第18話 遭遇

七月も末の日曜日。

紫は吉祥寺で検一と待ち合わせた。

紫はこの所色んな事があり、精神が少しついていけていない。

先日彩絵から何と里佳子が有通の牧野と婚約して、秋には結婚すると聞いた時は本当に驚いた。

「だってまだ付き合って半年とかじゃなかった?」

聞き返す紫に、

「だってえ~、何か性格いいみたいなんだよ。凄いよねえ~。ホテルウェディングするんだってえ。いいよね、シャングリラでさあ。はーあ、あたしは彼氏さえできないのにい。」

彩絵がまだ自分ができない彼氏に不満を持ちながら話していた。

浩輔からのメッセージには初めて無視という形をとった。

あれから浩輔から何度も謝罪の言葉を並べられたが、一言、

『もうこれからは仕事以外では関わらないで下さい』

と送信した。それからも何か返信が来たが見てもいない。

検一が今度は吉祥寺に行きたいと提案された。検一の出発日は八月十八日。日々迫っていた。

「ごめん・・・、決断できないと思うけど出発までに少し会えたらって思って。」

検一からは遠慮がちに言われる。

紫も嫌な気持ちはしなかったので、取り合えずデートはしておこうと思った。

それに何より浩輔のことを忘れて気を紛らわせたかった。

検一は待ち合わせて早速前から行きたかったという吉祥寺の和食レストランに紫を連れて行ってくれた。

ご飯が終わって、検一は三鷹にあるジブリ美術館に行きたいと提案してきた。

こういうベタなのしてみたくて、久しくしてないし・・・と言われて紫は提案に乗った。

美術館を二人で回った後、井之頭公園で検一は紫の手を繋ごうとしてきた。

「・・・っ、ごめん!」

紫は思わず振り払ってしまった。

「・・・あ、こっちこそ・・・。」

「ごめんね・・・、付き合ってないし・・・。私ついていく決心ついてないし・・・。」

「・・・こっちこそ彼氏気取りで・・・。」

検一は心底申し訳ない態度をしてきた。

前回は流れでキスまでしてしまったけど、紫はこのまま恋人関係になったら余計に寂しさが増す気がした。

「・・・。」

少しの間気まずい空気が流れた。

「・・・ごめんね。私も検一くんのこといいと思ってるけど、ロンドンには多分・・・無理かなって思う。」

何とか話した。

「・・・そうだよな。知り合って間もない男と海外になんてついていけるわけないよな。」

「で、でも私検一くんがもし日本にいるなら付き合いたいなって思うよ。」

「そっか・・・。嬉しいけど。さすがにいきなり三年も離れてたら待ってなんてくれないよな。」

二人は近くにあるベンチに腰掛けた。

「・・・。」

紫が何も答えられずにいた。

「俺は待つ自信あるけど。」

「え?」

「いや・・・、本当に待ってでも一緒に居てほしいんだ。・・・まあそれは俺の気持ちであって、紫ちゃんの気持ちではないからさ・・・。」

検一は譲歩して言っているように聞こえた。

「・・・私・・・。あと三年の間どうなるか想像つかない。」

「そうだよな・・・。」

「何て言うか私自身待ってられる余裕あるかわかんなくて。それしちゃったら検一くんに失礼かなって。」

「・・・そんな真面目にとる必要ないよ。」

「そうかな・・・。私、結構いつも真剣だからな、恋愛に関しては。」

「あは、紫ちゃんらしいな。」

しばし二人の間に沈黙が流れる。

セミが所々で鳴いている。快晴の七月の日曜日は日差しが眩しい。

その時紫たちの足元にピンク色のゴム製のボールが転がってきた。

「わあ、ボール転がっちゃったあ~!」

その時六歳くらいの男の子が紫たちの方に駆けてきた。

紫はボールを掴むと、

「はい、どうぞ。」

と笑顔で渡した。

「ありがとう、お姉ちゃん。」

少年は嬉しそうに微笑んで向こうに走って行ってしまった。

・・・可愛いな。

紫は心底思った。

「駿斗(はやと)、ちゃんとお姉ちゃんにお礼言ったの?」

その時妊婦姿の三十代半ばくらいの女性が見えた。

「うん、あそこのお姉ちゃんだよ。」

少年が母親に話している様子を見て、

「・・・!」

紫は全身が凍るような気持ちになった。

・・・やだ・・・!

女性の後ろに立っているのは間違いなく浩輔だった。

・・・綺麗な奥さん・・・。

確か学生時代から長年付き合っていて結婚したと聞いた。お子さんが生まれると同時に勤めていた会社を寿退社して、専業主婦になったとか・・・。

奥さんや子供の写真は一切見たことがない紫だったが、肉眼で見るときついものがあった。

「ゆ・・・、篠宮さん?」

浩輔が紫に気付きこちらにやって来た。

紫も挨拶しないのも失礼だと思って、立ち上がる。

「こっ、こんにちは!お休み中に偶然ですね!」

紫はお辞儀した。

・・・井之頭公園に毎週って言ってたからまさかとは思ったけど。こんな広いのに遭遇しちゃうもんなんだね。

「ご家族で来てらっしゃるんですね。」

紫は浩輔が手を握って引き連れている三歳になる娘の麗奈(れいな)を見る。

「え、何浩ちゃん。こちらのお嬢さん会社の方?」

妻の遼子が紫を見て話す。

「ああ・・・、前に同じ部署で彼女は働いてたんだ。」

「まあ、そうなのね。いつも主人がお世話になっております。妻の遼子です。」

「いえとんでもないです、初めまして篠宮です。企画部にいた時は梨木課長に大変お世話になりました。」

紫は尚もお辞儀する。

「まあ、可愛らしい方ね~!浩ちゃんこんな可愛い人と一緒に働いてたの?」

遼子が楽しそうに浩輔を見る。

紫は必死に自分の顔が強張っていないか気に掛けた。

「・・・まあ少しだけだけど。」

浩輔は見るからに気まずそうだった。

「へーっ、やっぱりキハラの人ね。才色兼備って感じ。」

遼子が紫のことを微笑みながら目をやる。

・・・嫌だ。奥さん、そんな風に見ないで。

「ねえママ、麗奈ね、おしっこ行きたいの。」

その時浩輔に手を繋がれていた三歳の娘が遼子に向かって言う。

「まあ麗ちゃん。ちょっと我慢できる?篠宮さんもデート中みたいだし、麗奈もトイレ行かせなきゃ。じゃあこの辺で。さようなら。」

遼子が満面の笑みで会釈し、麗奈を抱きかかえる。

浩輔からも軽く会釈されて一同はその場から去った。

・・・こんなとこで会うだなんて。

紫は明らかに動揺してしまう。

「・・・紫ちゃん?」

隣でずっと様子を見ていた検一が声を掛ける。

「上司の家族の人たちなんだろ?」

「う、うん・・・。」

紫は浩輔の家族団らんの光景を目の当たりにしてしまって、胸が詰まる思いだった。

家族の前では完璧な父親を演じていて、その一方で私と密会してセックスまでして愛してるだなんて・・・。

別れると決めて、連絡を絶ったとしてもこんな光景を目にしてしまうとさすがに辛い。

「・・・ごめんっ、検一くん・・・!」

紫は思わず涙が零れてしまった。

ハンカチをバッグから取り出して目を押さえた。

「ちょっ・・・、どうしたの!?」

検一が驚いて紫を見る。

「・・・うっ・・・。変なとこ見せちゃって・・・。」

「どうしたの?あの人と何かあったの?」

「・・・私、パパが小一の時に肺がんで亡くなったから。ああいうの憧れちゃうんだよね。」

紫は何とか言い訳を言う。

「そうなんだ・・・、けど・・・。それでも泣くなんてよっぽどじゃん。大丈夫?」

検一は紫の手を握り締めた。

「・・・ううん。ごめん。もう収まった。もうこの公園出ない?」

紫はベンチから立ち上がった。

「・・・いいけど本当に大丈夫?」

「うん・・・、ちょっと歩きたい気分・・・。」

心配する検一にそう答えた。

この場所のこの空気に紫は耐えられなかった。

その日夕方になり、紫は検一が薦めてきたルーフトップバーにいた。

ソファー席に座って夏の夕暮れを見ていた。

「・・・。」

紫は何となく話題が見当たらず、ボーっとしていた。

その時だった。

ヴーヴーと紫の携帯のバイブレーターが震えた。

着信を見ると『P』と出ている。

・・・!

紫は驚いたがそのまま無視した。

しかし、数秒経った後またバイブレーターが振動する。

「・・・電話出なくていいの?」

検一が気を遣って尋ねる。

「・・・大丈夫。」

そう紫は答えるが、中々止まない。

「出たら?」

検一にそう急かされ、

「うん、ごめんね。すぐ戻ってくるね。」

紫は立ち上がり応答をスライドして、

「はい・・・。」

と返事しながら検一より少し離れた所に行く。

『やっと出てくれた。』

そういう浩輔の声が聞こえる。

『ずっと無視されてたからもう電話できないと思ってたよ。』

「・・・。」

『さっきは偶然だったね。驚いたよ。』

「そうね・・・。」

紫はやっと何とか返事した。

『・・・やっぱりさっきの奴と付き合ってるのか。』

浩輔は直球な質問を投げてくる。

「・・・そんなんじゃないけど・・・。でもお互い好きだから・・・。」

『はあ・・・、やっぱりそうなのか。』

「うん・・・、だからこれで・・・、」

『どうしてもなのか?』

紫は段々浩輔のしつこさに苛々してきた。

「うん。ごめん、前に言った通りだから。奥さんお腹大きいじゃない、家族を大事にして。」

『俺は今でも気持ち変わらないから。』

「そんなこと言われても困るよ。」

『いや本当だから。お前が一番なんだ。』

・・・この人よくそんなこと・・・!

紫は怒りさえ覚えた。

「いい加減にしてよ。家庭に戻って!」

紫は声を荒げてしまって、そのまま電話を切った。

・・・あっ、やばい・・・。

ハッとした。

気付いたら、また涙腺が緩んでいた。

・・・何て奴なんだろ・・・。家族と出掛けた後にも関わらず私にこんなこと言うなんて・・・。

紫はそのまま席に戻る。

「・・・電話大丈夫?」

検一が心配する。

「う、うん・・・。」

紫はソファーについて、オーダーしていたマティーニを口に含んだ。

「泣いてたの?目が少し赤いけど・・・。」

検一が顔を覗き込む。

「いや・・・、そんなことは・・・、」

「さっきの奴なんだろ?」

「え・・・。」

紫は事実を言い当てられ驚く。

「公園で会った・・・あの男だろ?」

そう聞かれ何も答えられずにいた。

「・・・少し電話口から声が聞こえたけど男の声だった。その後は聞こえなかったけど、さっき紫ちゃんが最後に家庭に戻って、って・・・。」

「・・・。」

しまったな、と紫は自分の感情を抑えきれなかったことに後悔した。

「・・・やっぱりな。様子がおかしいと思ったよ。公園出てからやけにぼーっとしてるからさ。」

「・・・鋭いね、検一くん・・・。」

「まあ、俺もバーテンしてたからそういうカップル何組か見てきたからかな。」

「さすが・・・。」

「付き合ってんの?」

「・・・ううん。もう関わってない。」

「てことは前は深かったんだろ?」

紫はそれには答えずまたマティーニを飲む。

「・・・あんな家庭ある奴なんかより、俺と一緒に居た方が絶対楽しいのに・・・。」

「そう言ってくれて嬉しい。」

紫は心底そう思った。

「本当だよ。俺の方が絶対紫ちゃんを幸せにできるよ。」

「ありがとう・・・。」

そう言う紫の涙腺は緩んでいた。

「・・・待ってもらえない?やっぱり。」

「え?」

「ついて来るのは難しくても待ってもらえないかな?」

「・・・。」

「それも難しい?」

「・・・三年だよね?」

「あっという間だよ。多分。」

「そうかな・・・。」

「大事にするから、待ってて・・・。」

そう言って紫は検一に抱き締められた。

「!!」

あまりに突然で紫は溜まっていた涙が溢れ出す。

「急に・・・びっくりした。」

「ううん、俺の方こそ。泣いてる君をほっとけなくて。」

「あは、優しいね。」

「紫ちゃん・・・、どうか待っててください。」

検一は頭を軽く下げてきた。

「・・・。」

こんな真摯にお願いされて、紫はどうしていいかわからなかった。

今簡単に、はい、って返事してもいいのだろうかと迷った。

「・・・ありがとう、検一くん。気持ちは嬉しいけど私でいいの?」

「当たり前じゃん。そうじゃなかったらこんなのあげてないよ。」

検一は紫の胸元に光るティファニーのネックレスを見て言う。

「ありがとう・・・。待ってみようかな・・・。」

紫は何とか出た言葉だった。

「ほんとに!?やった!」

「うん・・・。」

「そう言ってくれて俺ほんとに嬉しいよ!これで晴れてカップルじゃん!」

検一にまた紫は抱き締められる。

「いいの?こんないい加減な女で・・・。」

「紫ちゃんはそんな奴じゃないじゃん。ただ選んだ奴が悪かったんだよ。」

「ありがとう・・・、そんな風に言ってくれて。」

紫は嬉しかったが、浩輔と上手く行かなくなったから検一を受け入れたように思えて少し気が引けた。

そしてその日のうちに二人は恋人関係になった。

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Tokyoとワタシ emi0623 @holly1999

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