第5話 正義の紳士、参上





昨日咲いていなかった筈の彼岸花が町中に咲き乱れていた。

城の隅にある河川敷の下、道行く人々の足元にまでありとあらゆる場所に咲いていた。

嗅ぎなれない匂いにイブキは不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、振り払うように強く目を瞑り大きく長襦袢を翻した。



民衆は今日椿から出される新たな条例の事で話題だ。


「髪型、服装の統一」「西洋の文化を併合」等思い思いの想像をして噂していた。

城の大きな渡り廊下へと足を踏み入れれば向こう岸に背の高い人影が見えた。


あれは、母上だ。


「イブキ、遅いお目覚めね。昼十二時に馬吉良"陛下"がこの城に来られるわ、それまでに身支度を済ませておきなさい」

「……かしこまりました、母上」

「それじゃあ、また後程」

「はい」


頭を下げれば風に乗せて彼岸花の細い花弁が床にはらりと零れた。

ゆっくりと顔をあげれば踵を返す母の足元から彼岸花の芽が顔を出していた。

まやかしを見てしまう程、視覚だけでなく嗅覚まで馬鹿になってしまったのか。

むせかえるほどのきつい花の香りに、イブキは体中の空気を吐き出すように大きく、大きくため息をつく。


虚ろな眼でイブキは頭上にある小さな格子窓を見上げれば、相も変わらず金の雲が空に浮かんでいた。



***



「場吉良殿下、椿の間へと御なりでございます!」


いつからうちの侍女たちの着物は黒一色になったのだろうか。

まるで葬列の様にずらりと部屋の両脇に顔を隠して立つ侍女たちの向こう、孔雀の襖が開かれた先。

金の着物と見事な竜の絵が描かれた羽織を着た、馬吉良陛下とその御付きの者が計四人、椿の間へと足を踏み入れた。


ぬるい風が吹き、きつすぎる彼岸花の匂いと花弁を引き連れていた。

よく見たら御付きの者達の顔も彼岸花に染まっていないだろうか?

畳の柱を躊躇なく踏んでいく様に眉間に皺が寄りそうになるも唇を薄く噛むことでイブキはぐっとこらえた。

母上は苦い顔一つせず「この度は、我が国へと御足労痛み入ります」と頭を下げていた。

隣に立つ姉のカレンを盗み見ても、不快感等微塵も無い様な普段通りの表情で場吉良を見据えていた。


自分だけが感じているのか、はたまた周りが我慢強いだけなのか。

幼い妹であるウメでさえ、目の前で舞う花弁を追いかけずに眠たそうに欠伸をしている。


もはやイブキは、自分の精神が病みすぎた故の幻覚を見ているのではないかとさえ思えていた。


「昼食はもう頂かれましたか?まだでしたら是非、この椿の間で食事でもひとつ」

「おや、よろしいのですかな?だが毒でも一服仕込まれていたら敵わないのでご遠慮しようか」

「そのような下劣な真似、我々がすると思いで?随分と信用されていないのですね…これからお互いの国が合併するというのに、難儀な事を考える」

「おお、そのような顔をするでない椿殿…そうさな、では頂こうか」

「恐れいりまする」


母の椿がパンパンと二拍手しゅれば、侍女達が機械的な動きで順番に部屋を出て行った。

次いで次々と並べられる、豪華な座布団、机に、料理の数。

場吉良の食事は豪華だが、自分たちの前に並べられる料理はどれも質素なものだ。

まるでこれから自国がどうなっていくのかを表しているようでイブキには不快極まりなかった。

座布団に座りだす場吉良や母達同様、イブキも座布団へ座るも食欲は一向にわいてこない。


場吉良が酒を母にお酌してほしいと言った。その言葉に母は言われるがままに立ち上がり、馬吉良の横へとしな垂れるように座った。

手が情けなく震える。季節は春だ、気温は暖かい筈なのに指先は冷えるばかりだ。

冷や汗をかき、視線を上げる事ができずとうとう顔を俯かせたイブキに、隣に一人分開けて座っていた姉のカレンがそっと「イブキ」と声をかけた。

その声にびくりと大きく肩を震わせたイブキに、カレンは安心させるように微笑んで見せた。

よく見たらカレンの美しい白魚のような肌は血色が悪く目の下に灰色の隈がくっきりと見えていた。


「大丈夫よ、母上わね?ああやって場吉良殿の顔色を伺って良い様に諂って私達を守ろうとしてくれてるのよ。だから、そんな顔したら駄目…粗相をしないように、私達も楽しそうに演じましょう」


小声で語り掛ける実の姉の言葉を、イブキは素直に受け止めることが出来なかった。

返事もせず、イブキは見開いた目でゆっくりと硬い首を回し前を見据えた。

媚び諂う母の姿が、まるで本物の奴隷のように見えてきた。


ああ、不快だ。何故、どうして。母があんな目に、合わなければ。


イブキは着物が乱れるのも気にせず、素早く立ち上がった。

「イブキ…?」と驚く姉がイブキを見上げれば、イブキは「厠に行ってまいりまする」とか細い声で答え足早に部屋を出て行った。

音もなく襖を閉め出て行ったイブキに馬吉良達は気付くことなく。

椿はイブキの出て行った襖を冷たい眼差しで見詰めていた。



息を、思い切り吸い込んだ。

はあはあと息切れを起こし、イブキは汗が止まらなかった。


下を見下ろせば床には先程襖を開けたせいで零れ出た彼岸花の花弁がぱらぱらとばらまかれていた。

長い睫に沿って汗が伝って足元に落ちていく。それなのに体の震えは止まらず手足は冷たく冷え切っていた。

美しく纏め上げた髪を思い切り前髪からぐしゃりとかき混ぜれば、簪がふたつカラカラと落ちた。


苛立ちが隠せなかった、イブキはあの部屋にいたくなかったのだ。

変わり果てた家族の表情と、馬吉良の放つあの異様な匂いと雰囲気。まさに毒そのものだった。


イブキはゆっくりと深呼吸を一つ繰り返し、足袋を脱いで足早に向かったのはバルコニーだった。

外の息を吸いたい、その一心で必死さのあまり早歩きから走り出したイブキはどすどすと音を立てながら真っすぐに廊下を駆ける。

汗でぬるつき温度のなくなったせいで感覚がない指先で、がちゃがちゃと乱暴に扉の鍵を外し、思い扉を片手で思い切り開け放てば、イブキは驚愕に破顔させた。


家の屋根や木、幼い子供の顔、椅子、道端、自転車に、それから、それから


ありとあらゆるところに彼岸花が咲き乱れ、よく見ればこのバルコニーの手すりにも彼岸花が咲き町中が赤に染め上げられていた。

いつの間にか建っていたのか蒲都万ノ国の”蒲”の印が刺繍された赤い旗まで家々に飾られていた。


空気さえも花弁が風に乗せて幾つも待っているせいか仄かに赤い。

匂いも酷い有様だ、それなのに、それなのになぜ、


「なぜ誰も、気に留めないんだ…?」


異常すぎる外の光景に、民衆の人々は何も怒っていないように普段通り道を行き交い、喋っていた。

荷物を届ける飛脚も、侍も、舞子の大名行列でさえ、恐ろしく普段通りに過ごす女子たちにイブキは膝から崩れ落ちるように座り込んだ。


「ゆめを見ているのか…?それとも、俺の頭がおかしくなったのか…?わからない、なんだコレは」

「混乱して当然でしょう。大丈夫、貴方は正常ですよ。正常すぎる程に、ね」


「?!」

自分しかいない場所に、返事が返ってきたことに驚き素早くイブキが顔を上げれば、そこには細い手すりに器用に座る大きな青い洋装を着こなした例の紳士…マシューが目の前にいた。


先程まで居なかった筈なのにと思う反面、この赤すぎる光景の中に一人だけ青色に身を映えさせるマシューの存在を視界に入れただけで、イブキはどうしようもなく安堵した。

「お前…」と息を吐き出すように言ったイブキの瞳は濁っているも、マシューはまだその瞳の中に潜む希望を望む光を見つめ、満足そうに自身の鮫歯を見せて笑った。


「普通の人間にはこの光景は見えません。そもそも黒点の影響は普通の人間には見えない仕組みになっています、が、それが及ぼす被害は超常現象や自然現象といった形で人々の前に具現化するのですよ」

「黒点…?影響って、お前は何か知っているのか?」

「私は力が強すぎる故に、私と触れ合った貴方には神の力が作用されてしまったようで、影響が及ばずこの惨状が見えてしまった、ということですね…」

「一体なんの話をしている?おい…俺にわかるように説明しろ!」


今にも掴みかかりそうな勢いでイブキがマシューに詰め寄ろうとすればマシューがイブキの背後を見据え不思議そうに首を傾げた。


「おや、向こうはもっと大変なようですよ?」

「は、?!」

マシューの言葉に眉間に皺を寄せ怪訝そうな顔をして振り返る、刹那。

ゴゥンと大きく城が揺れ思わずイブキが膝をつき困惑した様子で未だ揺れ続ける城の床に這いつくばれば、

自分が来た道から甲高い女子の悲鳴と、あわせて食器が割れる金属音にイブキは慌てて立ち上がった。


「誰か!だれかぁぁ!!」

「母上?!姉上!」

マシューの存在を捨て置きばたばたと四肢を振り乱しイブキはバルコニーを後にする。

向かう先は椿の間。足袋がないおかげで走りやすくなっているが、その分彼岸花を踏みしめるたびに謎の液体が足裏にべったりとくっついてまわった。

だが、今のイブキにはそれどころではなかった。

絶え間なく聞こえる甲高い悲鳴と泣き声、そして部屋に近づくにつれて男のうめき声と笑い声が聞こえた。


無我夢中で走り、何もかも躊躇せずイブキが思い切り扉を蹴破れば、そこは酷い有様であった。

もはや人間の理解には及ばぬ、あまりに現実離れした光景が広がっていた。


そこには、身の丈10mを超え体中煮えだったかのように赤黒くなった馬吉良。

衣服が引きちぎれ、上半身からは2つ新たな腕が、下半身はまるで芋虫のように長くいくつもの腕と足がバラバラの向きで映えており。

大きすぎる手にくったりとした母上が握られていた。


「ブギイエエアアアアア」

「うっ…」


その深紅に染まった馬吉良の瞳と目があえば、その奇声に体が震え思わず目を離すように下を向けば、床には自身の姉たちが倒れ伏しその身に幾つもの彼岸花が咲き、黒い衣服を着た侍女たちは高すぎる天井に荒縄で大勢吊るされていた。

奥からは鬼の形相をした身体が芋虫のような異形の生物がゆっくりと這って登っていた。


かおる腐敗臭と死人の臭い、極めつけは噎せ返るほどの彼岸花の臭いに、とうとうイブキは耐えられなくなりその場に崩れ落ち片手で口を抑えながら嘔吐した。

派手にぶちまけイブキの手から滑り落ちる胃液が床を汚す。畳はいつの間にか真黒に染まっていた。


終わりだ。何もかも。

イブキはそう思い熱い息を吸い込めば、視界に上等で大きな革靴が踏み込んだ。


「おやおや、派手に散らかしましたね」

「!お、まえ…、」

「ほぉら、寝るのはまだですよ。貴方は大人しく私の後ろにいて下さい。普通の人間にはこの空間は毒そのもの…」


「よいしょ」とマシューが倒れ伏すイブキの腕を力強く片手で起こし、乱暴に後ろの瓦礫にぽいと投げれば力が抜けたイブキはがらがらがっしゃん!と派手に後ろにぶつけた。


思わず反論しようと上半身を起こそうとイブキがマシューの後ろを睨みつけた、刹那。



「正義の味方、参上ってネ☆」


マシューがぱちんとウインクを一つ、星が瞬き大きく黒光りする長い杖を上へ大きく上げれば、ブォッと風が吹き何か黒いものが自身の横を掠めたと思えば、馬吉良の背後にのたまわる黒い小さな鬼がばしばしと凄まじい勢いで壁に縫い付けられていた。

ダイヤ型につながるそれはまるで鎖のようで何匹もいた小鬼たちが壁に封じ込まれていく。

「キエエエ」と甲高い金属音に近い声を発するそれらは、嫌がるように抵抗するも鎖はびくともせず、馬吉良はマシューの突然の登場にあからさまに驚愕した。


「そら!」

続けざまにマシューがくるくると杖を回せば、部屋中に暴風が吹き荒れ、赤い彼岸花が次々と風で引きちぎれ、イブキのかろうじて結われていた髪も完全に解けイブキは簪を飛ばされぬように片手で握り髪が上空へと逆立つ。


あまりの激しい突風に天井は耐えられなかったのか、壁が嫌な音を立て、バキバキとひび割れ次々と天井が吊るされていた侍女含め小鬼や小蠅を上空へ飛ばしていく。

馬吉良が飛ばされないように腕を顔前に掲げ、もっていた母上をうっとおしそうに投げ飛ばすのをイブキは見逃さなかった。

慌てて「母上!」と叫び踏み出そうと前へ踏み込めば、見えない壁と電流にあてられイブキは弾かれてしまう。

驚いたイブキがよくよく目を凝らせば床に先程の鎖が縫い付けられ、薄い半透明な枠が自分たちを包んでるのが見えた。

慌ててマシューを見ればマシューは目の前の敵を捉え視線を離さない。

投げ飛ばされた母上は何処に、とイブキが世話しなく視線を移動させれば、母上と姉妹達も同様一か所に倒れ伏し黒い鎖に守られていた。


ほっと息をつくのと同時に風は止み、天に飛ばされた侍女たちがどさどさと床に落ちてくる。

馬吉良は大きな口で息を吐き出し、身体からは汗が滲んでいた。下半身の手足で必死に床にしがみ付いていたのだろう、床もいつ崩れるかわかったものではない。

そうしてあまりの出来事にイブキが大きく息を吸い込めば先程の生温く臭い花の匂いはどこへやら、さっぱりとした冷たい空気が器官に入り込みしみわたった。

久々に外の新鮮な空気を吸い込んだようで、イブキは心底ほっと息をつく。


それでも、やはりまだ空は赤く、いつの間にか雲は黒雲に染まっていた。


怒涛の魔法の連鎖に、イブキは意識を手放さないようにこの光景から目を離さない事に必死だった。





正義の紳士、参上


(ああちなみに、お城の弁償は致しませんので悪しからず)

(そんな事より目の前の奴を早くどうにかしろ!!)


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