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大阪に帰って来てみると、熱い夜を交わし、素敵な思い出をくれた百合子だったのに、あまり化粧をしていない島の女はやっぱり野暮ったく思え、簡単な礼のハガキを民宿に出しただけであった。営業部に移るとすぐに、営業部ピカイチの早苗と恋愛関係になった。結婚まで1年とかからなかった。
結婚後、1年の準備期間をおいて独立した。会社では没にされたが、ある汎用性のある部品に自信があった。前から貯めていた資金に、銀行からの融資で東大阪に小さな工場を借りた。工場の横に借家がついているのが好都合だった。
融資を心配したが、ベンチャー育成だとかで、新たな融資制度が出来て、お陰で融資が受けられた。人の手配は下請けで親しくしていた工場主が尽力してくれた。 独立することに早苗は反対であった。何も安定を捨て、リスクを冒す必要もないと云うのである。独立の話は結婚前には聞いていないと不満げであった。
結婚、独立と慌ただしくしているうちに、沖永良部のことはすっかり忘れてしまい、たまに思い出しても「伊勢海老をもっと食べとけばよかった」程度であった。
渋々であったが早苗は工場の事務を手伝った。1年後に子供が出来た。2年間は思ったより順調であった。実績も出来だした矢先に大口の受注を得た。技術的に難しいものであったが、怖がっていてはベンチャーはやっていけない。何とか出来るだろうと引き受けた。
出来上がった製品は不良として全品返品された。創業して間もない会社に余裕資金などあるはずもなかった。この仕事のための借入だけが残った。
透の家は丹後に年老いた両親がほそぼそと民宿を営んでいる。それでも会社を起こすときは、少しだけだと援助もしてくれた。これ以上は無理も言えない。他に無理を頼める縁者も思いつかない。
やむを得ず、早苗に実家から多少の援助をしてくれないかと頼んだが、「そんな余裕はないわよ」と、早苗はにべもなかった。
透は資金手当に追われた。そんな折に早苗は透の会社の従業員と出て行ったのである。泣き面に蜂であった。
「返品は喰らうし、嫁はんにも逃げられ、社長なにしてまんねん」ということだろう。ほかの従業員も落ち着かなくなった。5人程度の従業員がみな抜けてしまったらそれこそお手上げである。透は焦った。
どこで救いの神があるか知れない。透は出来るだけホームの端には立たないことにしていた。何故なら、吸い込まれそうな精神状態であったからである。でも考え事をしていたのだろう。立っていたのはホームの端であった。
傍で若い男性同士の喧嘩が始まった。突き飛ばされた一人が透にぶつかり、その前にいた男性とともに線路に落ちた。透は男性の上におい被さる形になった。透は立ち上がったが、男はうつ伏せのままだった。電車の近づく音がした。咄嗟に透は男をホーム下の空間に引きずり込んだ。
「勇気ある人命救助」と全国紙にも載った。一緒に落ちたのだが、新聞には落ちたのを見て、透が咄嗟にホームに飛び降りて男性を助けたことになっていた。その男性がお礼に工場にやってきた。男性は50半ばぐらいの紳士然とした人物であった。
そして工場を見せて貰っていいかといい、どんなものを作っているのかと訊いてきた。透は簡単な説明を加えた。
男性は、自分も電気関係であるが、「こんなものを作れないか」と、サンプルを見せた。試作をしてみた、手間ひまはかかるが、技術的には可能なものだった。出来上がりを見せると、十分な時間を与えてくれて大量の発注を受けた。恥ずかしい話だがと、返品の件を話すと、半金の前払いを約束してくれた。こうして一息ついたのである。
「新聞見ましたでぇ」と、取引先も好意的で発注数を増やしてくれた。夏子が現れたのは、それから暫らくした頃であった。
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