第9話 解答

 マツバは茂った森の中をかけていく。あまり運動をしていなかったせいですぐに息があがったが足を止めようとは思わなかった。地面に張り巡らされた木の根に幾度かつまずいて汗と泥と擦り傷だらけである。それでもマツバはアヤの言った村の境界を目指した。これが最後の機会である。走るマツバの目にようやく目印のしめ縄が見えた。

 

 アヤは綺麗だったがその顔は白粉おしろいのせいとは言えないほど青白く今にも泣きそうな悲壮感を漂わせていた。

「私達は呪われております。」

 それでもまっすぐマツバを見て仄かに笑んだ。マツバの心臓が血が止まって破裂してしまいそうなぼど締め付けられた。黙してアヤの言葉を待った。アヤは続けた。

「私達は私達の犯した罪によりこの入り江に閉じ込めらました。そして時を奪われたため年を取ることも老いて死ぬこともなく、また自由を奪われたためこの入り江から離れることも死ぬことも出来ません。」

 マツバはうつむいて皮肉な笑みを浮かべた。自分はどうして海に溺れたのか、どうして彼女に惹かれたのか。全て思い出した。分かってしまった。彼女に惹かれたのは彼女に盛られたせいだけではなかったのだろう。なんてなんとほろ苦い。

自由になりたい死にたいのですか?」

 色々聞きたいことは生まれていた。誰に呪われたのか、何の罪を犯したのか、一体いつからなのか。しかし、それより先にぽろりと先の言葉が零れ落ちた。アヤの目がマツバを見つめたまま固まった。その開いたまなこに映る自分は彼女と同じ顔をしていた。

「はい...前はそうでした。ただ、自由だった頃が懐かしくて恋しくて。でも、マツバ様に会って...何でしょう。他のことがどうでもよくなってしまったんでございますよ。」

 驚くほど私達はよく似ていたらしかった。つっかえつっかえ、脈々と話す彼女に涙が誘われる。自分も彼女に会ってから飛び込むほど焦がれた海が恐ろしくなった。アヤが居れば他は何も要らないと思った。今無性にあの二人で過ごしたあの時に戻りたい。

「私達が自由になるには男の方を海の主様に捧なければいけないのですが、マツバ様を失うと思うと苦しく、て。」

 がチャリ、重い音がなってここまでどうしようが開かなかった扉が開いた。アヤの手元から涼やかな音を立てて鍵が落ちた。アヤの目から涙が落ちた。

「貴方に避けられて苦しくて、でも、それでもどこかに居てくれるのならそれでもいいと、考えまして。」

 どうか、御無事に。そういってアヤは頭を下げた。


おかしい。しめ縄が見えてからずっとその方向に進んでいるはずなのに何時までたってもたどり着くことができない。数え切れないほどの木々の間を抜けて茂みに分け入ったが近づいているとさえ思えない。足だけでなく全身の震えが止まらない。マツバの足が絡まってバランスを崩す。木の幹にあたってそのまま崩れ落ちる。ひどく濁った息の音、それでもほとんど肺に空気は入っていかない。

「マツバ様。」

 すっかり熱くなった手にひやりと優しい手が重なる。ここまで一緒に走ってきたはずのアヤだが頬が赤くなることも息が荒れるということもなく涼やかなものだった。ただその目はいつぞやの浜辺と同じく妖しい。

「ここでお別れしましょう。きっと私が一緒ではあそこにたどり着くことは叶いません。でも、マツバ様お一人ならきっと...。」

 アヤは唐突に引き寄せられた衝撃で続く言葉を切った。接したところから少しづつ体が冷めていく。確かに見えるしめ縄。マツバは憎々しくそれを睨んだ。近く、遠く、届かない。あいにくずっと近づくことない場所を目指し続けられるほどマツバは諦めが悪くなかった。

「私は一人ではあの場所へ行けないほど弱い人間ですよ。」

 思い出すのは波打つ黒い海。恐ろしいはずのそれがあの日はどうしようもなく魅力的で、抑えの利かないままに飛び込んそういい出してもマツバにとってアヤは唯一の存在意義だった。

「だから、貴女が共に行けないというなら、私も行けません。」

「そういわずに...。」

「貴女に助けてもらえて良かったです。おかげで最期に自分が生まれたことに感謝できます。」

 身体を抱きしめる腕に一層力が籠る。

「もう時間のようですね。」

 いくつもの人影がしめ縄よりずっと近くに見える。足はもう自由にならなかった。

 

 

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