第4話
昔の話。
まだ、人が多く住む街に暮らしていた頃。
忘れていたと思っていた記憶。
吸血鬼は、人間を吸血鬼に変えることができない。
ある一つの場合を除いては。
それは、強い想いを持つ相手の血を吸うこと。
それが、憎悪でも、親愛でも、相手を人間から吸血鬼に変えることができてしまう。
なのに、吸血鬼は愛する人の血に惹かれる。
それは、吸血鬼の業なのか。
僕は一度だけ、ある人を吸血鬼にしてしまった。衝動に負けてしまった。
だけど、その事実が怖くて、逃げた。
結果として、彼女を殺した。
その時、僕は二度と、人間を吸血鬼にしないと誓ったんだ。
だから、サクの血は絶対に飲めない。
どんなに飢えたとしても、渇きに苦しんだとしても、絶対に。
サクが来て3度目の吸血の時。
彼女に強く言ってしまったためか、その後、その話をすることはなかった。
ただ、瞳の色を戻して帰った僕に、彼女は普段通り接していた。
彼女がどんな思いをして、僕のそばにいてくれたのかはわからない。
それでも、僕はそんなサクに甘えた。
吸血の時のやり取りをなかったことにして、いつも通り暮らした。
そして、数年の月日が経ち、4度目の渇きがやってくる。
サクは、美しい大人の女性になっていた。
普通に暮らしていたら、もう結婚していてもおかしくない年頃だ。早ければ、子供がいても不思議はない。
それでも、彼女は僕と共に、森の小さな家に住んでいた。
食事の片付けをする彼女の背を、一つに結わいた長い白い髪が揺れる。白い肌も、その髪も、幼い頃とは変わらず、美しかった。
自然と、そのうなじに目がいく。
飲みたい。
喉が渇く。
その想いは、日増しに強くなる。
おそらく、数日で目が赤くなり、衝動を抑えられなくなるだろう。
「しばらく家を空けるよ」
不意にそう言う僕を振り返り、サクはちょっと悲しそうに頷いた。
「……わかったわ」
3度目の時のように、彼女は口に出さなかった。
そのことに、ほっとしていた。
気づいていないのかとも思ったが、彼女は聡い。おそらく、僕の意図を理解してくれたのだろう。
ただ、少しだけ。
ほんの少しだけ、残念な気持ちがある。
僕は、それに気付かないふりをした。
そう、その時の僕は、自分のことに一杯で、周りに気を配っていなかったのだ。ただ、サクを求める前にこの渇きを抑えないと、とそればかりを考えていた。
「いってらっしゃい」
「ああ、留守番頼んだよ」
そう告げて、サクを残して家を出る。
空には細い月が浮かんでいた。
それから数日。
月のない夜。
大きな街に出た僕は、手頃な人間を物色していた。
目がいくのは、若い女性。
色白で、髪が長くて。
年の頃は、サクと同じ。
そのことに気付いて、僕はひとり苦笑する。
本当に、どうしようもない。
一緒に居るべきではないと、何度も思ったのだ。
人間の生活圏に返すことも考えた。
でも、彼女の肌や髪、瞳。
人間の世界では、つまはじきにされるだろう。
それなら、僕のそばにずっと置いておく方がいいのではないか。
そう、自分に言い聞かせて。
結局は、僕が、手放せなかった。
ただ、彼女が僕の前で生きていてくれるだけで良いと、勝手に思っていた。
もし、彼女が出ていきたいと言ったなら止めはしない。けれど、僕から出ていくように言うこともない。
ずるい事は分かっていたけれど、僕にはそうすることしかできなかったのだ。
彼女から離れて、落ち着いて考えれば、僕は本当に意気地なしだ。
渇きを抑える自信がなくなるくらい、想っているのに。
一度、使い魔に言われたのだ。
そんなに想っているなら、同じ吸血鬼にしてしまえばいいのに、と。
それなら、ずっと一緒に生きていける。
このままでは、彼女は先に死んでしまうと。
それでも、まだ、時間はあるからと、僕は結論を先延ばしにした。
「本当に、僕はダメだなぁ」
呟いたら、情けない声になった。
とにかく今は、誰かしら捕まえて血をもらって、さっさと帰ろう。
思い直して、立ち上がった時だった。
「主!!」
よく知る声が、僕を呼んだ。
振り返ると、1匹の蝙蝠。
「ユエ?」
それは、僕の使い魔で、今はサクとともに、家にいるはずだった。
何故、ここにいるのか。
嫌な予感がした。
僕の腕に飛びついてきた蝙蝠は、焦ったように言う。
「主! あいつが、死んじゃう!!」
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