第7話 許された旅路



それから、時が経ち一週間が経とうとしていた。

イブキは女子としての身体に慣れずまだまだ四苦八苦した生活をしている真っ最中である。

服を着替えるにも褌ではなく女性物の下着を身につけ重い物が持てずに、そして何より困ったのが入浴や排泄をする時だ。

生まれた時から周りは女子だけだったので女性の身体は見る分には慣れていただ、実際に体感するとイブキには恥ずかしくてたまらなかった。

初心なイブキはそれこそ毎日朝起きては自身の身体に驚きつい自身の豊満な胸を揉んでしまったり、そんな自分の煩悩に対する制御が出来ずに悶々としてしまう事も屡々。


何よりイブキにとって一番困り果てたのは、家族への説明だ。

一体何故息子の身体が突如女になったのか説明をしろと問い詰められた。

他国の実験材料にさせられたのか、はたまた怪しい薬を自ら進んで飲んだのかと聞かれ、状況は違うもイブキは「大体そんな感じだ」と応えれば当初は家族勢ぞろいで泣きつかれていた。

が、今ではもう女子のイブキに慣れてしまったようで隣を通りすぎる度に尻を触られてしまう始末である。


イブキ達だけでなく女ノ国も隕石の事件から徐々に復興の兆しを見せていた。

荒れ果てた家屋や水田に畑の後始末。作物を一時的に外の森や山へ調達に行ったり等、この国の女子達の強さにイブキは改めて感服した。



女ノ国名物の歌舞伎や踊りも再開され、その日の公演が終わりを迎えた昼過ぎ頃。

自室で煙管を蒸かし、赤い木製の格子窓に寄り掛かり青い空を眺めていたイブキに、姉のカレンが襖にノックをしイブキを呼んだ。


「イブキーお客さんよー!」

「ん…?どなたでございましょう…?」

「遠い国からやってきたとかで、男なんだけど…知り合い?”マシュー”って言えばわかるって言ってたけど…」

「!今すぐ向かいまするっ」


”マシュー”

その言葉を聞いただけでイブキはびくりと身体を震わせ、格子窓から転げ落ちるように慌ててはだけた着物をかき集め着直した。

てきぱきと崩れた髪を結いなおし、新しく買った青い宝石のついた簪を高く結い上げたお団子に差し込みうっすらと化粧を直せば完璧だ。

足袋をはめなおし、せわしなく女子のようにぱたぱたと廊下を走ると侍女達は「こらー」と笑いながら注意をした。

だが、そんな言葉も今のイブキには耳に入らない。


今やあの地獄絵図のような出来事を知っているのは、イブキとマシューのみの事実。

あれから既にこの国を旅立ったと思っていた人物が、まさかまだ国に滞在し自分を訪問してくれただなんて。


あの事件からイブキは、マシューにきちんと改めて礼をしたいと、そしてずっと考えていた事を話し告げ、聞きたい事もやまずみだと常々思っていたのだ。


長い螺旋階段を降り、ようやっと客間の前へとやってくるも走ったせいで息が乱れていた。

わずかに崩れた襟元を直し、前に降りてきた数本の髪の毛を耳にかけ、わざとらしく咳払いをし、しゃがみこみ両手で襖に手を添えた。


「……マシュー殿、イブキでございまする」

「どうぞ、お入りなさい」

「し、失礼します…」


どくどくと脈打つ心臓と乾く口内に、

イブキは生唾をごくりと飲んでから意を決したように襖を開けた。

部屋の光が膝に漏れ、下げていた頭をあげ視線を部屋の中へと見据えればイブキは表情を凍らせた。


「まったく、遅いじゃありませんかー!ほらほら、早く部屋にお入りなさいなー!」

「もうマシュー様ったら、イブキお嬢様が来る前にそんなに飲んじゃだめですよ~」

「んふふ…そ、れ、は?貴女たちがあまりに美しくお喋り上手で私にご奉仕してくれるからじゃありませんか~!」

「やだも~!マシュー様ったらぁ~♪」


間抜けな茶楽器の演奏が聞こえてくるかのようであった。

なんと部屋では机に料理が並べられている中、マシューの両側に美しい侍女達が座りマシューの肩に寄り掛かっていたのだ。

しかもほんのりお酒の匂いがするに察する、先程の発言からしてもう既にマシューに酒が入っている様子である。

侍女達はイブキの登場に笑いながら「それでは私たちはこれで~♪」と軽やかに部屋から出て行った。

すぱんと襖が閉じ、部屋にはイブキとマシューのみとなった。


僅かな静寂と共に一つ、庭から鹿威しの音が一つ部屋を包む。

何故だか再会の嬉しさが一ミリも浮かばないイブキであったが、マシューはイブキの心情を知る由も無く片手で口元を隠しながら、爪楊枝で歯の間のごみを取り除きながら居住まいを正した。


「さあさ、いつまでも入口に座ってないで…席に座りなさいイブキ」

「……本当に女が好きなんだな、お前…」

「なんです?嫉妬しました?」

「いい加減にしろこの似非紳士が」

「おやおや…せっかくのかわいい顔が台無しですよ」


イブキの暴言にも余裕そうに笑みを浮かべこちらを見下すマシューにイブキは苛立つも、こんな話をしていたらいつになっても本題に入れないと思いイブキは渋々マシューの目の前、机を挟んだ座椅子に座った。

何から話そうと、イブキが机に並べられた鯛料理を見つめ数秒沈黙していたが、話を切り出したのはマシューだった。


「まずは、復興おめでとうございます。イブキお嬢様」

「どうも……その件についてだがお前に改めて礼を言いたいと思っていたんだ」

「おや、私はあの時もう既に貴方からお礼を言われているので、気を使わなくて結構ですよ」

「そんなことない。お前は馬吉良の悪事だけでなく魑魅魍魎の類を阻止してくれた。俺の中ではもはや英雄だ」

「ほう?その英雄を先程似非紳士と罵倒したのは何処の誰でした?」

「……お前、余裕そうに見えて実は根に持つタイプか」

「人聞きの悪い…私は貴方の身体を心配して見に来たんですよ。どうです?"その後"は」


マシューの輝く黄金色の瞳がイブキの漆黒の瞳を真っすぐに射抜く。

幾重にも層が重なったような色合いのマシューの瞳に、思わずイブキが身じろげばその反応が面白かったのかマシューはにやにやと笑みながら視線をイブキから外しお猪口に手を伸ばした。

酒を注ぎだすマシューに、イブキは慌てたように口を開く。


「も!問題ないっ…未だにこの体はまだ慣れないが、お前には感謝している…」

「そうではなく」

「?」

「…心の方ですよ」

ぐいっと一拍お酒を飲んだマシューが言い放てば、イブキはよくわからないと言わんばかりに怪訝そうに顔を傾げた。


「心の方、とは…?」

「罪悪感、ありませんか?私はあの時、貴方に聞きました。"決心はついたのか"と…そしたら貴方は言いましたね?"俺は家族と国の人々が何よりも大事だ、だから女にしてくれ"と」


ぷちぷちと枝豆の中に入っている豆をはじきだすマシューに、イブキがあの時の情景が脳内に思い出される。

あれはそう、馬吉良を討ち鐘の音が辺り一体に広がった、あの時の事だ。

鐘の音でかき消されたであろうイブキの言葉を、マシューはちゃんと聞き受け杖をイブキの胸に付き当て魔法をかけたのである。


「…刻限になれば、今度は家族だけでなく人々が母や姉たちのように暗い顔で毎日を過ごさねばならないのか。笑顔が絶えず、和気藹々とした美しく強い女子たちが、心を殺して男に跪き醜態を晒し良い見せしめされ奴隷として扱われるなんて。そう考えると例え人々を欺き、嘘でこの平和を続かせる結果になっても俺は後悔していない……これが、俺の正義だからだ」


イブキは己の手を力強く握り、マシューの瞳を今度こそ見詰め返した。

その意志の強い瞳に、マシューはゆっくりと目を瞬かせ「そうですか」と安心したように答え大量に皿に出した豆を一気に口の中に放り込んだ。


「…だが、勿論少なからず寂しい気持ちもある。今回の事で…そう、男の身体を失ったことで、俺は自分の持つ夢をあきらめる結果に至った」

「ほう、夢とは?」

「…長い話になるが、聞いてくれ」


そう一拍開けてイブキはそっとマシューの顔を伺えば、マシューは視線で"どうぞ"と先を促す。

口の中の水分が一気に乾き、額に脂汗が滲んだ。

イブキはとても緊張していた。なぜなら今から話す事情は、今まで誰にも語ることのなかったイブキの”夢”の話である。


「俺の父親は国を渡り歩く騎士だったそうだ。母と結婚し俺たちを生んで、国を建国して以来国を追放されその後何処かで死んでいった、そんな不憫な父親がいたんだ。

母上から聞いた話だが、父上が何故騎士として国を渡り歩いていたのか聞いたことがある。

理由は素晴らしいものだった”悪人だろうが王族だろうが平民だろうが、俺は人々を己の手で守っていく平等な騎士でありたい”とな。

それを聞いて、俺も誰かのために自分の身を犠牲にして戦えるような、そんな強い男になりたいと思っていたんだ。

だから、当初俺は”亡き父上の代わりに家族を守り抜こう”と、そう決めていたんだ。だが…」


そこから先、一言も発さなくなったイブキ。

もぐもぐと咀嚼するマシューが水の入ったコップを飲み干し大きく喉仏が上下したところでマシューが口を手拭でふきながらゆっくりと「そうですか」と応えた。


「それは、貴方にとって酷な選択肢だったでしょうね」

「今となっては、これでいいんだ。例え女の身になったとしても俺の意思は変わらない。これからも、そして今も人々を守っていきたい。だが………その……」

「なんです?」


すう、とイブキは思い切り息を吸い込んだ。


「……わがままを言えば、俺も父上のように他国に足を運び悪から人々を救いたいと!だから、マシューが本当に羨ましいと、思ったよ…」


噛みしめる様言い切ったその言葉、イブキの瞳に嘘偽りはなかった。

そしてマシューは見逃さなかった、イブキの中の真に折れることのない正義の心を。


その祈りは、人々を救いたいという平和の表れ、まさにマシュー自身と同じ思想だと思った。


マシューは酒に手を伸ばすのをやめ、にやりと笑い前のめりになって両腕をテーブルに置き肘を立て合わせた両手に自身の顎を置いた。


「ところで、貴方に話さないといけないことがあるんです」

「……なんだ?」

「”黒点”についてですよ」


ぱちん、とマシューが指を鳴らせば部屋に流れていた静かな和楽器の音が途絶える。

単調なリズムとは裏腹に優雅なクラシック音楽がその空間を彩りだした。


「何故普通の人間がああなったのか、国が悪戯に化かされた理由を、聞きたくないですか?」そう言ったマシューに、イブキは肯定の意を込めて勢いよく縦に顔を振った。

食い気味に返された反応にマシューは笑みを深くし、前のめりにしていた身体を後ろの背もたれに深く腰掛けた。


「まず、この世界…いや、全ての世界での共通する悪の根源というものがあります」

「悪の、根源…」

「それは各世界にとって様々、ある世界では”妖”と恐れられ、ある世界では天使と相対する”悪魔”だと主張され、またある世界では人々の憎悪による感情を媒体とする”呪い”だと表されてきました。もちろん、それは時間軸を総じて過去、未来とその形は様々です。ですが、私は全てを統合して根本的な悪の根源は、その世界に住む生物達による負の感情の合体した物だと、推測しております」

「負の感情…確かに今回の事も馬吉良の自分勝手な悪だくみや、追い詰められて酷く母上や姉上達が悲しみに明け暮れていた」

「そうです。そういう負の感情が溜まりにたまっていき、その世界の”悪”が肥大化し形になったものを”排除”するのが私の使命です」


「要するに、救世主と言っても過言ではない」そう言ってきらりとマシューは眼鏡を輝かせれば、イブキは聞き入っていた話を脳内で戻しブレーキをかけた。


「ちょ…っと待ってくれ。お前はさっきその世界によって様々だと言ったな?何故それを知っている?この世界の遠い国から来たわけではなく、別の世界からやってきたっていうのか…?!」

「理解が早い、そうです。私は元々この世界の者ではなくもっと別の地平線からこの世界へと訪れました」

「………御伽噺にも、そんな話は記されていない。到底信じられない…と言いたい所だが。実際に俺はこの目で見ちまったからな……」

「そうですね、否定されても私には証明する手立てがないので無理に全て鵜呑みにしていただかなくても結構です。ですが…」

「あ?なんだ」

「貴方が、私と共に地平線を飛び別の世界を体感すれば、それも自ずと真実だと受け入れることが出来るでしょう」


マシューはなんてことのない様に言い放ち、茫然とするイブキを他所に茶器の蓋を開けてその温度を見計らった。

湯気がまだほんのりと立ち上るそれに、マシューは己の空になったカップにまだ温かな緑茶を注ぎ込んだ。

そんな余裕そうなマシューとは対照的に、しばらく茫然としていたイブキが我に返った。その間、僅か3秒。


「…はぁ?!」

「私は常々思っていました…!この途方もなく果てのない旅路に”仲間”がほしいと。救世主に選ばれた者は他世界の者と”契約”しその者に力を与え、また共に世界を飛び越える力を持つのだと…どうです?単刀直入に言いましょう…一緒に来ませんか?」

「ま…待て待て待て!お前、急に何を言い出すかと思ったら…!」


注ぎ終わった茶器を戻し、マシューはその大きすぎる手で湯呑を持ち、にひるに笑みながらイブキを見つめる。

余裕そうな雰囲気からは想像もできないほど、マシューの眼力はすさまじかった。燃える黄金の瞳がイブキに語り掛ける”私は本気だ”と。

ぐいっと緑茶を一口で飲み干したマシューと同時に、イブキは自分の口に溜まりにたまった生唾をごくっと飲み込んだ。


「…私は常に探している。私と同じ思想を掲げ正義の心を持った”強い”逸材を。貴方は、私の理想に適う素晴らしい逸材です」

「同じって…俺は確かに人々を助けたいと言ったが、それがお前と同じとは一言も」

「同じですよ。定義する目標の規模はどうあれ…私も、全ての世界戦で生きる人々を救いたいと…平和を胸に、正義を掲げております」

「…っ、お前の言いたいことはわかる…だが、俺はこの国の次期頭首だ。お前の旅に同行すれば誰が家族を守ると言う?本当に守りたいものを置いて多くを救うなんて、俺には自分勝手なエゴだと思えてしまう」

「……その言葉は、亡き御父上に対する冒涜でもありますよ」

「!」


はっとして思わず自分の口を両手で塞ぐイブキ。

何故だかマシューにはその仕草が本物の女子のする行動に見えてつい笑ってしまった。


「貴方は色々な世界を見たいと言った…この国の外には貴方の見たこともない物や生物、現象に溢れている。この世界を見て周るだけでも貴方にとってとても有意義な経験が出来るでしょう。それこそ、またこの国に戻ってきたときその知識は確実に家族を守りこの国を救う糧となる」


「どうです?貴方にとって、決して悪い話ではない筈ですが」そう言ってマシューが空になった湯呑をくるくると指先で弄りだす。

手に汗握る状況下の中、イブキは自分の中で家族と己の夢を天秤に掛けていた。

先程己の父の行動に対して漏れた言葉きっと、自分の中に隠れていた本音、深層心理なのだと。

それでも、家族を守りたい思いは本物で、又自分の夢をあきらめかけていた時に願ってもいない希望の糸が垂れ込んできたのだ。


「(今すぐどちらか決めるなんてできない、だがこの男の言葉が本当なのだとすればこの国に長くいる理由もない今、発つとするなれば今日か明日の日の出であろう…どうする、家族に相談…けれどもそんな、そんな事を言ったら絶対に…)」


「行っちゃいなさいよ、イブキ!」

「!」


背中を押されるだけだ、そうイブキが思案していた時だった。

襖がスパンと開かれ突如客間に母、そして姉のカレン、ユリエ、そして妹のウメがどすどすと断りもなく入ってきたのだ。

突然の登場と、今までの話を一体何処から聞かれていたのかと、イブキが驚愕に口を金魚の如くぱくぱくと開閉させていれば。

隣ではマシューがまるで知っていたかのようににやにやと笑うばかり。だがそんなマシューの様子にもイブキは気付いていない。

それほどまでに、今の家族の登場に目が釘付けになっていた。


「貴方が何故、芸事の合間に自身の肉体を鍛え剣技や武術を習いたいと言い出したのは、そういう理由があったからなのですね…」

「は、母上…!」

「いいじゃない!イブキ一人いなくてもこの国はやっていけるわよ!私たちがそんなに信用ならないの?!」

「カレン姉さん…!違うんだ、そういう事じゃ…!」

「何も気にすることはないわ。今までイブキには我慢ばかりさせちゃってたもの…自分の夢位、素直になって頂戴?ねえ、ウメ?」

「たぁー!」

「ユリエ姉さん、ウメ……」


家族の言葉に涙腺の奥がじんわりと熱くなったイブキ。

その言葉は、今まで女子として強制されていた昔に初めてかけられた励ましの言葉の数々と、同じくらい優しいもので。

きっと自分の夢を打ち明けたらどう言われるか等イブキは簡単に想像できていたのだ。それは少なからず自分の自惚れも混じっていて結局は否定されるのかと思えたが、あまりにも想像通り過ぎてイブキはどうしようもなく罪悪感とやさしさに涙が溢れそうになっていた。

そんなイブキに、椿は一歩前へ踏み出しイブキの前に膝を折るとその痩せてしまった白魚のようなたおやかな手で、そっとイブキの両頬を包み込んだ。


「…本当、お父上にそっくりね、イブキ」

「ッ!!」

「あの人が此処を出ていくときも、今の貴方と同じような顔をしていたわ…優しいイブキの事だからきっと、私たちの事を思ってこの国に居続けようとしてくれてるのでしょう?でもねイブキ、私達は貴方の夢の足枷になりたくないの…わかってちょうだい」

「お、おれは…!げっじて、ぞのようなごとをっ、おもってなど…ッ!」


冷え切ったこの細く小さな手がこんなにも愛おしく思えたのは、この時が初めてだとイブキは後に思う。

時にこの手で優しく己の背を励まし、時に厳しく力強く己の頬を叩かれていたこの冷たい手を。

握りつぶしたらきっと折れてしまうであろう手に、イブキは縋り力強く握りこみながら、初めて家族の前で赤ん坊のように泣いた。

その表情を、同じく泣きそうになりながら、まるで懐かしむように椿はイブキを見つめ続けた。


「わかっているわ、でも…やっぱり血は争えないわね。貴方はあのお父上の子ですもの。私は彼のそんな眩しいほどに志が高く、そして誰よりもお人好しだったあの人が好きだった…だからイブキにも、その夢を諦めずに旅立ってほしいの。もちろん、条件付きでね」

「う…っ?」

「”今度は”絶対に帰って来るのよ。私たちの故郷に。遠くへ行って野垂れ死ぬだなんて、許しませんよ」


母の頬にも伝う一筋の美しい涙。

初めて見るその美しすぎる泣き顔に、イブキも涙腺の奥に設置されていた第二のダムが崩壊し溢れんばかりの雫が目から零れ落ちていく。

母の着物が濡れるのもお構いなしに、イブキは母椿の胸に飛び込んだ。

幼子のように泣きじゃくるイブキを椿は「まったく…!」と泣きながら笑み掬い取る様に抱きしめ、その背後から姉や妹たちもわんわんと泣きながらイブキを囲う様にして抱擁した。







許された旅路


(父上、あなたの代わりに今度こそ、やり遂げて見せます)

(必ず)


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