第三十五章第三節<疑念の連鎖>

 外法とまで呼ばれたルスティアラのエノク魔術であったが、その効力は抜群であった。


 圭太郎に施したものと同じ魔術はアレクセイにもかけられており、意識を素早く取り戻すことができたのも、そのせいであった。


 怪我人を二人も抱えていては、満足に動くことも出来るはずがない。それに、西洋術師二人と行動を共にすること自体に梓が抵抗を示していることもあり、その部分の話し合いもする必要があった。


 二人の怪我人のうち、先に明瞭な意識を取り戻したのは圭太郎のほうであった。若さ故の体力か、それとも修験の厳しい修行により肉体的な耐久性が優れていたためか。先天的に呪力を持ち、またずっと曼華経の修行を続けていた圭太郎は、今の自分の躰に西洋の呪術が施されているという事実に、奇妙な感覚を覚えていた。


 再び深い昏睡状態に陥っているアレクセイの傍らにルスティアラを置き、北斗と梓、そして圭太郎は言葉を交わしていた。




「恐らく、西洋術師の力なくして、ここからの脱出は不可能でしょう」


 北斗は、まるで自分に言い聞かせるような静かな口調でそう切り出した。梓はなおも棘のある表情を崩すことはなかったが、その北斗の言葉には敏感に反応した。


「お前ともあろう男が、あの女に丸め込まれたか?」


 険悪な雰囲気を感じ取った圭太郎が、二人の間に割って入るよりも早く。


「それはどういう意味でしょうか」


「分からんか? 我らが皇城を破滅に追いやった西洋術師らと手を組むなど願い下げだという意味以外、どう理解できるというのだ?」


「でもな、俺の躰を助けてくれたんは、あの人なんだろ?」


 話し合いを一方的に放棄するように、梓は立ち上がった。そのまま、鋭い視線を圭太郎と北斗に注ぎ、見下ろす態勢を取る。


「それが、純粋な好意であると、断言できるのか?」


 徹底した疑念の塊となった梓に、北斗は小さな呟きをもって答えた。


「では、我々がこうしている間……本国の神祇調本庁の動向はいかがでしょうか」


 次の北斗の発言は、さすがに梓の興味を引いた。


「このたびの霊的災害に対し、政府の対応は?」


「そうだよ、東享がどうなったのか、知ってんのか!?」


 身を乗り出す圭太郎に、梓は眉間に皺を寄せる。


「無理を言うな。ここにいながら、そのようなことが探れるわけがなかろう」


「そうでしょうか」


 指を組み、北斗は視線を上げた。


「あれだけの瘴気が噴出すほどの……将門が復活するほどの災害が、東享一地域だけで済むとは、よもや思っていないでしょう?」


 散らばっている情報の断片をつなぎ合わせ、北斗は自分の仮説を構築していたのだ。この異界に取り込まれながらも、北斗の脳細胞はいささかも曇りを見せてはいなかった。


「放っておけば国全体を覆い尽くすほどの怨念、各地に封じられた怨霊どもが呼応して力を取り戻せば、日本など跡形もなく飲まれてしまうでしょう」


 そのようなことになれば、日本はまさに魔の跋扈する国となる。


「しかし、あなたの術は健在だ。ということは、少なくとも霊源は無事ということになるでしょう。それが伊勢であるか、出雲であるか、そこまでは分かりませんが」


 圭太郎もまた、息を殺して北斗の言葉に聞き入っている。


「回りくどい言葉はよせ」


「では、率直に申し上げます」


 どこか遠くで、風が鳴っている。


「政府と神祇調本庁、そして比叡と高野は、我々を見捨てたのではないですか?」





 不気味な沈黙が、三人の間を吹き抜けていく。


 それを最初に破ったのは、梓であった。


「根拠はあるのか」


「ここに来るまでの間、私は一つとして日本人の屍骸を見てはいません。もし私たちと同様に異界に飲まれているのなら、あってもおかしくはないのではないですか?」


 それに対し、梓も圭太郎も、答えることは出来ない。いや、北斗であっても問いかけるだけで正しい答えを知ってはいないのだ。


 しかし、それが本当であったなら。


「お待たせしました。アレクセイも、何とか動けるように……」


 躊躇いがちな口調で、ルスティアラが言葉を挟む。


「では、行きましょうか」


 ここで果てのない議論をしている時間はない。


 北斗は立ち上がると、ルスティアラに向かう前に梓に視線を向けた。


「よく考えてみることです。疑う相手は、意外にも近くにいるのかもしれないんですから」


 




 圭太郎とアレクセイの快復にどれだけの時間を費やしたのかは分からぬ。時の経過を計る基準がないこの異界では、体力の疲弊から推し量るしかないのだ。虚を発ち、陥没孔の淵まで上がってきた一行は、まずは進む方角を選定しようと周囲を見回す。


「地獄、だな。それも一番最深の……」


 アレクセイはうめくように呟く。その言葉を聞き逃さぬ北斗は、重ねて問いかけた。


「分かるのですか」


「地獄の最も中心部に近い場所は、四つの地に分かれているという。恐らく、ここはそのうちの一つだ」


 地獄などという場所から、果たして帰還できることなど出来るのだろうか。日本における伝承でも、冥府に赴いた伊邪那岐命の神話にもあるように、生死の世界はしっかりと断絶されているべきものなのである。


 それは恐らく、西洋においても同じはずだ。


「出る道は知らない。だが、中央に行けば、その他の三つと合流することができるだろう」


 地獄の中心に何があるのか、それは聞かないほうがいいだろう。大概は予想できるし、また人が何処まで正確な知識を持っているかということには疑問を感じる部分が強いためだ。


 だが、問題はどの方角に地獄の中枢があるのかということだ。否、その中枢とは、人が到達できる場所なのかどうか。




 その逡巡は、一瞬で終わった。


 出し抜けに一行を襲ったのは、激しい縦揺れの地震。足場すらおぼつかなくなるほどの振動に、誰もが身を屈め、そしてまた同時に顔を上げて周囲の状況を探ろうと努める中。


 一行が背を向けていた方角の丘陵地帯から、一筋の光の柱が天に突き立つようにして吹き上がる様子を、誰もが視界に納めたのだ。


 誰からともなく、一行はその方角に向かって駆け出していた。

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