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与論島へは沖永良部から飛行機が出ているが、そう時間もかからないので船で行くことにした。南の海の洋上の風は初夏を思わせて気持ちよかった。与論島は沖永良部の五分の1ぐらいの小さな島で、人口は6千人ほどである。観光とサトウキビで成り立っていて、島中サトウキビ畑であった。百合子の伯父の家は海のそばでなく、島の中央部にあるサトウキビ農家であった。

 渡嘉敷のおじいより少し年長かもしれないが、日に焼けた真っ黒い肌にランニングの白さが印象的であった。表札には戸村と書かれていた。渡嘉敷さんに聞いてきたというと、

「渡嘉敷さんはお元気でしたか」といい、座敷に通してくれた。百合子が妻であって亡くなった旨を告げ、来訪の経緯を説明した。


「そうでしたか、亡くなったのですか。よく知らせに来てくださった」と言って、ハラハラと涙を流した。

「どっから話していいのやら…そうです、私は小さな畑でサトウキビをつくっています。あれが学校出ましたが、こんだけの畑では夫婦で十分です。子もおりませんのであんまり遠くに行かれるのも淋しいもので、その辺を考えたのか沖永良部で働き口を見つけて来ました。盆と正月は土産をいっぱい持って帰って来てくれました。渡嘉敷さんも良くしてくれて、仕事も楽しいと喋ってくれ、私らも喜んでいたのですが、突然帰って来まして、家に置いてくれと言います。事情を聞くとお腹に子供がいると言うじゃありませんか。相手は誰かと聞くと、民宿に来た客だというだけで、渡嘉敷さんには言わんでくれと一点張りです。「下ろすか」と聞くと「産みたい」と言いよります。実の娘ならハッ倒しても下ろさすのですが、近所にわからんようにほとんど家の中で過ごさせました。難産でした。子供は産まれたのですが2ヶ月後に亡くなりました。泣きましてなぁー。身も世もないぐらい悲しみました。海に身を捨てるのではないかと心配したものです。実はあの子の母親は、私の妹ですが、海に身を投げて死んでおるのです。あの子を産んで暫くしてです。1年したら帰って来ると言っていた男を待っていたのです。女は不憫なもんですなぁー。私らの子供として育てましたが、世の中にはしょうもないことを言うものもおります。それでもあの子は暗くならず、健気な子でした。いっこも手もかからず家のこともよく手伝ってくれました」。老人はタバコに火をつけて、一服してまた話を続けた。


「1年ほど家に居りましたでしょうか、突然大阪に行くと言いましてな。仕事先は見つけてあると言いますんや。『何時までもおじさんとこの厄介になるわけはいかん』と言いまして、それならこの島の民宿なり、ホテルでもよかと言っても聞いてくれません。もう二十歳も過ぎた娘が決めたことです。大阪に出て寿司屋に住み込みで働いているとハガキが来て、2年ほど連絡がありまして、それから何の連絡もなくなりました。寿司屋に電話したらやめたとのことで、どこに行ったかも分からんということです。ズーと心配しておりました。そうですか、あなたと結婚していたのですか。良かった、良かった。思いをとげたんですなぁー」と、また涙を流し仏壇の前に拝みに行った。

透も後ろから手を合わせた。嬰女と書かれた位牌が目に入った。透は慟哭を殺して顔にハンカチを当てた。老人にはおじいに見せた写真は見せなかった。

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