボーイさんの声が飛び、新しいお客さんらがぞろぞろと入ってきた。きっと同じゼミの仲間だろう、そのなかに一人だけメガネをかけた初老の男も混じってる。教授なんだろう。
そうか、早い者勝ちだ。すくっと立ち上がった。内側からカーテンの引かれてない覗き窓を順番に覗いていくのだ。ひとつめのライトパープルのドアに近づき、覗いてみた。部屋は明るく、かなり広いようだ。豪奢なシャンデリアのようなものが天井からぶらさがっている。座卓椅子が一脚見え、ソファが死角あたりに見えた。ひとりの長い髪が座ってる。栗色の髪の毛。顔が見えない。どうしよう、次の部屋のドアに移ろうか、迷いつつ、ドアを叩いてみた。髪がこちらを振り向いた。覗き窓の向こう側で真正面に向き合って立つ。はにかみ顔をみせてくる。目が合う。思わずドアノブをひいて中に入った。
「はじめまして」
やさしい声。すっごい、いい笑顔。二十歳くらいの女性。えくぼだ。とても魅力的。そのえくぼに固視してる自分がいた。あれは、めくるめく快適な時だった?それがなんだったかずっと長いあいだ思い出せないできた。小学校入学式の、かつて白黒写真で撮った時のアルバムの中の自分。幼いその自分と今、この瞬間、合わさったり、はずれたりして四苦八苦してる。時間は静かに流れている。
「こちらこそ、はじめましてです。よろしくお願いします」
両手を膝にそろえて深々とお辞儀をしてみせた。その動きがあまりに仰々しく見えたのだろう、女性は口に手をあて、天井に向かってカラカラわらった。なるほど、国語の教科書で先生から習ったばかりの「カラカラ」の擬態語をこの人は使ってた!
「こちらにすわって」と言うや、やおら手を掴んできた。座卓椅子に腰かけさせてくる。女性はというと、すぐ目の前で立ったままでいる。大きく息遣いしていたようだった。フレアの長いスカートの宇宙色が目の前でじっとしてる。生地にはおびただしい星の運河が刺しこまれている。と思いきや前のめりにスカートの裾の端を両手でつかんで大きくたくしあげ、その勢いのままにこちらの上半身を、スカートの中へすっぽりと覆ってきた。
「えっ?なに?」
今、スカートの中?首を回す間もなく、今度はすぐさま覆っていたスカートが宙に舞い上がる。部屋の光が入ってきて、そこにあった生足の膝が鼻の先でぶつかる。見上げるとスカートの裏地はもっと高くふわりふわり、巨大なくらげのように舞い上がっていく。静電気で、自分の髪がぴんとスカートの天井に向かって伸びてるのがわかった。
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