「故人の教室の様子なども聞きたいので、お茶でも召し上がって下さい」と透は引き止めた。

「夏子さんとは教室では長いのです。10年以上になります。夏子さんは特別というわけではないのですが、作品は味わいのあるもので、皆の受けも良かったです。主に織部をやっておられました」

「織部と言われても、私はさっぱりわかりません。作って帰ってきてもいいのか悪いのか、本人が気に入ってやっておればそれで結構という態度で、じっくり見てやったこともありませんでした」。

夏子は最初の内は、作って来た作品を透に見せて説明もした。これは何々焼き、この釉薬は何々を使ったとか、透があまり関心を示さないのをみて、そのうちやめてしまった。一言でも褒め言葉を言ってやれば良かったと、透は悔恨の念を感じた。


諸岡氏は簡単に織部を解説し、夏子の作品の良さを説明し、もう一度見てあげて下さいと言った。

「あの電話があって、初めて妻の携帯を見ました。諸岡さんは妻と親交があった様にお見受けするのですが、失礼に当たればご容赦下さい」と、透は思っていたことを口にした。そして、結婚のいきさつを語り、今は妻の過去も含め全てを知りたい、どんなことでも驚かないから、知っていることを教えて欲しいと述べた。


氏は「分りました。正直に申し上げましょう。夏子さんとはお察しの通りです。私は陶芸を始めて20年になります。先生が売れっ子の作家になられて忙しく、教室では私が師匠代理のような立場で若い人に教えています。夏子さんが入って来られて、わたしは年甲斐もなく、いっぺんに熱を上げてしまいました。ただ、夏子さんは結婚されてからは一線を引かれました。

『わたしは、家庭も、陶芸も大事にしたいと思っています』と申されました。男と女、その後全く何もなかったと云っても信じて貰えないかもしれませんが、師弟の関係だったと思って下さい。夏子さんはご家庭のことは、電器の部品工場をされていること、娘さんが一人おられること、それ以上のことはお話になられませんでした。二人が話すことは、ほとんど趣味の陶芸のことでした。あ、趣味と云えば夏子さんには、花の栽培を教えて貰いました。夏子さんは教室の庭に小さな花壇を作られ、花を植えられました。その花をスケッチして絵皿にもしました。そんなことで、わたしも花に興味を持つようになりました。その花壇の世話を私は申しつかったのです。花のことで分らないことがあれば、よく電話で尋ねました。花に関しては完全にプロでしたね」


諸岡氏の話す様子は落ち着いたものであった。

「それ以外に、わたしが知っていることといえば、そうですね。一度大阪の生野区で見かけたことがありました。生野に知人がいましてね、そこを訪ねた時です。ある会社の建物に入って行かれました。男性と二人だったので声はかけませんでした。

生野で、意外な場所だったのではっきりと覚えています。着てらっしゃった洋服も教室で何回かお見受けしたものでしたから間違いありません。会社名は記憶にないのですが、建物は憶えています。近く行くことがありますので、お知らせします。他にはお話し出来るようなことはありません」


氏を玄関まで見送って、その後ろ姿を見ながら、透は教室に通っていた夏子を思い出していた。土曜日、早目の昼を済ませて出かけ、夕食の支度時にはきちっと帰って来ていた。年に二,三度遅いときがあった。そのときは陶芸の作品展の準備か、終わっての打ち上げ会だと言った。

ただ、花は意外であった。工場にも、家にも花を植えるぐらいの地面はあったが、飾られた花は買った切り花であった。


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