第三十八章第一節<焦躰の怨恨>

 廃街はすぐに途切れていた。


 一行が身を寄せた、酒場のような平屋を少し進んだ部分で、舗装された大通りはまるで崖崩れがあったかのように、出し抜けに途絶えていたのだ。そして、街はあたかも廃墟となって眠っていたものを地表に再び投げ出しでもしたかのように、崩れた先には再び荒涼とした残骸の積み重なった丘陵が続いている。


 ユリシーズの意見から、この異界が西洋の宗教的見地から見た地獄に非常に酷似しているという事実が判明した。しかし、地獄などという場所についての正確な知識や情報など、如何に西洋人とはいえ持っているはずもない。


 短い熟考ののち、決断は下された。


 ここでこのまま、仲間を探すよりも、一刻も早い脱出を目指したほうがいい。

 もし仲間がまだ、という思考はこの際、切り捨てざるを得なかった。


 これが、何処か現世で道に迷ってしまったのだとしたら、まだ手の打ちようはある。しかし異界という、世界自体が異なるような場所であったなら、下手に長引かせることがどのような影響を生むものなのか、それすら分からないのだ。


 舞の妖の能力すらも限定されるこの異界において、自分たちが長居をすべき理由は一つもなかった。舞と呪術師たちの霊感は、同じ方向に呪力が集っていることを看破していた。そうでなくとも、ひっきりなしに微震が発生しているこの現状において、戸惑う者は誰一人としていなかった。


 廃街を背に、四人は緩やかに続く坂を下っていた。


 誰も、口を開こうという者はいない。


 話題が見つからぬ、という理由もある。しかし何より、彼等は不安であった。


 他愛ない話をするほど、場の雰囲気は柔らかくはなかった。そして、気晴らしも出来ぬ中で、不安は次第に精神を蝕んでいた。重くのしかかる不安が絶望となるには、そう時間はかからないように思えた。


 舞の足が、ふと止まった。澄んだ瞳が、虚空を貫く。


「この気……墨曜……いや?」


 宝慈は、その舞の呟きを聞き逃さなかった。


 墨曜道といえば、鳴山北斗がその使い手であった。まさか、北斗もまた同じ場所に。


 徐々に近づいてくる、呪術師の気配。


「気をつけろ、何かが来る」


 不快な緊張が、場を縛る。霊感の弱い光照ですら、腹の底に冷たい水が淀むような感触に、ため息を吐く。


「なあ、あんたのさっきの怪我、そういえば一体」


 問いに答える必要は、なかった。刹那、視界から色彩が消滅したかのような閃光が空間を満たし、それと同時に男の怒号が轟いた。


「九天応元雷声普化天尊ッ!」


 声が朗々と誦したのは、大陸呪術における十字経。雷呪を轟かせたその呪力は、かつて浅草寺において鬼を消失せしめたものであった。


 地表を抉るほどの雷撃を生み出したその呪法は、明らかに殺傷が目的であった。


 とすれば相手は北斗ではない。強烈な閃光から視力が回復していくにつれ、視界は元に戻っていく。


 その中で、漆黒の道師服を纏った日本人が姿を現していた。


「生きていたか、死に損ないが」


 美輪誠十朗。指の間に黒紙に朱墨で綴った呪符を構えたまま、まるで役に立たなくなった道具を見るような視線をユリシーズへと送る。


 丘の上で風に道師服の裾をなびかせながら、誠十朗は冷ややかな一瞥を一行に投げかけた。


「何処へ行こうというのだ? 最早、お前たちだけの力では、どうにもならぬ」


 宝慈は、背中を冷たいものが走り抜ける感覚を覚えた。


 いつだったか、日本の呪術の秘中の秘が西洋術師に筒抜けになっているのでは、と北斗が漏らしていたことがあった。日本人でありながら、我らに敵対する、この男こそが、情報を通じさせていたのではないか。


 いや、この男自身が日本の霊的瓦解を狙っているのだとしたら。


 腹の中に毒牙を持った蟲を飼っているのだとしたら、いくら薬を飲んでも効き目がないのと同じ。


 それならば、日本の壊滅は既に予告されたものなのであろうか。


「男、何故日本を怨む」


 凛と響き渡る声で、舞が誠十朗を見上げ、問いただした。強く言葉には呪力を込められており、それが男の意識に介入し、正常な思考を奪う、はずであった。


 しかし舞の言霊は、誠十朗に届く前に四散していた。


「妖の鬼めに返す言葉など持ってはおらん」


「おのれッ」


 だん、と舞が地を蹴り、着物をはためかせて跳躍した。


 めりめりと額の角が隆起し、更なる妖力を呼び覚ます。西洋の夜魔族にも匹敵する、呪力強化された膂力は女の細腕であっても、岩塊を引き裂くだけの力を持つ。


 その力を無制限に解放すれば、人の躰などひとたまりもないであろう。


 だが、誠十朗は向かってくる舞を前に、一歩も退かぬ。指を一度袖の中に潜ませ、そして人型に切った呪紙を取り出し、それを眼前に巻く。


 それが空で翻るうちに、誠十朗は息を吹きかけた。


 すると呪紙はみるみる兵士の姿となり、舞に鉾を投げ、刀で斬りつけて来る。


 それらを払い、兵士を引き裂き、武器を奪う。だが殲滅した途端、兵士は再び身を起こし、舞へと攻撃を開始する。


 剪紙成兵術と呼ばれる、幻術の一種であった。


 倒しても際限なく立ち上がる兵士に、舞はついに攻撃をやめた。喉元に無数の鉾と剱を突きつけられ、舞は怒りに燃え盛る瞳を誠十朗へと向ける。


「よければ、聞かせてくれないかな」


 それまで、腕を組んで黙っていた光照は、静かに口を開いた。びょうと吹いた風が紅の着流しを煽り、艶やかな髪を舞わせた。


「あんたが、どうしてそこまで日本を怨んでる訳ってやつだよ。殺し合いは、それからでもいいだろ?」

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