第5話☆

心臓が止まるかと思った。

気が付いたら走り出していた。

どこをどう走ったのか、どうやって戻ったのか、覚えていない。


家に帰って、扉を開ける。

そして、目を疑った。


いつもは綺麗に整頓された居間も台所も、椅子や机が壊され、ガラスが割れ、破片が散っていた。

壊れていないものが無いくらい破壊された部屋。その奥に、白く細い腕が見えた。

血の気が引いた。

慌てて駆け寄る。


「サクっ!」


その姿を見て、息を飲んだ。

白かった彼女は、赤く染まっていた。

流れ出た血が、水たまりのようになっている。弾かれたように、その血だまりから彼女を抱き上げる。

まだ、温かかった。

その腹に大きな傷があって、そこから、血が溢れ出る。


「サク! ねぇ、目を開けて」


その傷を抑えるように抱き上げて、呼びかける。


「サク!」


悲鳴のような声が、こだまする。

すると、サクの瞼が小さく震えた。

はっとして、見れば、赤い瞳が僕を見ていた。


「……ケイ、おかえり、なさい」


「サク、何でっ……」


何も言えない、何も出来ない。

おそらく僕は泣きそうな顔をしていたのだろう。

僕を見て、彼女は弱々しく笑った。


「ごめ、んね」


何で、サクが謝るのか、僕はわからない。

それを感じたのか、いつの間にか側にいた使い魔が言う。


「あいつらが来た時、俺、逃げようって言ったのに、こいつ、留守番だからって」


僕は、はっとした。


--留守番頼んだよ。


何気ない言葉だった。

それを、彼女は守ろうとしたのか。


「主、俺、守ろうとしたのに、あいつら人数が多くて。なんとか追い払ったんだけど……」


申し訳なさそうに、使い魔が言う。

でも、それは僕の耳に入ってこなかった。


腕の中の、サクの心臓が、小さく震えている。

もう、その動きを止めようとしている。


「ダメだよ、サクっ……」


サクは、ゆっくりとその細い腕を持ち上げ、僕の頬に手を当てた。


「一緒、だね」


嬉しそうに笑う。

何のことかと考える。

そして、サクの赤い瞳を見て、思い至った。


その瞳。

僕の瞳も今は赤。


そこで、ふとその可能性に気付いた。

このままでは、ほんの一瞬で、サクは死んでしまう。

でも、吸血鬼なら?

このくらいの傷なら、治る見込みはある。

彼女を吸血鬼にする。

それは、長い孤独を、隠れ追われる人生、そして、渇きという苦しみを彼女に課すという事。


「主、こいつを助けてっ」


使い魔が、言う。

笑っていたサクの力が、ふっと抜けた。

力尽きたように、その瞼が閉じられる。

頬に触れていた温もりが、そっと離れた。


腕の中で、彼女が死んでしまう。


それは、嫌だ。

それだけは、絶対に、何があっても、嫌だ。


僕は彼女の首に、牙を埋めた。

その甘い血を吸う。

長く、飢えていた心が満たされる気がした。


とくんっ、と腕の中の彼女の心臓が震えた。


そっと彼女の首から牙を外す。

そして、今度は自分の腕に牙を立てる。

流れ出したその血を口に含むと、サクの唇に重ねる。

そこから口移しで自らの血を与えた。

吸血鬼の血は、その治癒力を高める。


そこまでして、僕はサクの様子を伺う。


そして。

血の気を失っていたその瞼が、細かく震えた。

その瞼がゆっくりと上がる。


妖艶な赤い瞳が、僕を映して嬉しそうに微笑んだ。

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