間章ⅩⅩⅩⅣ<力ある狂気>
ばたばたと吹き付ける風に長衣の裾をはためかせつつ、眼下を見下ろす視線があった。白衣にも似た、奇妙な長衣に身を包んでいるその男は、後ろに撫で付けた髪を揺らしながら表情を崩さずに、ゆっくりと遠ざかっていく綾瀬と宗盛を見つめていた。
そして、幾度目かの足場を探しての方向転換ののち、二人の姿は岩の陰に隠れて見えなくなっていった。
最後まで歩く方角を見定めてから、白長衣の男レオは踵を返し、背後に座る男に視線を向けた。
高価そうな服とシャツには、茶色く乾きつつある血糊がべったりと付着していた。
恐らくは男のものだろう。しかし、この量の出血であれば、失血死を引き起こしていても不思議ではないほどだ。
男は血の気の薄い顔を上げ、視線を向けるレオを見上げる。乾ききった肌と艶のない髪、そしてただ病的な眼差しがレオを捉える。
この男と視線を交わすたびに、レオは全身を悪寒が突き抜ける思いがしていた。それは回数を重ねても、慣れることはなかったのだが。
「本当に、あの裏切り者を放ってよかったものかどうか」
半ば苦笑交じりのその言葉には、強い侮蔑と嫌悪が込められていた。
「貴様の術とやらで、裏切り者のサムライの精神を縛り、三人で当たれば……あのような男一人消せると思うのだがな?」
まるで眼球だけが寄生虫のような別の意志を持っており、この男を操っているのではないか。そのような、奇想がややもすると浮かび上がってくる。
それほどまでに、男の眼には異常なほどの光と意志が宿っていた。
「いい」
「ふん」
短く答える男に、レオは鼻を鳴らした。
「だが、覚えておけよ? これであの二人が何か妨害をしようものなら、お前は責を問われるだけでは済まんぞ」
民間伝承における邪眼、つまりイビル・アイとは、このような眼を持つ者を恐れて名づけられたものではないか。
レオは視線を逸らすと、岩場を降りていこうと傾斜の緩い方角を探す。
気に入らぬ。
この日本人を、レオは心底嫌っていた。何を考えているのか、分からぬだけではない。言葉の端々に漂う、異常なまでの尊大さと自己陶酔の極みに、レオは忍耐力の限界を感じていたのだ。
このような男、異界で近くに転送されでもしなければ、口も聞きたくもない。
それよりも何故、アリシア様はこの男にまで、魔術の才を授けたというのか。それが一時的なものであるにせよ、人智を超える力を駆っているということが男の精神をより肥大させていることは間違いない。
「責か」
背後から聞こえてきた声に、レオは足を止めた。
くっくっと肩を揺らしているのか、笑っているのだろう。顔を伏せ、まるで痙攣でも起こしているかのように、小刻みに呼気を漏らす。
「何がおかしい」
「責というのは、何を意味しているのかな?」
のそり、と男が起き上がった。
「少なくとも、錬金術が多少使える程度で、僕にそのような口を利く……お前のほうが、よほど責を問われるべきではないかね?」
レオは頭に急速に血が上るのを感じた。
「僕の術がなければ、あの童子斬の男を倒すことはできない、と言ったばかりじゃあないか」
怒りが言葉を帯びることなく、レオの中で暴れ狂う。堪忍袋の緒は、ぎりぎりにまで磨耗していたのだ。
「貴様、言わせておけばッ!」
拳打を食らわせてやろうと向き直ったレオは、その瞬間、自分の選択の誤りに気づいた。
眼前にいる、無防備な男の背後から、凄まじい魔力の塊が躍り出てきたのだ。
受肉した英霊、
まさか召喚魔術を使われるとは思っていなかったレオは、そのままバランスを崩し、身長よりも高い位置から岩が剥きだしになった大地へと叩きつけられる。咄嗟に指をポケットに忍ばせ、賢者の水銀を解放しようとするレオの顔を、容赦の欠片もない英霊の爪が抉った。
頬に口腔にまで達するほどの裂傷を刻まれ、脳震盪を起こすほどの衝撃を受け、レオの意識が垣間薄れる。
乾いた岩の上に鮮血を飛び散らせながら頬を抉られたレオに、英霊は腐臭のする鼻面を近づけ、威嚇に喉を鳴らす。
「その程度の力で一人前の魔術師を気取るなんて、未熟もいいところだな」
腕を組んだまま、岩の上から睥睨する男に、レオはありったけの憎悪を込めた視線を向けた。
腕や足は動けず、喋ろうにも傷が深いために口を動かせず。
だがその屈辱的な態勢も、長くは続かなかった。血に飢えた猛獣のように、英霊はレオの喉笛に牙を突きたて、太い血管と肉とを同時に噛み千切った。
自由を奪われたまま、がくがくと痙攣していたレオは、英霊を鮮血で染め上げながら、やがて動きを止めた。
「たかが錬金術如き……この異界で生きていくには非力すぎる。感謝こそすれ、怨まれる筋合いはないよ?」
病的な微笑に顔を歪ませ、男――華神正光はレオの屍骸に一瞥を向けると、英霊を呼び戻した。
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