6
6
南の飲み屋街の端のビルの3階にバー『デラシネ』はあった。同業の集まりで年に1、2回は南に出ることはあったが、バーは久しぶりであった。早い時間なのか客はまばらであった。ボックスに座り、ビールを注文し口を潤した。
座った女性にママを頼んだ。和服の着こなしがこの店の店暦を語っていた。年配の女性がボックスに座った。
「女性のことでお尋ねが…」と言って、安井社長に見せたのと同じ写真を見せた。ママは同席の女性に席を外させ、「杏子の何か?」と言ったので、安井社長から聞いてきた旨を告げ、来訪の意を告げた。
「そうですか、杏子は亡くなったのですか。うちに居たのは1年程で短かったのですよ。たいていは、店を移ってもこの南か新地かで、風の噂を聞くものなんですが、杏子はさっぱり聞きませんでした。結婚していたんですね。杏子は源氏名で昔の名前はなんて言ったかね。杏子、杏子で呼んでいたから忘れたわ。人気のある子だったからもっといて欲しかったのよ。少し訛りもあって、それを直させ、行儀作法まで教えたわ。安井さん以上に熱心だったのは、高島屋の裏にある美容整形の高橋先生だったわね。『ママ、綺麗な娘がいてる』と先生の紹介で杏子は来たのよ。紹介だから何か関係があるのかと思ったけど、そうではなかったみたいね。でないとあんなに来ないでしょう。だからといって、杏子に何もなかったなんて言いませんよ。こんな商売でしょう。同伴をさせますよ。開店前に一緒に食事してからお店に入るのですが、ご存知でしょう」
「ええ、マー少し」と答えた。会社勤めの時は、何回かはあったが、独立してからはそんな余裕も機会も透にはなかった。
「長年、女の子を使ってますとね、同伴者の名前を云った反応ですぐわかるの。好きか嫌いか、出来ているか。杏子ははっきりしてました。お金があっても嫌いな客にはノーでした。特別な人はいなかったみたいですよ」と言って、透のグラスにビールを注いだ。
夏子がホステスか?容貌からいえばおかしくもないのだが、結婚しての日々を思うと違和感を禁じ得なかった。
透は高橋医師を訪ねた。医師はほっそりした顔に黒縁のメガネをかけていた。年齢は60歳ぐらい。
「杏子はうちに美容整形でやってきたのですよ。自分の顔が好きでないから変えてくれって来たのです。ごく普通の顔でしたがね、一つ一つの〈部品〉はそう悪くはなかったですよ。鼻を少し高くして目じりや、口元を少しいじれば手術は大成功でした。自分ながら自慢したいぐらいのいい出来栄えでした。いい〈作品〉は手元に置きたいものです。仕事は宗右衛門町の寿司屋で下働きをしていると言ってました。長時間で、人使いが荒いと言ったので、こんなに綺麗になったのだからもっとお金が取れるところで働いたらいいと、これ幸いにママのところを紹介した次第です」と医師は語った。
人の妻をつかまえて、〈部品〉〈作品〉と云ういい方に失敬な奴と思ったが、
「前の写真はありますか」と透が尋ねると
「ありますとも、あれだけの成功例はそうありません。来訪の客にも見せることもありました。ご主人でしたね。お断りもなく宣伝に使ってすいません」と医師は語った。美容整形の医師というのはみなこんな感じに軽いのかと思った。
透は「いやいや、結婚前ですから…」とか、訳のわからない返事を返した。しばらく待ってくれと言って、医師が持ってきた写真を見て、透は腰を抜かすぐらいに驚いたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます