第7話 困惑
目覚めると自室で朝を迎えていた。昨夜のことは夢であったのか? 着替えるために服を脱ぎふと最後の記憶の肩口を痕でもないかと鏡に映して、戦慄した。はっきりとした赤い歯形が左の肩を覆っていた。いくつかは薄い切り傷になっており、またいくつかは青紫に変わっている。彼は急激に恐れを抱いた。なぜあの時の自分はあの化け物を恐れなかったのかと。もしかしなくとも、昨夜自分はあのまま喰われて終わってもおかしくなかったのではないかと。マツバはくっきり残るその痕に指先をはわせた。案の定少し痛む。たが、しかし、思ったより不快には感じなかった。
アヤとはほどなく会った。肩が見えないようきちんと着こんで部屋を出た、まもなくのことであった。アヤは不自然なほどいつも通りだった。夢であったのではないかと思うほど。しかし、肩を触る度に感じる痛みが現実だったと訴える。態度にさほど出ていなくとも冷静ではないマツバは気付かなかった。マツバが肩口を触る度にアヤの目が僅かに陰ることに。
マツバはアヤを避けた。なるべく近寄らないよう会わないよう知りうる限りのことをした。アヤも部屋へ訪れて来ることはなくなった。それでも時折会ってしまうアヤは何か言いたげにその優し気な目を曇らせたが何かを言われるより先にマツバはその場を後にした。アヤは追っては来なかった。後から思うとアヤを避けてもここを出て行こうと思わなかった分まだ相手の術中にはまっていたのかも知れない。ただ、それに気付いたのは遅く満月の祭りの前日のことであった。
祭りの支度は余所者の自分の知らぬところでずいぶん進んでいたらしい。同じ屋敷の娘達が楽し気に遂に明日ねなどと話しているのを聞いてしまった。マツバは思い出した。満月の祭りは婚姻ではないかと言っていたがそれにしては自分に何の話もない。そもそも録に会うこともしていないのに話だけが勝手に進む道理もない。もしや、その祭りとやらで自分は食われてしまうのでは? 既にだいぶ痕の薄れた肩口をマツバは押さえた。もう、痛むことはない。今晩、この村を抜け出そう。とりあえず、どこか他の町にでも出ればもうけものだ。マツバはよそわれた膳を綺麗に食べ尽くした。今晩抜け出すのだから精をつけねば--。しかし、マツバに'今晩'がやってくることはなかった。
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