第16話 支配
あっという間に七月に入ってしまった。
今年の新入社員たちが新人研修合宿も終え、営業部配属の者は店舗研修に続けていくことになっている。木田は臨月に入り、七月初旬から休みに入った。
紫はきっと営業部に配属されるアシスタントの新人が紫の後釜になってくれるとかなり期待していた。
というのも小出しの野々村からそのような会社の意向だということを聞かされていたからだ。
「こんにちは、今日から皆さんと一緒に働かせていただくことになった小川里菜です。」
そう営業部一同の前で挨拶したのは、小柄で色白で華奢な容姿の小川という新入社員だ。小川は東京の外大附属の短大出身で、一般職採用でアシスタント業務として入ってきた。まだ二十一歳という若さだった。
すぐに小川は周囲の人気を掴んでいた。
しかし、木田の業務を紫が小川に少しずつ教えてほしいという旨を部長の奥野から指示を受けた。
紫はミーティングルームで奥野に時間を取ってもらい、ふたりで話し合いの場を設けた。「え・・・、あの木田さんの業務を指導し終わっても小川さんに私の分までは引き継げないですよね?」
紫は躊躇いがちに聞いた。
「当たり前だろ。何を言ってるんだ君は。君がいてくれないと野々村君が困るじゃないか。」
「・・・野々村主任からは新人の配属と共に私の異動の希望を聞いていただけるっていうことを聞いていたので・・・。」
「そんなことを言っていたのかね、彼は。そんなの今の現状で無理に決まってるだろう。」
奥野は半ば面倒そうに言った。
「悪いが君には暫く自分の業務と並行して木田君の仕事と小川君に教える指導役を任すよ。他に教えれる人なんていないんだから。高木君も手いっぱいだし、吉原君は指導力何てないに等しいし。」
紫は胸が凍り付く気持ちになった。
「・・・では私の異動の希望が聞いていただける時期は・・・、」
「そんなの今言われても困るよ。人手不足な時に異動したい人間の事なんて考えて何てられないんだ。君は仕事もできるんだから、それを評価しての指導役なんだから頑張ってくれよ。」
「・・・。」
紫は何も答えられずにいると、
「悪いが三時から会議が入ってるんだ。まあひとり二役大変だと思うが正念場だから頑張ってくれよ。」
奥野は席から立ちあがり、紫の肩を軽く叩いて部屋から出て行ってしまった。
紫は呆然とした。
・・・話が違うじゃない・・・。
その晩紫は共に残業している野々村の席まで行って話を切り出した。
「野々村さん・・・、あの、今日奥野部長と話したんですが私の異動の話・・・。」
「何だよ忙しい時に。」
野々村は明らかに不機嫌な態度で自分のPCに顔を向けたままだ。
「私、今度の新人が来たら異動願い聞いて貰えるっていう話・・・、」
紫が言いかけると、
「そりゃ希望だろ?必ずしもって確約なんて誰も言ってねーじゃねーか。」
そう遮られる。
・・・なら最初から期待させることなんて言わせないで欲しいよ!
「あのなー一般職の女子社員がひとり入ってきたくらいで業務内容全部カバーできるわけねーだろ。お前もそれくらいわかるだろ。ガキみたいなこと言ってんじゃねえよ。」
野々村はやっと紫の方を見たが明らかに睨まれていた。
「会社っつうのはそういうとこだろ。あれしたいです、つって、はい、いいですよって幼稚園じゃねえんだよ。」
「・・・!」
紫はその言い方に随分怒りを覚えた。
「いいからさっさと仕事戻れよ。まだ残ってんだろ?」
その時野々村は紫の腕を押した。
「っ!?」
紫は戸惑う。
・・・またこの人、人の体に触れてきた・・・
「あの、前から言おうと思ってたんですがこういうのやめてください!」
紫は気付いたら口にしていた。
「・・・何だよ、お前。何俺に口答えしてんだよ。」
野々村が立ち上がる。
身長百八十八センチある野々村は立つと百六十二センチある紫よりも随分高く感じられた。
・・・怖い!!
紫は咄嗟に感じた。
「てめえな、こないだのスターの発注ミス誰がカバーしたと思ってんだよ?それと!一昨日も在庫が足りねえって臨時で小田原支店に言われて急遽配送の手配してやったの俺だけど。お前が在庫数見誤って少な目に発注したからさ。例年のデータ通り数字いれとけばいいっていうんじゃねえんだけど?」
「・・・すいません、ありがとうございます。」
「あのなあ、お前の事上の奴らに評価してやってる俺の立場考えた事あんの?ほんっと調子乗んのも大概にしろよ。」
野々村はそう言って、今度は紫の肩を軽く押した。
「きゃっ・・・。」
思わず声が漏れる。
「被害者面してんじゃねーよ、どっちが被害者なんだよ?笹野の指導に、ふれあい堂の担当にもなってよ。その上お前の我儘にも付き合わされて。」
紫はもうその場を収束したい気持ちでいっぱいだった。
「ごめんなさい、申し訳ございませんでした!」
紫は精いっぱいの態度で謝った。
「そんなんじゃ足りねーけど、異動したいばっかでロクに仕事もできねーのに我儘放題好き放題な奴がよく先輩に向かって意見できるな。」
「・・・はい、おっしゃる通りです。」
「もっと言えねえの?先輩への謝罪の言葉を。」
「もっ、申し訳ございませんでした!」
紫は頭を下げる。
「足りねえなあ・・・。」
「申し訳ございませんでした!」
紫は早く野々村の機嫌が直ってくれることだけを願った。
「先輩、口答えして申し訳ございませんでした、は?」
野々村は席に座ると、片足を自分の膝に乗せて椅子に凭れ半ば楽しんでいるような口調で言う。
・・・え、そんなの言わなきゃいけないの?
「いいから言えよ。お前の身体なんかに微塵もキョーミなんてないし。」
・・・そういう割に人のお尻触ったり、ブラ紐に触ってきたりしたじゃない!
「せっ・・・、先輩口答えして申し訳ございませんでした・・・。」
「言えたじゃねーか。もう席戻れよ!ちょっとやそっと体に当たっただけで大袈裟なんだよ。ったく。」
野々村は不機嫌のまま自分のPCに顔を向け作業を始める。
「うっ・・・ふっ・・・!」
紫は席について声を殺して泣き始めた。
・・・こんな・・・、こんな思いをしてまで・・・!
この上なく屈辱だった。
野々村は完全に紫を甚振って楽しんでいた。
必死になって紫はシステムに数字を入れる作業に心を仕向けた。
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