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ウジジ浜は石灰石が波で侵食された奇岩がまるで海から突き出たキノコのようであった。屋子母(やこも)海岸は島の南端にあり与論島が望め、夕日が沈む時はとても綺麗なのだと語り、昇竜洞は秋吉台にも負けない規模なのだと百合子は島自慢をした。
田皆岬(たみなさき)は映画『青幻記』のロケが行われたところで、透が一番来たかった場所であった。灯台や、岬から海を見渡せるビューポイントは海抜64mの崖の上にあり、崖から見下ろす海や空の景観はとても素晴らしく、崖は灯台からなだらかに下る草原のようになっている。映画ではこの緑の草原を舞台にして、暮れなずむ海を背景にかがり火が焚かれ、若き母が舞うのである。そのシーンの美しさが透をこの島に誘ったのである。
「百合子さんは映画を見ましたか」
「昔の映画でしょう。ロケがここで行われたことしか知りません」。
岬には「青幻記」の碑があり、この地でロケが行われたことが記してあった。
透はその映画のストーリーを語って聞かせた。
たった半年だったけど、この島で母と過ごした日々が忘れられない主人公稔(田村高廣)が沖永良部島に帰ってくる。青い海と白いサンゴ礁の風景は稔を幻の中に誘い込んで、なつかしいあの三十数年前の情景をありありとよみがえらせていく。若く美しい母と、幼いわたしの日々を……。
鹿児島での辛い生活から逃れるようにして、船に乗り、島を初めて見たのは、母が三十歳、主人公の稔が小学校二年生、戦前のことであった。母と祖母と稔の三人の、貧しくとも温く肩を寄せ合った島の生活が始まった。母は、学校帰りの稔を毎日迎えてくれた。それよりも、稔は一度でもいいから、母に抱きしめて貰らいたかった。しかし、母は、病いのうつることを恐れて、決して稔を抱きしめることはなかった。台風のくる頃、海は荒れ、島の食糧は枯れ、灯りの油すら買えず、闇の中でひっそり眠った。それでも、年に一度の敬老の宴は行われた。村人たちは夜のふけるまで、酒をくみ、踊った。村人に乞われた母の踊りは、かがり火に映え、悲しみをはくような胸苦しいまでに美しい踊りであった。そして、冬のある晴れた日、サンゴ礁で、草舟を浮かべたり、魚を捕ったりして、半日を遊んだ母と稔。それが、母と稔の最後の日であった。天候が急変し、遠浅の岩礁に押し寄せる波、二人は逃げ少し高い岩礁にたどり着くが、母は胸の苦しみを訴え、自分を置いて助けを呼びに行くように命じる。決して振り向いてはいけないと…母は死を覚悟し、稔だけが助かることを考えたのかもしれない。浜に上がって、心配のあまり振り向いた海には母の姿はなかった。母の葬いの日、母の死をもう一つ理解できない稔は、祖母につれられ、ユタ(霊媒師)を訪ねた。ユタの夜、稔は母の声を幻のように聴いた。……稔さん、お母さんは、一度でいいから、あなたを力一杯抱きしめてあげたかった……稔さん……稔さん…….そして映画は、村の風習で、骨改めと称する儀礼で母の頭蓋骨と稔は対面する。それは子供たちのいたずらで野ざらしになっていたものだと、きっとお母さんが呼び寄せられたのであろうと、村の長老が話すと、稔は母親の頭蓋骨を抱きしめてさめざめと泣くのだった》 と、映画の記憶を語ると、百合子は突然泣きじゃくりだした。
「どうしたの」と尋ねると、
「あんまり悲しい話だから。この場所で聞いているとまるで映画を見ているようで…。大丈夫です。帰って、おじいに泣いたなんていっちゃだめ」と、しゃくり上げながらハンカチで目頭を拭った。透は百合子がいじらしくその肩を軽く抱いた。
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