第3.5話

吸血鬼は、血を吸った人間を吸血鬼に変える。

そんなおとぎ話がまことしやかに囁かれている。

それは、間違いでもあり、真実でもある。

吸血鬼は、ある条件を満たせば、吸血した相手を吸血鬼に変えることができるのだから。


その条件とは、想い。


相手に対して強い思い入れがある場合、吸血した相手を吸血鬼に変えることができる。

憎悪でも、愛情でもいい。


おそらくこれは、種族の生存本能なのだろう。

なぜなら、吸血鬼は、愛した相手の血を求め、愛しい相手の血ほど甘く感じる。


ただし、吸血鬼は孤独の種族。

永遠とも言える生の代わりに、人間の世界に迫害され、追われ、隠れ住む運命を背負う。

それは、寂しさと渇きの苦しみを伴う。

それを、愛する相手に背負わせるだけの勇気が僕にはなかった。


だから、誰かを同族にしようなんて、思ったことはない。


ただ、一度だけ、衝動に、誘惑に負けて、愛した人の血を飲んでしまった。

もう、忘れかけた遠い昔のことだった。


あの頃、僕は、人間が多く住む街に暮らしていた。

そこで出会った彼女は、とても魅力的な女性だった。いつしか、僕は彼女に惹かれていた。

しかし、その年の渇き。

手頃な人間で済ますはずだったのだ。


赤い目を隠して、出かけた僕の目に飛び込んできたのは、その彼女。

僕を見つけると、いつものように微笑んで、手を引いた。いつもの公園で、いつもの噴水のそばで、いつものように。

本当は、彼女を振り切って、すぐに離れるべきだったのだ。

しかし、まだ若かった僕には、目の前の魅力的な彼女に、抗えなかった。


気がついたら、彼女の首に牙を立てていた。

その甘い甘いの血で喉を潤していた。


やってしまった。

と気づいた時、僕は目の前が真っ暗になった。

彼女は、僕を見て目を見張っていた。

彼女に僕は、自分が吸血鬼だと伝えていなかったのだ。

驚いた表情の彼女は、急に苦しそうに体を折った。

人間が吸血鬼に変わるところをはじめて見た僕は、その苦しみように戸惑った。


人間から吸血鬼に変わるのは一瞬。

でも、その直後に襲う飢えと渇きに、人間の心が耐えられるはずがない。今までの人生の分の渇きが、一気に襲ってくるのだから。


その苦しみが、彼女を殺した。

人間としての感覚が、吸血という行為を忌避し、拒否して、渇きに苦しんだ挙句、自ら命絶った。

僕には、何もできなかった。

彼女を見殺しにした。


吸血鬼といえど、不死ではない。

体を刃物で突き刺せば、血が流れる。

小さな傷なら、すぐに治ってしまうが、心臓を狙えばその治癒力はかなり抑制される。

体から一定量の血液が無くなれば、人間と同じく死に至る。


彼女の変わり様を目の当たりにし、その死を見た僕は、それからすぐ、街を離れて森に移り住んだ。

2度と愛した人間を襲わないように。

誰も、愛さないように。


なのに、長い時とともに、痛みも寂しさも薄れた僕は、サクを見つけた。


そして、愛してしまった。


初めは、娘として。


今は、女性として。


それに、気づいてしまった。

ただ、その温かさを知った今、その温もりを手放せなかった。

割り切ることも、振り切ることもできない僕は、ただ、目の前に迫る現実に背を向けて、逃げることしかできなかったんだ。

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