ある猫の話④

 あいつと別れ、俺は寝床に戻ってきた。

 横になって眠ろうとしても、あいつの寂しそうな顔が頭から離れなくて寝付けねぇ。


「……俺があいつの友達になれたら良かったのに」


 何度も頭の中で繰り返した言葉を、遂に声に出した。

 だが、声にしたからといって、何か起こるわけもねぇ。

 そもそも、こんな願いが叶ったところで、あいつは人間で、俺は薄汚れた野良猫。

 あいつの言っていることはわかっても、俺の言葉は通じねぇ。

 まして、野良猫なんざいつ死んだっておかしくねぇから、結局あいつをひとりぼっちにさせちまう。

 ……俺が人間だったら、話は違ってくるんだろうが。


「……ちっ、何でこんなことで悩んでるんだ。あいつがどんな顔してようが、俺が生きるのには関係ねぇだろ」


 人間様のことだ、どうせ友達なんてすぐにできて、俺に構うのにも飽きて、公園に来なくなるだろ。

 そうやって無理やり自分を納得させて、俺は眠りについた。




 だけど、そんな俺の予想に反して、あいつはそれからも公園に現れた。

 たとえ雨が降っていても、いつも同じ場所に立っていた。

 その日も、そいつは「かさ」をさしながら俺を待っていた。

 朝から降り続く雨はこの時激しさを増していて、公園内だけでなく、通りにも人間様の姿はなかった。


「こんにちは、猫ちゃん」


 あいつはこっちに気がつくと、いつも通り笑顔を浮かべて近づいてくる。

 嬉しそうな顔に見えるが……その奥にある感情に気づけないほど、俺はバカじゃねぇ。

 あれ以来、あいつの話をよくよく聞いてみると、「友達」という言葉は一度も出てこなかった。

 両親が家にほとんどいないらしいということも、この間知った。

 あいつは俺が思っている以上に、寂しいのを我慢しているらしい。


「なんで会いに来るんだよ!」


 俺はあいつに向かって叫ぶように言ったが、当の本人は何を言われているかわからないらしく、首を傾げている。


「どうしたの?」


 ただ、俺の様子がおかしいことには気づいたみたいだった。


「俺なんかに構っても、お前はひとりぼっちのままだぞ!」


 俺が吠えるように言うと、あいつは不安そうな顔で俺に近づいてくる。


「僕、なにかしちゃったかな?」


 こいつがひとりぼっちで寂しい思いをしていようが、俺には関係ないことだった。

 だが、そうやって自分を納得させようとするのも、もう限界だ。


「お前が辛そうだと俺も辛くなるんだよ!」


 最近では、俺といてもこいつが悲しそうな顔をする瞬間があった。

 俺なんかじゃ、こいつの寂しさを取り除いてやれないんだ。


「猫ちゃん……?」


 こいつの手が、俺に向かって伸びてくる。

 俺はその手を引っ掻いた。


「痛っ!」


 手が引っ込んだのを見て、俺は威嚇するように低く唸る。

 これで嫌われれば、これ以上こいつと会わずに済む。

 こいつの顔を見て、俺の胸が締め付けられることもなくなるんだ。


「……ごめんね」


 しばらくして、そいつがポツリと呟いた。

 雨で濡れるはずのないその頬に、一筋の雫が伝っていた。

 その瞬間、言い表せない感情が、激しい波となって襲いかかる。

 ―――そんな顔、させるつもりじゃなかった。ただ、お前にこれ以上辛い思いして欲しくなくて……。

 俺は耐えきれず、公園から逃げるようにして飛び出した。


「猫ちゃん!」


 道に飛び出した俺は、猛スピードで迫ってきた巨大な何かに跳ね飛ばされた。

 痛みを感じたのは一瞬で、後は全身から温かいものが抜けていって、だんだん寒くなっていった。

 霞む視界に、あいつの姿が映る。


「猫ちゃん! 死んじゃやだよ!」


 俺だって死にたかねぇよ。

 でも、たぶん、死んじまうんだろうな。

 だってもう、こいつの顔が見えねぇもん。


「ごめん、ごめんね……!」


 ふと、身体に温かいものが触れた。

 あいつの手、だと思った。

 初めて触れられた時と同じく、心地良い温かさだった。

 本当に謝んなきゃならねぇのは俺の方だ。

 結局、最後の最後であいつに辛い思いさせちまった。

 大切に思ってくれてたんだな、俺のこと。

 じゃなきゃ、たかが野良猫が死ぬだけでこんなに泣いてくれないだろ?

 死ぬ直前まで気づけないなんて、俺はとんでもねぇ大バカ野郎だ。


 ああ、あいつの泣く声も、遠のいていく。

 頭もボーッとしてきやがったし、なんだか眠い……。

 こいつは、俺がいなくなっても大丈夫だろうか?

 友達を作れるのだろうか?

 こいつをひとりぼっちにさせたくない。

 でも、俺はもうじき死んじまう。

 俺が死んだら、こいつは本当にひとりぼっちになっちまう。


 ――神様なんているか知らねぇけど。

 もし、いるんだったら。

 神様、どうか、お願いします。

 俺は死んでもかまわねぇ。

 あいつに、人間の友達を作ってあげてください。

 あいつのことを絶対にひとりぼっちにしない、あいつのことを想ってくれる友達を。

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