諸岡氏から郵便が来て、透は書いてあるところを訪ねた。環状線の駅に近い商店が立ち並ぶ一角にそのビルはあった。3階建てで『安井物産』と看板が上がっていた。入口にいて受付を兼ねているらしき女性に名刺を渡し、面会を求めた。

「誰にですか?」と聞かれ、弱ったと思った。ここだと思って入ったが、諸岡氏からの紙には住所と会社名しか書いてなかった。

「安井さんに」

「社長ですか」と言って、奥に名刺を持って入っていった。ともかく知っている名前は「安井」しかなかったのである。

奥に通された。社長室兼応接間になっているらしく、思ったより大きな部屋で、真ん中に応接セットが置かれ、社長は窓側の大きな机で書類に目を通していた。でっぷりとして温和な顔つきであった。年齢は50半ばといったところだった。


「初めての方のようですが、何かの売り込みですか」と、机の上の名刺に目を落とした。「いいえ」と答えて、さて困った、なんと切り出そうと思った。

「社長の知り合いの女性の方についてお尋ねにお伺いしました」と言うしかなかった。

「ほほう、女性のね」と言いながら、椅子に座るように手振りをした。

「松山と申します。東大阪で電気部品を作っています。この女性についてです」と夏子の写真を見せた。

 安井社長は一瞬ビックリしたようであった。

「私の妻です。見覚えありませんか」と尋ねると、写真を見ながらどうしたものかと言う風であったので、「先月亡くなりました」と言うと、「杏子さんがですかぁ…」と驚いた様子であった。

 透はかいつまんで来訪の意を語った。勿論、諸岡氏とのことは伏せた。


安井社長は、

「もう7、8年ぐらい前になりますか、環状線の電車の中でひょっこり会いましてね。なんでも習い事の帰りとか、会社も近いので寄ってもらってお茶を飲みました。杏子は、いや夏子さんは南のバーに勤めていた頃知り合いました。あれだけの美貌の持ち主でしょう、随分通いましたが口説き落とすのに大変でした。ママに「なんとかならんか」と協力を頼んだのですが、『社長のお頼みですから、ほかの女性なら何とかしますが、あの子はダメです。協力の依頼は何も社長だけではないのですよ。全部断りました。ご自分の実力で落としなさいませ』と言われましてね。ずいぶん通いましたよ。でも彼女は1年ほどでやめていきました。それから2年ほどしてバッタリ会ったのです。南のバーなら今でも営業していますから、場所と電話番号をお渡し出来ますが」と語った。


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