第4話 大切な人




「夕暮れどきは、いつになっても慣れません」


「…は?」

川を繋ぐ赤く大きな橋で探し求めていた相手はあっさり見つかったが、男…マシューは片手に持っていた本をコートの内側に仕舞い込みながらそう呟いた。

思わず素っ頓狂な声が出てしまったが、仕方ない。俺は悪くないとイブキは平静を保った。

視線も相まってかイブキの表情に苦笑を漏らしたマシュー、その鮫歯をうっすらと見せて笑った。


「昼から夜にかけての短い黄昏時…黄金に満ちた空を一瞬しか見れないなんて、なんとも寂しく感慨深くなってしまう…尚且つ夕暮れは一日の終わりの合図でもある。そう思うのは私だけですかね?」


相変わらず演技掛かったような男だ。セリフの臭さが際立ち、この町に似合わないクラシックでムーディな音楽さえ聞こえてくる。

頓珍漢な台詞を吐き出すマシューに、イブキは隠すことなく鼻で笑った。


「…随分とお喋りなんだな、俺がここに来るのをわかっていたのか?」

「…………」

「?おい…」

「貴様誰だ」


本人には聞こえないが、確かにこの時空気が揺れ、直後割れた。

イブキに向かってマシューはどこから取り出したのか分からない長物の杖を突きだし顔前で先端部分についたダイヤをきらりと光らせる。

低い声で誰だと唸って見せたマシューの顔は言わずもがな怒りが滲み出ていた。どす黒さが悪役顔をより一層引き立たせていた。

口元をひくつかせたイブキは、ああそういえばと瞬き面倒そうに一歩右にずれた。それでも先端はイブキを捉えて離さない。


「本物のイブキ姫は何処だ。この私を欺くとは見事な変装だ…成程称賛をくれてやろう。だが今ならまだ許してやる。本物のイブキ姫を連れてこい」

「…大きな声では言えないが、俺は女じゃない。昨日助けて貰ったイブキ姫っていうのが、正真正銘俺だ」

「なん、だと…?!そ、そんな馬鹿な…!」

「はっ…信じられないか?なら証拠を見せてやっても」

「馬鹿なぁぁぁぁ!」

「おいこら!声がでけえんだよ!」


膝から崩れ落ちる様に地面に崩れ落ちたマシューにイブキは慌てて周りを見渡し顔を隠しながらマシューの肩を掴んだ。

幸い近くに見ていた人もいなくイブキはほっと息をつくも、

耳を傾ければ「嘘だ…そんな馬鹿な…神よ…」と謎の声を発するマシューにイブキは苛立ちを隠さず舌打ちをしてしまう。


「ちっ…ここじゃ碌に話せねえな、どこか人通りが少ねえ場所に…」

「失礼、私用事を思い出しましたのでこれで」

「まてよ、なんだその手のひら返し。俺が来るのを待ってたんじゃねえのかよ」


何事もなかったかのように素早く立ち上がりマシューはその場を後にしようとするもイブキは素早くその腕を掴めばマシューは素直に止まった。

面倒そうにイブキの言葉に対して「男に興味はないんですよ、離してください」となんとも聞き捨てならない事を言ってのけたマシューにイブキの目が吊り上がる。

空気の波が上下する中、果たしてイブキは冷静に事を運べるのか。

殴りたくてしょうがないのだろう、イブキの手は血管が浮き出ており今にも殴りかかりそうだ。

イブキは意外にも脳筋であるので、仕方ない。


「いいから、頼む…!礼は弾む、だから話だけでも聞いてくれ!」

「姫でもなんでもない貴方に興味などない。さっさと寺子屋なりなんなり帰りなさい」

「違う!そこは嘘なんかじゃない!事情が事情で、俺は男だが女としてこの国の姫として性別を偽ってる…頼む、急を要する事なんだ」

「…ほう?その言葉に嘘偽りないのでしたら、私にとっても好都合。是非お話を伺いましょう」


マシューの腕を掴むイブキの手にマシューが触れる、刹那。


視界が歪み甘すぎる程の煙と星の大群が目に飛び込んできた。驚きに目を閉じてしまったイブキが次に目を開ければ、そこは狭く質素な個室。

ベッドと、机に、上掛けとランプが置いてある程度。ベッドの隣に小ぶりな長方形の革製の鞄が置いてある。近くに水色の大きなサイズの寝巻が置いてあるのできっとこれらの私物はマシューのものだろうとイブキは考察した。

部屋を見回すイブキに、マシューはベッドにどすんと座った。


「此処は私が借りてる宿屋の一室です。人がいない場所、尚且つ聞き耳も立てられない。私の魔法で他からの接触は一切遮断しているのでね」


”魔法”

そのフレーズにイブキの心に小さな線香花火がいくつも弾け、咲き乱れた。

童心の様にどきどきと期待に心臓を弾ませ、あふれ出た唾液をごくっと飲み込み顔を隠すためにかぶっていた麻布を外した。


「…昨日の昼間、俺を助けたときに使ったアレも”マホウ”とかいうものなのか?」

「おや、そういえばこの国の方々は魔法に耐性が無い様ですが、この世界の事情がそういうものなんですか?魔法を見たことがないので?」

「…他がどうなのかわからないが、少なくとも俺はこの国で過ごして一度も見たことがなかった」

「成程、そうすると町娘達があれ程驚愕して逃げて行ったのも納得がいきます。マホウとは即ち、奇跡そのもの」


そう言ってマシューはその白い手袋で包まれた手を前に出す。

するとそこから音をたてて炎が溢れ出た。突然の出来事にイブキは目を白黒と瞬かせたが、釘付けだ。

非現実的なソレから目が離せないでいた。美しく囂々と手の上で燃える赤い炎に、イブキが手を伸ばすもマシューが遮るように炎を握りつぶせば光が弾けもう一度手が開かれればそこから小さな光る蝶が数羽あふれ出た。

宙を舞うそれらを視線だけでなく体ごと追っていけばそれは自然と光がちりじりになって消えてしまった。


唖然と口を無意識にあけるイブキの表情を見て、マシューは心の中で阿保ずらと馬鹿にして鼻で笑った。


「私が願えば、どんな事だって出来てしまう。魚を宙で泳がせ、家を生成し、空間を割りそこに無限の花畑を作ることだって可能だ。いわば不可能を可能にする所業。それが”魔法”です」


「そ、その魔法!俺に貸してくれ!」

「…まあ、そう焦らず。まずは理由を、お聞かせ下さい。」

冷静にベッドのサイドテーブルに頬杖をつくマシューに、イブキがカーペットも敷かれていないフローリングに膝をつき正座をした。

まるで首部を垂れてるようだと、無様なその姿にマシューは人知れずにやりとご満悦そうに笑った。実に最低である。


「…俺の国は男禁制の国家だ。女だけが生きることを許され生活することを義務付けられている。自ら死ぬことすら許さない、そんな国なんだ。」

イブキは話した。この国の事情と、自分の置かれた特別な事情。そして今それをネタにゆすられこの国が崩壊の道を歩もうとしていると。

気まずくなりイブキがそっと伺うようにマシューを見上げれば、意外にも彼は真剣にこちらを見つめ話を聞いているようだ。

視線を合わせてきたイブキにマシューは無表情ながら「それで?」と続きを催促した。

焦る気持ちを抑え、イブキは膝の上に置かれた自身の両手をぎゅっと握りしめた。あふれ出る汗がうっとおしいとも思えるほどに。


「こんな日を待っていたんだ、お前がこの国にやってきたのもすべてが必然だったに違いない!頼む、俺を女にしてくれ!そうすれば、事はすべて丸く収まる!」

「二度と男に戻れなくても、ですか?」

「ー…は?」

「一度生物に魔法を使えばそれを元に戻すことは出来ません。生者を殺し、生き返らせる事ができないように。それは性別でも適応される」

「…それでも、それでも俺は」

「私は、あなたの言う奇跡かもしれないが神ではない。都合の良いものではない以上、貴方は後に後悔するやもしれません」


「見るところ、まだ決心がついていないようですからね」

その言葉にイブキは人知れず焦った。視線が泳ぎ、口が乾く。脳裏に浮かぶのはカレン、母、そしてユリエの言葉。

心が、まだ追い付いていないのだ。


「…はっきり言えば、まだ自分がどうするべきなのかわからない。俺がそうしても馬吉良の目的が変わらないのであれば実力行使を仕掛けてくるかもしれない。そうなれば男と女なんで戦えば男が勝つのに目に見えてる。力ではどうしたって男には適わない。そうなったとき、誰が家族を守るんだってなったとき、肝心の俺が女になってたら何も守れない。そう考えると、踏み出せないんだ…」


イブキの真剣な顔に、マシューはゆっくりと瞬きをしてベッドから立ち上がった。

こちらに背を向けて上着を脱ぎだすマシューにイブキはマシューの動作を見つめる。まるで何かを待っているように。

答えを知りたいと、目を合わせなくても視線が物語っていた。


「答えは出ているじゃないですか。女になったらもう戻れない、だけど男のままでいたい気もする。ならば答えは”女にならない”これが正解ですよ」

「だが、そしたら相手の思うつぼに…!」

「ですがそれが運命、一つの国の終結だとするならば…受け入れなければ」

「…!!簡単に言ってくれやがって…そう簡単に故郷が滅ぶのを受け入れるなんてこと出来るわけねェだろうが!」

「私は貴方と価値観を共有しようとも口論をしようとも思わないので、これで話は終了です。お疲れ様でした」

「おいてめぇ…俺を馬鹿にしてんのか?」

「さあ、お帰りなさい。忘れ物はありませんか?私は紳士なので、貴方を城まできちんと返して差し上げましょう。それではまた、お元気で」


早口に言って腕を宙に振ったマシューに、まずいとイブキは瞬時に察知しマシューに掴みかかろうと立ち上がった。

びりっと脹脛に血が流れ自分の足にひっかかり転びそうになるも、その空気はスローモーションにマシューに助けを向けられた。

地面にぶつかるその寸前までイブキはマシューを睨み続け、マシューはイブキに対して笑みをたたえ続けた。


「それではイブキ、健闘を祈ります☆」



ぱちんとマシューが指を鳴らせば甘い甘い、紫煙がイブキを包み気付けばイブキは嗅ぎなれた畳にどすんと転げ落ちた。

気分は最悪。起き上がる気力も湧いてこないイブキは、まるで現実に帰ってきた様な気分でいっぱいだった。


結局事態は変わることもなく無駄な時間が過ぎていったばかり。


自然と瞼が下がり、脱力感でいっぱいになっていればざあざあと外で雨が降っているのがわかった。



ふわふわと意識が浮き沈みした後、イブキは昔の夢を見た。



稽古に疲れ次期頭首になる役目を放棄したくて仕方なかった、イブキが齢十の、ある雨の夜の事だった。


雨に濡れながら城を飛び出したイブキを、綺麗好きの母が傘も差さずに自分を追いかけてくれたのだ。


「母上!母上ッ!なぜ俺を女として育てたんだ!」

「……」

「長女はカレン姉さんだ!貴女の実の子は俺以外にいたはずだ!まだ幼いがウメだって!俺に舞や作法、人としての教養を教えてくれたのはカレン姉さんだった!

俺よりもずっと繊細で、本物だからこその動きができる姉は女だ!女だからだ!なのに、何故!何故俺を後継者として選び女として育てたんだ!!!教えてくれ、母上!!!」


あの時の母の言葉は、忘れない。

忘れることが出来ないほどに、絵になっていたのだ。


「…あなたが、お父上にそっくりだからよ」

「あなたを、失いたくなかったの。父は見殺しにできても貴方を見殺しにはできなかった…」

「愛していたからよ。だから貴方を、殺さずに済むように女として公言し育ててきた」

「そうしたら、あなたは素直で私の期待に答えてくれたわ。」


雨に濡れた母の頬を流れた雫は、きっと涙だったに違いない。



「美しい子に育ってくれて、ありがとうイブキ」





大切なひと



(決心は、未だつかないまま)

(約束の刻限はもうすぐ、当日の朝を迎えてしまった)

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